銀狼帝と愛しき桃の双子たち

 夢と現のあわいを浮遊する、心地いい朝のひととき。

 那津なつ はふっさりしたなにかを抱いてまどろんでいた。陽だまりのように温かくて、いい匂いがする。

「んん……」

 鼻をくすぐられた気がして、まだ重たい瞼を開けた。途端、絹糸よりもなめらかで指通りのいい、銀色の毛並みが目に入る。

「……は、晴祥はるあき さま……!」

「おはよう、那津」

 やさしい声で名前を呼ばれ、寝惚け眼の曇りが晴れた。

 寝床でひしと抱きしめていたのは、生更きさらこく の長であり、那津の伴侶である銀狼帝・晴祥の尻尾だったのだ。

 晴祥が身をよじると尻尾がふさささっと抜け、那津と寝転がって向かい合う形になる。

「昨夜はかなり疲れていたようだな。私が床に入っても気づかず、よく眠っていた」

 確かに、昨日は神事としての種蒔きという大仕事があり、湯浴みの途中で寝そうになるほどくたくただった。どうにか閨に戻ったところまでは覚えているのだが、おそらく晴祥はそのあと寝床に入ってきたのだろう。

 それにしても自分はいったい、いつからしがみついていたのか。もしかしたら晴祥は寝返りも打てず、一晩中我慢していたのかもしれない。

「ごめんなさい晴祥さま。身体、痛くありませんか?」

「ちっとも。そなたの愛情表現だからな」

 言いながら那津の髪を梳く手こそ、どこまでも愛に満ちている。

「ところで那津、今日の予定は? 忙しいか?」

「いえ。今日はそれほどでもないですよ」

「ほう、それはいい。ならば私と朝寝を楽しまないか?」

「いいですけど、珍しいですね……あっ、もしかしておれのせいで寝不足ですか?」

「いや、私に足りないのは睡眠ではない。――そなただ」

 え? ときょとんとした那津を見て、晴祥が華やかに微笑む。出逢ってから五年の月日が流れたが、寝起きでも一切崩れることのない完璧な美貌は、いまだに慣れるということがない。

 ぽうっと見惚れたその一瞬に、唇を奪われた。

「んん……」

 何度か軽く触れあわせ、幸せな温もりに浸る。下唇を食むようにされると、胸がきゅっと甘く疼いた。

 口づけがとろりと深くなる気配に、晴祥の言う「朝寝」の意味を悟る。

「――っ、でも……誰か来ちゃうかも……」

「鈴を鳴らさなければ、誰も起こしにこない」

 わかっているだろう? と耳許でささやかれ、形ばかりの抵抗はあえなく封じられた。そのまま組み伏せられ、思うさま唇を貪られると、吐息が熱く濡れていく。

 だが早朝らしからぬ濃密な接吻に、意識がとろけかけたそのときだった。

「――が、……たぁ!」

「……だから、――ってば!」

 閉じられた戸の向こうから甲高い声が聞こえ、一瞬にして現へと引き戻された。

 殿舎に猛獣が紛れ込んだのかと思うほどの物音に紛れ、とたとたっと切迫した足音が近づいてくる。

「な、なつさまぁぁぁ、おかみぃぃぃ、おたすけをー……!!」

「…………。この声、博士か?」

「そう、ですね……」

 ニャー、と鳴き声まじりで呼びかけてきた声の主は、農学者の猫人ねこひとこま だ。

 騒ぎの原因は確かめるまでもない。

 那津と晴祥の双子の息子――皓央てるちか実光さねみつ が喧嘩を始め、手に負えなくなった駒智が那津たちに助けを求めにきたのだ。

「……。起きよう、那津」

「は、はい……」

 こうなったらもう、のんびり寝ていられない。晴祥も那津も衣を整えて起き上がり、閨から出て居室に駒智を招き入れた。するとその脇からころんころんと、転がるように双子たちが入ってくる。

 晴祥譲りの銀髪に獣耳と尻尾を持つのは、双子の兄の皓央だ。その身に宿したかみ の力で、ちび狼に変じることができる。

 対して双子の弟である実光は、那津の特徴を色濃く継いでいた。濃藍の髪と生まれつき丈夫な肌を持ち、くにみ の桃の声を聴く神通力を備えている。

 二人は那津と晴祥が愛しあった結果、聖なる桃の実から生まれた子供たちだ。

 普段は笑顔の愛らしい彼らだが、今朝は相当暴れたらしい。髪はぐしゃぐしゃで、興奮で上気したほっぺたをぷんぷんと膨らませている。

 凄まじい気勢の四歳児らを相手に、駒智は朝から疲れ果てていた。尻尾はへなへなと垂れ下がり、ひげが折れ曲がっている。

「ハァ、ハァ……お二人とも、お休みのところ申し訳ありません」

「いったい今日はなんの騒ぎだ?」

「とうさま!! 皓央がおにわにはいって、かってになんかうめた!」

「かってじゃない! 駒智もいたから!」

 二人は互いの言い分をきゃあきゃあとまくしたてた。いつものことだが、これでは話が進まない。

 晴祥は本人たちからの聞き取りを早々に諦め、駒智に説明を求めた。聞けば、兄の皓央が弟の実光に内緒で、神潤庭かむるのにわ になにかを植えたらしい。

 駒智が付き添っていたというので、いたずらではないだろう。が、実光はそんなのお構いなしに怒っていた。

 実光はまだ幼いが神子としての力を認められ、那津について御庭の仕事を少しずつ学んでいる。国生みの桃が人々にとっていかに重要な存在か、神潤庭がなぜ聖域と呼ばれるのかを日々聞かされている実光からしてみれば、「兄が神聖な場所で悪さをした」という認識なのだろう。

 とはいえ、神潤庭は双子二人の遊び場でもあった。皓央も立ち入りが禁じられているわけではない。

 しかし、双子たちの言い争いはどんどん過熱していく。

「皓央のばか! いたずらするなって、いつもいってるだろ!」

「うるさいなぁ、えばるなよ実光! オレ、いたずらなんかしてないし!」

「でも、もものきが『いやだ』っていってるもん! へんなのうめられて、きもちわるいって!」

「うそつけ、そんなこというわけないだろ!?」

「うそじゃない! 皓央にはきこえないくせに!」

「……!」

 実光の切り返しに、皓央がびくっとして黙る。悔しそうに下を向き、唇をきゅっと引き結んだ。言ったほうの実光も、つられて動揺している。

「――二人ともそこまでだ。皓央、私と話そう。実光は……那津と」

「はい。実光、おいで」

 心配そうな駒智に見送られながら、那津は実光を連れて釣殿に出た。

 二人きりになっても、実光はまだ口を開かない。

 那津は手櫛で髪を整えてやりながら、どんな言葉をかけようかと考える。

 皓央と実光はそれぞれ違う力を持って生まれた。

 どちらのほうがすぐれているということはない。那津や晴祥はもちろん、周囲もそれを理由に二人を区別しないよう、細心の注意を払っている。

 けれど、本人たちはそう簡単に受け入れられないのだろう。

 物心ついたばかりのころは、よく尋ねられたものだ。

 皓央には「どうしてオレは『もものき』とおはなしができないの?」、実光には「なんでぼくは『おおかみ』になれないの?」と。

 生まれたときから一緒にいる彼らに、意識するなというほうが難しい。純粋な羨望や幼い対抗心ゆえに、力の扱い方を誤ってしまうこともある。

 実光はさっき、嘘をついた。

 国生みの桃の声を聴くには、木の幹に触れる必要がある。駒智の話では皓央の話を聞くや否や取っ組み合いになったというから、まだ御庭には行っていないはずだ。

 聖なる声を聴くことのできる者が、できない他者を欺いてはいけない。ましてやそれを理由に相手を責めるのは、もってのほかだ。

 真神の力は発現していなくとも、実光は皇子みこ である。皓央とはこの先ずっと、共に国を支えていくことになるだろう。

 兄弟それぞれ異なる力があることを強みにしてほしい。互いを尊重し、助けあえる関係を築いてほしい。

 実光には実光のよさがあると、那津は誰よりも知っている。それを余すことなく、本人に伝えようと思った。

「実光。昨日は御庭のお仕事、よく頑張ってくれたね」

「……え?」

「作物が元気に育ちますようにって、みんなと一緒にお祈りしてくれた」

「……。おにわがすきだから……」

「そうだね。でも、皓央も御庭が大好きだと思うよ? 実光と追いかけっこしたり、木登りしたりして、いつも楽しそうに遊んでる」

 喧嘩すると激しいが、二人は本当に仲がいい。双子だからというのもあるのか、時に親でさえ立ち入れないような、神秘的なつながりを見せることもあった。

「実光が御庭を大事にしてるのは知ってる。だから心配になっちゃうんだよね。けど、皓央の話も聞いてみよう? もしかしたら、皓央も御庭のためになにかしたかったのかも。ほら、昨日の種蒔きには参加できなかったから」

「……うん……わかった……」

 こくん、と素直にうなずいたのを見てほっとした。この様子なら皓央ともきちんと話ができるだろう。

「あのね……とうさま」

「うん?」

「……ごめんなさい……」

 実光も気がゆるんだのか、大きな瞳に涙が盛り上がった。しゃくりあげる我が子を抱き寄せ、背中をとんとんと叩いてやる。

「大丈夫だよ。実光はやさしい子だってわかってる」

「……っ、っ、やなこと、っく、いったのに?」

「言っちゃうときもあるよ。実光がそうしたいなら、とうさまと謝りに行こうか?」

「……っ、うん……」

 実光が落ち着くのを待って居室へ戻ると、晴祥と皓央も話を終えて待っていた。

 皓央の目と鼻もちょっと赤くなっている。晴祥と話をしながら、泣いていたのかもしれなかった。

「ほら、実光」

 那津がそっと背中を押すと、実光が皓央の前に進み出た。

「さっきは、ひどいこといって……ごめん」

「オレも……かってなことして、ごめんな」

 双子はお互いの目を見てきちんと謝った。二人は途端に楽になったようで、泣き跡の残る顔でかすかに笑う。那津も晴祥とうなずきあい、安堵の胸を撫で下ろした。

「――ところで皓央、御庭になにを埋めたの?」

「うんとね……おはなのたね」

 那津の問いに皓央が答える。

 昨日、神事の種蒔きに参加できなかった皓央は、那津の世話係であるうらら とお忍びで市を訪ね、春にきれいな花が咲くという種を買ったらしい。

 弟が喜ぶだろうと思い、駒智の手を借りてそれを埋めた――もとい蒔いたものの、事情を知らない実光はその行いを責めた。頭ごなしに怒られた皓央もかちんときて、言い合いになってしまったようだ。

「皓央。いまからそれ、みにいきたい」

「いいけど、まだ、めもでてないよ」

「わかってる。でも、いこ」

 実光は皓央の手をとると、駆け足で出て行った。

 二人は神潤庭で仲直りをするのだろう。ここまでくればもう、心配いらない。

 午後になり、仕事のついでに那津が様子を見に行ってみると、ちび狼姿で寝そべる皓央の尻尾を枕にして、実光がすやすやと眠っていた。

 見ているだけで自然と笑みがこぼれてくる。このうえなく幸せな光景だった。


◇◇◇


「皓央の贈り物好きは、私譲りかもしれないな。私も誰かのことを思って品物を選ぶのが好きだから」

 その日の晩。晴祥が双子のやりとりを振り返りながらそんなことを言うので、那津も出逢ったばかりのころを思い出した。

 突然「運命の君」と言われて戸惑う那津に、晴祥は多くのものをくれようとした。喜ぶ顔が見たいからと、ただそれだけの理由で。

 だけど那津は反物や宝玉、武具や書物などの高価な品には目もくれず、晴祥の尻尾を選んだのだ。それこそ贅沢な望みだと自覚しながらも、極上の毛並みの魅力には抗えずに。

「晴祥さまの尻尾は、最高の贈り物でした」

 言いながら、銀色の美しい尾に手を滑らせた。きめの細かい芝草のように柔らかく、月光のような艶を帯び、頬ずりすればうっとりとしてしまう。

 この尻尾を抱いていると、不思議とよく眠れた。添い寝をする、しないで毎晩のように押し問答していた日々も、いまとなっては懐かしい。

 想いを込めて撫でながら、ふと、今朝のことが頭をよぎる。

 甘い口づけを交わしながら、朝寝をするはずだったのに――と思うと、置き去りにされたままの熱が蘇り、身体が火照るような気がした。

 銀狼の尻尾は素晴らしい手触りだ。けれど衣を脱いで素肌に抱くと、もっと気持ちがいいと知っている。二人で愛を交わす夜は、裸で尻尾を抱くのがお決まりだった。

 甘美な想像に耽りながら、ふさふさの獣毛をつつつ……とさすってみる。

「……那津。その触り方はちょっと、扇情的じゃないか?」

「……!」

 下心を見透かされ、頬が熱くなった。那津の感情を聞き当てる三角耳がぴるぴると動き、尻尾はもの言いたげにふりふりと動く。

 銀狼帝には嘘もごまかしも通用しない。晴祥のことがどんなに好きか、いまなにを求めているのかも、たちどころにばれてしまう。

 だから、那津は素直に甘えることにした。

「晴祥さま。今朝の続き、しませんか?」

「那津……あぁ、こんな魅力的な誘いを断れるわけがない。ぜひともそうしよう」

 微笑みあい、唇が重なる。

 ささやかな口づけはやがて融けて交わり、二人きりの夜は甘やかに更けていった。

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