第2話 Fragment
白い巨体はすぐ背後まで迫っていた。
その正体は、この青い砂漠の星に蔓延る怪物『フラグメント』だ。ブループラネットの定める五段階基準だと体長はLv3程度。これは至って平均的な大きさだが、それでもザトウクジラなみなんだから、こちらとしてはこの状況は洒落にならない。
このフラグメントは、その姿もクジラにそっくりだ。砂の海を泳ぐように進む。
その白い巨体は他のフラグメントの例に漏れず、小さな立方体の集合でできているはずだ。もちろんじっくり鑑賞していれば喰われてしまう。たとえ乗っているのが一世代前のオンボロなホバーキャブでもあっても、死ぬ気で走るしかない。
白い体には目さえ見当たらない。しかし、ボクなんかは、小ネズミくらいにしか見えていないに違いない。勘弁してほしい。
キャブの計器は時速500kmを示した。最大限に唸るエンジンは、過労死一歩手前だ。
【エコー、早く!】
イヤモニからノイズ混じりの声が聞こえた。ボクの名前を呼ぶバディのそれに安心する一方、叫びが耳と頭に響いて、顔を顰める。
「無茶言わないでくれ! これ以上出したらキャブがイカレる!!」
【ああ、もう! 叫ばないでくれる!? 耳がイカレるわ!】
「それはボクのセリフだ!」
【あら、ご挨拶ね!】
フラグメントは人間の鼓動に引き寄せられるらしい。僅かな音を聞いて、そしてその音を持つ者を喰らいに来るとのことで。焦っている自分の鼓動は、さながら「さあ、こっちにいらっしゃい」とでも聞こえているに違いない。ああ、本当に、
「くそったれ……っ!」
今度は叫びを通信に乗せず、車体を傾ける。なだらかな丘陵地帯に入った。フラグメントと青い丘を挟むように、合間を縫う。巨体はまるで丘などないかのように直進して来た。青が弾け飛び、細かな砂塵が降り注ぐ。おまけに、車体が不規則に揺れ、スピードも落ちて来た。
追い付かれるのも時間の問題だ。
しかし、息を詰めた瞬間、
【あなたが見えたわ、エコー】
「……頼んだ」
そして、ボクは通信機の電源を完全に切る。ホバーキャブのエンジンも。呼吸も潜めて。
ここから先はどんな音も、彼女の邪魔になる。
急停止したホバーキャブから放り出されるように、ボクは砂に身を投げた。そのまま勢いを殺しつつ仰向けになれば、青の砂が舞うかのように、青の空を飛ぶかのように、彼女が跳躍しているのが目に入る。
上品な風合いの白いブラウスに、青いフレアスカート。砂をロングブーツが蹴り上げて、
「 ♪ 」
歌が、聴こえる。鼻歌のような微かな響きだが、ボクにもはっきり聞こえた。
今日の曲目は『雨に唄えば』か。昔見た、お気に入りのミュージカル映画。
弾む調子で、楽しげに。彼女は砂雨に踊る。
「 ♪ 」
『 そして、怪物はお姫様の歌声に思わず聴き惚れました。お姫様こそ、その怪物を殺す牙を持っているとも知らずに。 』
……などと内心独りごちる。
彼女の歌を聴いたフラグメントは動きを止めた。そこに容赦ない一閃が、
「 ♪ 」
彼女は、得物である長槍を振り抜いた。白い柄に白い刃、地球で見た太陽の光のようで。
『 お姫様のその一手で、呆気なく白い積み木が崩れました。刃が触れた先から、白い立方体が綻んで散り散りになり、青い砂に降っていきます。
お姫様は抜かりなく次の手、また次の手と跳び回りました。弾かれるように立方体は散り散りになり、その体が完全に崩れるまで、破壊をもたらす青い歌を歌い続けたのでした。 』
巨体の面影もなくなり、彼女の歌が止んだ頃、ボクはようやく起き上がり、黒いコートについた砂を払う。横倒しになっていたホバーキャブはどうにか無事らしかった。
崩れ落ちた巨体は、人間大の大きさの立方体に分裂していた。あちこちにそれらが散らばっている。
「ブルー」
フラグメントを倒した後の一声は、彼女への呼びかけと決まっていた。
白い残骸の真ん中で彼女は必ず立ち尽くしている。孤独に背中が震えていた。
「エコー、」
彼女もボクを呼ぶ。そして言うのだ。
「悲しくてたまらない」
自分で壊しながら、壊したものを見て悲しく思う。
……いや、違うか。少し違うんだ。
ボクは彼女のところまで歩いて行って「抱きしめても?」と、一応のお伺いを立てる。涙でいっぱいの青い瞳が訝しげに細まる。
「どうして?」
「ボクも悲しくてたまらないので」
「……嘘つき、だね」
だからダメ、と。
「けど、手くらいなら良いわ」
差し出された手を握る。手を繋ぐ。それだけだ。しばらくボクは黙っていた。
ボクの音が、彼女の嗚咽の邪魔にならないように。
ただ、耳を澄ませて。
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