かけひき

 伊刈は金本からの情報を基に九重と交渉するため高千穂重機に向かった。進入路のビデオカメラと赤外線監視装置は以前のままだった。喜多が運転するCR-Vは砂埃を上げながら駐車場を横切った。プレハブの事務所の前には九重のベンツが停っていた。その脇にCR-Vを滑り込ませるのとほぼ同時に九重が事務所から出てきた。パーティにでも出かけるつもりだったのか、黒いパリッとしたスーツを着て髪も整えていた。

 「なんだいまだなんか用があるのかい」

 「日常的なパトロールですよ。ここをパトロールポイントにしたんです」伊刈が皮肉っぽく言った。

 「だからなんの用なんだよ」

 「奥にまだ撤去が終わっていない現場があるでしょう」

 「十年もほっておいて今更なんだっての」

 「それはそうとソウル交易の金本が出てきましたよ」

 「誰だいそりゃあ」

 「中で話す時間はないですか」

 「いいよ入んな。別に急ぐ用事もねえしな」

 「どこかへ出かけるところだったのでは」

 「逆だよ。着替えるのがめんどうだからそのまま礼服を着てんだ。おじきの法事があったんだよ」

 「そうですか」

 事務所に入ると前回もいた年配の事務員がやっぱり黒服を着ていた。一緒に法事に出たものと思われた。

 「それでなんだい、プサンがどうしたって」九重はソファにどっかと座りながら言った。プサン(釜山)とは金本の出身地だ。

 「しらばっくれないでください。ソウル交易ですよ」

 「だからそれがどうしたんだよ」

 「硫酸ピッチの入ったドラム缶の処分を命じましたよ。応急中和措置は代執行でやりましたが焼却がまだです。本人がやらなければもう一度代執行です」

 「なんでそんなこと俺に教える?」九重は不機嫌そうだった。「おまえらと金本で勝手に決めればいいことだろう。俺は関係ねえよ」

 「ほんとにいいんですか」

 「何を言いてえんだ」

 「実は代執行費用の請求先を探してるんです」

 「金本に請求するんだろう」

 「応急措置費として一千万円、焼却処分として二千万円かかります。金本さんにはムリでしょう」

 「そんなにかかるのか」

 「代執行は公共事業ですから高いんですよ。金本さんが払えなければドラム缶の出所を調査して請求書を回します。それで今日はあらかじめご挨拶に伺いました」

 「俺が出したって言いたいのか。だったらマッポ(警察)と出直しな」

 「いいえそういう意味じゃありませんが、顔の広い九重さんなら何かご存知じゃないかと思って」

 「ほう、おまえたいそうな口をきくじゃないか。俺が誰だか知っててその物言いか」

 「知恵を貸していただきたいんですよ。役所が片したら三千万円ですが、九重さんのお知り合いをご紹介いただければ十分の一で済むかもしれませんよね」

 「そんなもんだろうな。知恵じゃなく金を出せって魂胆だな」

 「そうだ、この間お伺いした時にこちらの倉庫の土壌をサンプリングして検査したんですが結果が出ました。灯油の成分のほかに白土と活性炭、それに硫黄も出ました。硫酸由来ではないかと」

 「いつの間にそんな真似を」

 「持っていってもいいとおっしゃいましたよ」

 「何が言いたいんだ」

 「重機の置き場だったんですよね」

 「ほかに何を置いてたんだって言うんだよ」

 「重機に灯油を使いますか。それに他の成分も不自然ですよね」

 「言いたいことはそれだけかい」

 「九重さんにご協力いただければ北海道に流出したドラム缶の出所は調査しません。こちらでは一見落着でも道警はまだ捜査を続けているそうですよ」

 「あん北海道だと。てめえそれ以上因縁つけると」

 「交渉ですよ」

 「プサンが歌ったのか」

 「道警が関心を持っているのは事実ですよ」

 「つまり俺にプサンとこのドラムを始末しろってのか」

 「あくまでご協力ということでお願いできませんか」

 「てめえ俺をまじで脅すたあ警察よりすげえな。まあ考えてみるよ」九重はじろりと伊刈を睨んだ。

 「どうですか」伊刈は笑顔を湛えたまま九重を見返した。

 「あんた、ほんとは何が欲しいんだ。金か出世か」

 「どっちも要らないです」

 「じゃなんなんだよ」

 「金本さんが僕を信用してくれたから、それに応えたいんですよ」

 「おかしいだろう、あんた役人のくせに法律じゃなく情で仕事をしてるってのか」

 「そう言う九重さんはどうなんですか」

 「あん俺はどうでもいいだろう。まあいいや、あんたの好きにしなよ。俺はもうしゃべらねえぜ」九重は棄て台詞を言うとほんとうに無言になった。

 「コーヒーをどうぞ」女性の事務員がタイミング悪くインスタントコーヒーを煎れて持ってきた。

 「そんなもん出さんでいいわ」九重は衝動的に彼女の膝に蹴りを入れた。トレイに載っていたコーヒーカップが激しい音を立ててテーブルと床に落ち、周囲にコーヒーが飛び散った。夏川と喜多はびっくりして立ち退いた。伊刈は作業ズボンがコーヒーのシミだらけになっても顔色一つ変えずにいた。

 「あんたおもしれえじゃねえか。今度だけはあんたの言う事聞いてやるよ。だけど、これは金本の野郎への貸しだからな。覚えておけよ。用が済んだら帰んな」九重は鬼のような形相で伊刈を睨みながら立ち上がった。

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