晴れない疑念

 その晩、セイラのボックスに伊刈、夏川、喜多の三人が浮かない顔で並んでいた。

 「班長もうこれ以上はやめましょうよ。今日みたいなことやってたら命がいくつあっても」夏川がしみじみと言った。

 「それよりどうも釈然としないんだ」

 「何がですか」喜多が伊刈の顔を覗き込んだ。

 「喜多さんは結局班長のシンパなんだから。僕はもう付き合いきれませんよ」夏川はボックスを離れてカウンターに移動した。モモエがすかざす夏川の前にグラスを置いた。

 「これでほんとに一件落着にしていいんだろうか」

 「ソウル交易の事件のことですか」

 「金本と豊川は逮捕されて執行猶予付きの有罪。豊川の奥さんは送還命令を無視して不法滞在してるってことだよな」

 「しょうがないんじゃないですか。犯罪者の配偶者に在留許可は出ないですから」

 「秋川実業の社長は不起訴、フラウケミは全くの不問、高千穂重機の九重も罰金たった二十万円の別件逮捕。実刑になりそうなのはマツダエンジニアリングの海老原だけだ」

 「警察的にはそれで一件落着みたいですね」

 「関東興油はどうなんだ」

 「脱税での起訴は見送り決定みたいですね。一応納税はしてたみたいですよ」

 「納税していれば不正軽油を作っていいって法律がおかしいだろう。ピッチは出してるんだし」

 「もうピッチは出ないそうですよ」

 「どういうこと?」

 「濃硫酸を希硫酸に変えればピッチが出ないそうですよ。これからはそれが主流になるらしいです」

 「数字が合わないよ」

 「なんの数字ですか」

 「マツダエンジニアリングが保管していたピッチは三千本だ。不正軽油の製造量としたら六万キロリットルだよ。しかもこれは氷山の一角で海老原はその十倍くらいは扱ってたみたいじゃないか」

 「そうですね」

 「関東興油だって毎日タンクローリーで二、三台の軽油を作ってるんだ。一か月百台、一年なら千台だよ。しかも関東興油の製油所は他にもあるって聞いてる。それだけの軽油を作る原料はどこから来て、作った軽油はどこで売ってると思う」

 「県内の石油の流通量からすればそれくらい微々たるものじゃないですか」

 「微々たるということはないだろう。調べることはできるはずだよな」

 「それはできますね。どんな石油にもそれなり税金がかかってるんですから、逆算すれば流通量が全部わかりますよ。ただ国税と地方税があるから突合せが簡単じゃないだけです」

 「そこが盲点なんだな。国税と地方税の隙間があるんだ。硫酸ピッチなんで小さな問題だ。ほんとうの主役は石油だよな」

 「それはもう産廃の問題じゃないですね。国家の経済全体の問題ですよ」

 「そうかな。ゴミも油も根っこは同じだって思わないか」

 「それより班長、報告があるんです」

 「なに?」

 「僕、税理士試験に合格しました」

 「いつの間に」

 「すいません」

 「いやおめでとうかな。技監には報告したのか」

 「まだです。まずは班長にと思って」

 「それじゃ市庁は辞めるんだな」

 「ええ残念ですけど、そうせざるをえません。一年のつもりでいたのが二年になり三年目になりましたが、もう親父を説得するのも限界です」

 「もう十分だろう。きっといい税理士になるよ」

 「ありがとうございます」

 「それじゃあんまり危ない仕事には付き合わせられないなあ」

 「班長は本気で油をまだ追うんですか」

 「僕だってムリだってわかってる。だけど見てみたいんだ。油の世界がどうなってるのか。表からは見えない世界がゴミからは見えるだろう」

 「班長が見たいなら僕も見たいです。僕は班長についていきますよ。もともと石油税には関心があったんでいろいろ調べてみたんです。調べれば調べるほどおかしな税金ですよ。軽油には何種類もあるんです。本物と偽物だけじゃないんです」

 「どういうことだ」

 「不正軽油製造で使ってるA重油、あれは国際的な規格では軽油なんですよ。名前だけ重油にして税金を安くしているみたいです」

 「なんでだ」

 「漁業者や農業者に燃料を安く売るための政策みたいです。軽油の税金は一キロリットル三万二千百円です。A重油にかかるのは石油石炭税だけで二千四十円でほとんど無税と同じです」

 「なるほどつまりA重油はそもそも国家公認の不正軽油ってことだ」

 「まさにそうなんです。それから航空燃料のケロシンは実は灯油です。ケロシンの税金は一キロリットル二万六千円ですけど家庭用の灯油は無税です。でも全く同じものなんです」

 「だから税金のかからないA重油と灯油を混ぜて不正軽油を作るってわけだ」

 「作るのが目的じゃないです。売るためです。無税の油を有税の油に偽装すれば税金分が儲かるわけです。脱税というよりも税金の横領です」

 「儲けてるのは不正軽油を作ってる連中じゃなく売ってる連中ってことだな」

 「そうなんです。これは僕の勘なんですが、脱税してるのは関東興油じゃなく関東興油に原料の灯油を売ってる石油会社じゃないかと思いますよ」

 「それビンゴかもな」

 「でもそれを調べる方法ってないですよね。関東興油の本社に立ち入って帳簿を見れば取引先がわかりますけど、そんなこと税務課じゃないとムリですよね」

 「僕に付き合うつもりがあるんなら調べる方法はあるよ」

 「ほんとですか」

 「問題は技監の許可が出るかどうかだな」

 「許可をもらうんですか」

 「もうらうべきだけどなあ。その前にあいつになんと説明するかな」伊刈はカウンターでモモヨ相手にはしゃいでいる夏川の背中を見た。

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