傀儡
伊刈は喜多を誘ってセイラのボックスに座っていた。このごろはセイラで喜多と会うことが多くなった。密談というほどでもないが、仕事の相談があるときはカウンターを避けてボックスに陣どった。
カウンターの中にはモモエとチカコが入っていた。美貌の上に受け答えが洒脱で一番人気のリンカが非番だったせいなのか、カウンターは半分空いていた。ボックスには誰もいなかった。
「ソウル交易の金本から借りた契約書を知り合いの中国人に翻訳してもらったんだけど金本の説明とは違ってたよ」伊刈が喜多に説明した。
「そうなんですか」喜多は目を輝かせた。
「日本から中国への廃油の輸出契約書じゃなく中国で再生した廃棄物を日本に輸入する契約書なんだよ」
「うまく騙されましたね」
「いや金本も中国語読めないんじゃないか。そうじゃなかったらあんなに自信ありげでいられないだろう」
「このままだと金本は逮捕されますよね」
「どうして」
「石塚さん(警部補)に聞いたんですが、北海道警から攻められている以上、金本を挙げるしかないだろうって。ほんとは高千穂重機の九重を挙げたいんだけど、今日確認したみたいに倉庫はもう空っぽですから挙げるとしても別件しかないわけでしょう」
「九重が持ってた設備はどこへ行ったのかな」
「豊川運輸って会社が引き継いだみたいです」
「へえそうなのか。石塚さん警察官にしては口が軽いな」
「聞いたわけじゃないんです。それとなく小耳に挟んだというか」
「それはもっとよくないよ」
「といっても豊川は金がないので、九重の傀儡らしいです。それに豊川が九重から設備を買ったってことを立証するのは難しいみたいです。とにかく豊川と金本はもう逮捕は時間の問題みたいですよ」
「マツダエンジニアリングはどうなんだろう」
「海老原はもう栃木県警で挙げられてますからね。管内にもマツダが持ち込んだピッチがあるようなんですが、まだ見つからないみたいです。見つかればお手柄だそうですよ」
「金本を逮捕したら現場にあるドラムは誰が措置するんだろうな」
「市にお金があれば代執行ってことになるんじゃないですか。どっちみち金本に措置するお金はなさそうですから」
「金本も豊川も九重の傀儡だってわかってんのに九重をパクれないのは歯がゆいな」
「警察的には製造した軽油か硫酸ピッチの現物を押さえられなければどうしようもないみたいです」
「とにかく逮捕されるまでに金本に一本でも余計にドラムを処理させよう。置き去りにされるよりはいいよ」
「班長らしいですね。一点でも稼いで実を取るってことですね」
「金本はうちの指導で中和処理してたってことにできないかな。それなら逮捕されたとしても、いくらか情状になるんじゃないかな」
「それはやめたほうがいいですよ。下手をすると班長が無許可処分業の教唆犯になりますよ」
「おまえずいぶん勉強したなあ。もうすっかり一人前の産廃Gメンだな」
「そうでもないですよ。まだまだです」
「とにかく明日も金本の様子を見に行くしかないか」
「わかりました」話が済んだので喜多はカウンターに戻った。
伊刈はボックスに置き去りにされたビールを飲み干して立ち上がった。
「モモ、帰るよ」
「え、もう帰っちゃうの」
「またゆっくりな」
伊刈は二千円払ってセイラを出た。ビール二本と渇き物だとそれでも余った。モモエは伊刈がどこへ行くのか知っているような顔で見送った。
駅前のシティホテルの前にはナオミが待っていた。伊刈の姿を見つけると、小走りに走りよってきた。走る必要はないのに走る仕草がとても可愛いと思った。
セイラの女子大生はみんな伊刈とナオミが仲良くしていることを知っていたが口裏を合わせて店の常連には内緒にしていた。常連客の中には代役で時々シフトに入るナオミのファンもいるせいだった。
「あたし、お肉食べたい」聞かれもしないうちからナオミが甘えた。ベタベタになるタイプは伊刈の趣味じゃなかったはずだが、ナオミが目下のお気に入りだった。
「ねえ、北海道旅行あたしも行けるよ。ていうか、あたしに内緒でリンカとモモヨを誘ったでしょう」
「内緒じゃないよ。リンカがボスだから彼女を通さないと企画が成立しない」
「ボスはリンカでもあたしが中心でしょう」
「これで三人か」
「ユカリンも来るかも。あの子地獄耳だから」
「かまわないよ。それじゃ大きめのレンタカーが必要になるな」
「伊刈さん、お金持ちだね。セイラの全員を連れて旅行しようなんて普通考えないわ。みんなにバレたら大変だよ」
「今の時期、北海道は安いんだよ」
「部屋はいくつとるの」
「二部屋取るよ。大学生四人と雑魚寝ってわけにはね」
「やった。あたしは一緒の部屋だよね」
「モモと一緒のつもりだったけど」
「言ったねえ。じゃいいよモモと仲良くしなよ」
「焼肉ここでいいかな」伊刈はナオミの同意を求めずに市内では一番ましな焼肉屋に入っていった。
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