第59話 試着
「須藤部長、どうしたんですか?」
いろいろ妙に思いながら、彼に声をかけました。よく考えてみれば、デパートに呼ばれるのも不思議なことでした。
「ユリちゃん、そろそろ営業用のスーツも選んだ方がいいと思ってね。再来週にはうちの部署に来てもらうし、しばらくは制服のままでもいいんだけど、外回り用のスーツも必要だから。」
思いがけないことを言われ、動揺しました。確かにスーツは必要かもしれませんが、そんなことまで須藤が気にかける部分ではないだろうと思いました。
「あの、以前、就職活動をした時のスーツがありますから、それでも良いでしょうか・・・?黒くて、地味なものですが、いけないでしょうか・・・?」
言われてみれば、外回りをするための服装を考えなくてはならないのは確かでした。営業の女性とはどんな格好をしているのだろう?自分の周囲にはいなくて、わからないことばかりでした。
「それでも良いんだけど、何着かは必要だから。ユリちゃんが社員になるにあたって、営業用のスーツを2着、購入しても良いという決裁をもらっておいた。女子社員の制服は2着支給されているから、ユリちゃんもスーツを制服扱いとして、2着買ってもらえることになっているよ。」
須藤は女性用スーツのコーナーを眺めながら説明しました。私はとても驚いて聞き返しました。
「スーツを、制服として買ってもらえるんですか・・・?」
考えにくいことでした。須藤が話をねつ造しているのかもしれないとすら思いました。
「うん、珍しいケースかも知れないけど、ユリちゃんはうちの会社初の女性営業社員だし、他の女性社員が制服を支給されていることを考えれば、そういった計らいがあっても良いかと思って上に相談したんだけどね。統括部長も社長もふたつ返事だったから買ってもらえばいいよ。自分で用意するとなると、お金もかかるだろうし。」
須藤は軽い調子で言いました。私は驚きましたが、確かにスーツを数着買うとなると相当な出費になることは想像に難くありませんでした。
「そうなんですね。それは、すごく助かります。自分で買うとしたら痛い出費ですが、買っていただけるのであれば、喜んで・・・」
私が答えると、須藤は笑いました。
「そうだよね。言っておくけど、男の社員はもちろんスーツは自分で買っているから、他の人には言わないようにね。男は会社のジャケットだけみんな支給されるけど、着ない人もいるしね・・・女子はみんな制服だから、ユリちゃんは営業でも特別ってことで。」
須藤の言葉どおりに受け取ってよいのかは自信がありませんでしたが、とりあえずはもっともらしく聞こえました。ここは遠慮せず、買ってもらえるならばそうしようと思いました。
「あの、須藤部長・・・営業の女性というのは、どのような恰好をすれば良いのか、実はよくわからないんです。選ぶのを手伝って頂いても良いでしょうか・・・?」
須藤はスーツと私を交互に眺めて笑いました。
「そんなに難しく考えなくても大丈夫。ユリちゃんに似合いそうなものを着ればいいよ。たとえば、このへんとか・・・ユリちゃん、サイズはいくつ?」
須藤は薄い緑がかった綺麗な色のスーツを手に取りました。
「あの、サイズは・・・自分で取りますから・・・」
そんなことまで彼に知られるのは恥ずかしく思いました。須藤の選んだスーツは綺麗な色でしたが、目立ちすぎるような気もして、薄いグレーのものも試着することにしました。
会社にスーツを購入してもらえるのは嬉しかったのですが、須藤と一緒に買いに来るのはなんだか恥ずかしい気がしました。ですが、外で営業の女性の様子も見ている彼からアドバイスをもらう方が良いだろうという思いもありました。
試着するたびに彼の感想をあおぐのは気恥ずかしい時間でしたが、なんとか2着、決めることができました。目立ちそうな色を避け、無難な紺色と薄いグレーのスーツを選びました。須藤は少々不満そうでもありました。
「もっと明るくてキレイな色にすればいいのに・・・紺とかグレーとかじゃ、就職活動している連中みたいで目立たないよ。」
確かに、私も綺麗な色のスーツは素敵だと思っていました。
「でも、仕事もろくにできないのに、服装で目立つのはなんだか・・・それに、地味な色の方が着回ししやすいものですから。そんなに何着も持っていないのに、目立つ色だと微妙ですし・・・」
言い訳をすると、須藤は苦笑いしました。
「ユリちゃん、若いわりにけっこう堅実だよね・・・今度俺が買ってあげるよ。いずれはキレイな色のスーツを着こなしたかっこいいユリちゃんと歩きたいし。」
「それでは、ぜひお願いします。スーツを買って貧乏になりたくありませんし。」
受け流しつつそう答えましたが、正直なところデパートで2着ものスーツを買うのは私にとって大金でした。須藤が上の人へ交渉してくれて本当に良かった・・・と改めて思いました。
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