応援コメント

第56話 筆記試験」への応援コメント


  • 編集済

    わあ!神原様っ!嬉しくてぶるぶるしてますっ!呪文堂は阿呆ですから『迷惑をお掛けして困惑させているのではなかろうか?神原様はお優しいから言葉をお選びになっているんだっ!』と一人勝手にばたばたしておりましたっ
    本当に失礼致しましたっ!がつがつ読んでも?ひゃあ嬉し!

    誰かのために、我が身を封じ。
    ありがとうございます!まさしく、おっしゃるとおりかと。敢えて自分を封じることでみえてくるもの、出逢える世界もまたあって。愛する誰かのために己を殺すことが、却って新たな世界を生み出すことはあるのでしょうね。
    同時に。心を自由に羽ばたかせたいという欲求。・・この二つ、相反するようでいて。実は一体、表裏のものかもしれませんね。

    エロは罪なのか?
    素晴らしいお題です。これは『畢竟、生きることとは罪なのか?』に置き換わる。エロとは生きる姿そのものであり、生きることはエロを求める営みだから。

    罪とは禁忌を示す言葉です。積み重ねられた平常を、なるべく保たんと切り離されしが禁忌。しかし、この世は変わりゆくもの、平常などあり得ず。平常とみえるものは、その実、袋小路にすぎない。生命が採らねばならぬ行動は、見せかけの平常を打ち破り、風穴を空け、新たな世界に挑み続けること。すなわち、禁忌こそ。

    つまり。敢えて罪という言葉を用いるのならば、生きることは罪を重ねて進むこと、エロこそが罪の姿。・・こうなると『罪』の意味合いは大きく異なるものになっておりますが。


    人は弱いものです。頭では理解できても見せかけの平常をなかなかやぶれない。トロ火に掛けられた鍋の中の蛙です。鍋から跳び出すことが、できない。
    しかし、人は聡い。鍋の外に世界が広がっていることも、知ってる。
    我々は、跳び出す蛙です。戻されても戻されても、鍋の外を目指して跳ぶ蛙なのです。なぜなら、我々はエロの本意を知っているから。新たなる世界を求める力を知っているからです。

    ・・し、しまった!ついべらべらと!やってしまったご免なさいっ!!
    あ、呪文堂は露出狂です!神原様の美しすぎるエロスの世界を漂いながら、肌を触れ合うように更なるエロスに合一したいと欲するからですっ
    長文乱文妄想文!大変失礼致しました!

    作者からの返信

    呪文堂さま。やはり、お気遣いさせてしまっていたのですね。言葉足らずで申し訳なかったです。日頃から、小説のストーリーも詳細を省いたり、自分の頭の中だけでわかっていることを皆さん理解していると思い込んだり、残念な脳みそなのです・・・💦

    もちろん、がつがつ読んで下さったら嬉しいに決まっています♡コメントも嬉しくて震えております・・・♡ いつも深い視点と洞察をいただきわくわくしています✨

    大切な誰かのために自分を封じながら、見えるもの、出会える世界がある・・・深いお話ですね。同時に心を自由に羽ばたかせようとすることも、本気で実現させようと決意するならば不可能ではないのかもしれません。

    エロは罪か?生きることは罪なのか?確かに共通するものがありますね。食べることも、他を犠牲にし続ける行為ですね。

    罪とは禁忌。この禁忌という言葉の響きや字面はなぜだか人を惹きつけてやまない心持がするのは気のせいでしょうか・・・?笑

    いけないとされることほど、たまらなく惹かれるものですね。エデンの園に輝く禁断の果実のように。タブーとは、先人が経験していけなかったと教えてくれているものかもしれません。ですがその経験を知らない者は、自身で体験しながら知りたいと願うのかもしれません。

    呪文堂さまは露出狂でしたか♡ さすが文豪エロスの権威でいらっしゃいますね✨ 内側に激しく確かな世界観をお持ちで、いつまでもお聞きしたくなりますね♡ 私もいつも長文になってしまい、どうかと思います・・・お許し下さい。

    いつも熱いコメント、感謝です✨

  • あ、まだここまでの更新。次回、楽しみにしています。

    作者からの返信

    岬さん、いつもたくさんのコメントありがとうございます✨しばらく毎日更新ペースの予定です!