第46話 告白
自宅に戻ると、私はアクセサリーを外そうとしました。
でもその前に、もう一度ゆっくり見てみたいと思いました。洗面所に移動して、鏡をのぞき込みました。
ゴールドとホワイトオパールのイヤリングを眺めながら、ときめいた気持ちになりました。ですがその日の服はネックレスとは合わなかったかも知れないと感じました。もう少し胸元のよく見える服の方が良いかもしれない、どの服なら合うだろうかと自分のワードローブを思い浮かべました。
ですがふと、須藤からのプレゼントに浮かれている自分がはしたなく思えました。
私はイヤリングとネックレスを外しました。心奪われたくなどないのに、手のひらの中で輝く宝石は憎らしいほど美しいのでした。これらは一体いくらするのだろうかと思いました。このように心惹かれてしまうものを選ぶ、須藤の趣味の良いことには気を付けなければと自身を牽制しました。
夕方近くになっていましたが、お腹は空いていませんでした。私はコーヒーを淹れてひとり飲んでいました。自分が運転して南区のレストランへ行ったことや、素晴らしい食事、須藤との会話などについてぼんやり思い返していました。
そして認めなくてはなりませんでした。あの人と過ごす時間の有意義なことを。これまでの自分の生活にはなかった彩りや非日常に満ちていること。思いがけない感情を味わうこと。彼が私のためにすることが心地よくなって、より多くを望んでしまいそうになっていること。
いつしかあの人に惹かれつつある自分を認めたくなどありませんでした。
こんなはずではなかったのに。
あの人が、本当にひどい人ならむしろ良かったのにとすら思いました。悪魔のような人だと思ったし、許せるわけがないはずでした。ですがその後の彼は紳士的に接してくれていて、いつの間にか私の警戒心は緩んでいってしまいました。
メールの着信音が聞こえました。彼かもしれないと思いました。
携帯を確認すると、やはり須藤から長いメールが届いていました。
先ほど私達が過ごしていた時間のことや、彼が感じていたこと、改めて思ったこと、既に私に会いたくなっているといった内容が書き綴られていました。
返信をするべきかどうか迷いました。彼が既に自宅へいたならば、私がメールをすることで彼の家族が気にしないか、心配になりました。
ですがこのように長いメールを打っているならいずれにしても携帯を長く触っていたのだろうと思いました。失礼になりたくなかったので、私も感謝の気持ちを短く丁寧に伝えました。その上で、私が須藤に連絡することはご家族が気にされるかも知れないので、自分からメールをするのは控えたいと伝えました。
間もなく、須藤から電話がかかってきました。一瞬どきりとしましたが、電話に出ました。
「ユリちゃん、いま大丈夫だった?早速電話してしまって申し訳ない。」
少し緊張したような彼の声が聞こえました。
「大丈夫です。どうしましたか?もうお家へ帰っていらしたわけではないんでしょうか?」
彼はいま家族といるわけではないのかと、気になりました。
「今、家の近くだけどまだ外にいるよ。車の中にいる。」
須藤の言葉になるほどと思いました。
「ユリちゃん、いろいろお気遣いありがとう。そして、申し訳ないと思って。」
静かな、そして真剣な声でした。
「そんなことありません。申し訳ないのは私の方です。須藤部長にはご家族もいらっしゃるのに、頻繁にお時間を割いていただいたり、お食事をご馳走になったり、立派なプレゼントまで頂いてしまって。本当はいけないと思っているんです。そんな風に甘えられる立場でもありませんから。」
私は繰り返し、彼には家庭があることを強調しようと思いました。今ならまだ止められる。彼が私を気にかけるほど、私の存在は彼の家族を傷つけ得るのだと自覚していました。
「ユリちゃんが俺の立場や家族のことを気にしてくれる気持ちは嬉しい。」
須藤は静かに言いました。
「いいえ、すでに私は甘えすぎてしまっています。須藤部長が私に良くして下さるほど、ご家族に申し訳なく感じています。」
「妻との関係は既に終わっている。」
乾いた声で、彼は言いました。
「ユリちゃんが俺の家庭を壊すようなことはない。もう、壊れているんだから。」
心を刺すような言葉でした。どんな気持ちで彼は言ったのでしょうか。
「妻はもう愛せない。年季の入った仮面夫婦だよ。でも、娘は愛している。思春期のせいか冷たいものだが、娘は大事な存在だよ。だから、家事や子育てをこなしてきてくれた妻に感謝している。責任もある。」
いつになく核心をついた、彼の言葉でした。
「やはり、須藤部長にとってご家族は大切な存在なわけですよね?私のことなど、気になさらないで下さい。どなたも傷つけたくはありません。」
私は彼から逃げようとしていました。並べられる理由はいくらでもありました。
「俺はユリちゃんを愛している。そんな事を言えた立場ではないのもわかっている。ユリちゃんは心が優しくて、純粋で真面目な人だからユリちゃんを苦しめてしまうことも想像がつく。でももう隠してはいられない。言わずにいられないんだよ。」
すぐに返事ができませんでした。私を愛しているなどと。たやすくそんな事を言うべきではないと思いました。
「俺はひどい人間かも知れない。本当にろくでもない男だよ。だけどユリちゃんの前では自分らしくいられる。もう隠せないし、偽りたくない。ユリちゃんを愛しているよ。」
しばし言葉が出ませんでした。彼の気持ちは既に知っていたつもりでしたが、はっきりと言葉にされ、ショックを受けていました。
「・・・いけません、須藤部長。」
私はやっと声を絞り出しました。
「それはいけないことです。」
息を殺していました。何故だか鼻の奥がしめつけられるような感覚がして、涙が出そうになりました。
「もう切ります。今日は、ありがとうございました。」
声が震えました。素早く通話を切り、電源も切りました。なのに。
俺はユリちゃんを愛している。
須藤の言葉が私の中にとどまっていました。
私の内側で繰り返し響いてくる彼の声が、私の心を乱していました。
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