第39話 困惑

翌週末、須藤はいつものように私を迎えに来ました。コンビニで待ち合わせをし、それまでは須藤が練習する場所まで連れて行ってくました。ですがこの日は最初から私が運転するように勧められました。


それまで週に1度のペースで練習していましたが、前回休んでしまったので2週間ぶりでした。日数を空けてしまうと、運転するのが少し怖いような気持ちになっていました。


「ここからの運転だと、ちょっと怖いです。まだこのへんは走ったことがないんです。」


私が躊躇していると、須藤はここぞとばかりに言いました。


「ユリちゃん、先週休んだから調子が狂っているのかい?だから練習しようと言ったのに。本当は先週のうちにここから走ってもらおうと思っていたのに。」


須藤は怒った様子ではなかったものの、決まり悪い思いがしました。


「すみません。いつものように、移動してから練習ではいけませんか?」

すぐに運転するのは気が進まず、尋ねてみたものの、須藤は譲ってくれませんでした。


「ダメだよ。ユリちゃんはもうできるはずだよ。俺が案内するから、その通りに走れば大丈夫だよ。」


私は渋々運転席へ座りました。先週会わなかったことを根に持っていたのか、この日の彼は少し厳しいような気がしました。


緊張しましたが、気を取り直して車を発進させました。

少し走ると気持ちが落ち着いてきました。やはり、車を運転できるのは嬉しい気持ちになりました。


「調子が出てきたね。でも最初は怖そうだったじゃないか。やっぱり練習を休むのはいけないよ。週に1度では少なすぎるから、土日の両方でも良いと思うけど。」


以前からそのように言われていましたが、何かと理由を並べ、須藤と過ごすのは土日のいずれかにとどめていました。


「須藤部長、ご家族もいらっしゃるのですから、せっかくの週末を私のことで時間を割かれるのはどうかと思うんです。ご好意は大変ありがたいのですが・・・」


「俺がいてもいなくても、家族は気にしないよ。ユリちゃんと会っている方がいい。運転も上手くなってきたし、教えがいがある。ユリちゃんと過ごすのは楽しいからね。」


須藤は何気ない風に言いました。無意識でしたが、私は彼に言わせたかったのでしょうか。彼の家族について言及しながら、家庭よりも私を求めていて欲しいと、自分でも気付かぬまま、秘かに期待していたのかも知れません。


その反面、彼に冷ややかな気持ちを抱いてもいました。私に対するほどの熱心さで家族に接すれば、冷えた関係を回復できそうなものなのに。そう思わないでもありませんでした。


「ユリちゃん、明日も練習するのはどうかな?できるだけ慣れておかないとね。」


また須藤は決めかかっていましたが、翌日は勉強するつもりだと伝えました。須藤は笑いました。


「そうだ、言おうと思ってたんだ。試験の件だけど、もう勉強しなくても大丈夫だよ。昨日で募集の締切りだったけど、希望者がユリちゃんしかいなくてね。どれだけ営業は人気ないのかと思ったよ。」


須藤は笑いましたが、私は慌てて問い返しました。


「待って下さい。私以外には応募がなかったということですか?」

須藤は満足そうな笑みを浮かべました。


「そういうことだよ。ユリちゃんの不戦勝。一応、形式的に筆記試験と面接は受けてもらうけど、不正でもなんでもなく、ユリちゃんが社員になるしかないわけだ。希望者がひとりしかいなかったことは他の人に言わないように。俺もまだごく一部の人にしか伝えていないから。」


須藤の言葉が上の空で聞こえていました。確かに、あり得ることでした。同僚の先輩達がそうだったように、たとえ正社員になれるとしても、営業職を敬遠する人は多いはずだと思っていましたが・・・ですが、本当に誰もいなかったことには拍子抜けしました。


それも当然だったかも知れません。今でこそ女性の営業社員は珍しくないものの、その当時、自ら進んでその職に就こうとする人はほとんどいませんでした。転職の求人を見ても、営業職ならば正職員を募集していますが、そのような職種を望まないからこそ契約や派遣という条件でも内勤の事務職を望む人が大部分なのですから。


「だからね、筆記試験の勉強はもう頑張らなくていいよ。もうユリちゃんに決定しているから。仕事の引継ぎなどで忙しくなるかも知れないが、ユリちゃんは晴れて正社員に、俺の部下になるんだよ。」


須藤は嬉しさを隠し切れない様子で私を見つめていました。この人は本当のことを言っているのだろうかと疑いそうになりましたが、いくらなんでもそんな嘘はつかないはずだと思い直しました。


「おめでとう。まだ正式ではないけれど、前祝いをしたいぐらいだね。ユリちゃん、そんなに驚いたのかい?」


「すみません。まだ、ちゃんと消化できなくて・・・そうなんですか。他に、希望の方がいなかったんですか・・・でも正式にお話があるまでは、内密にということですね。」


「そういうことだよ。運転だけでなく、ユリちゃんに教えるべきことはこれからますます多くなる。今後の打合せもしたいから、なるべく土日は空けて欲しいと思っている。ユリちゃんの事は俺が責任を持って、立派に育てたい。」


いつの間にか、彼は私を追い詰めていました。どのように立ち回るべきか、すぐには答えを出せずにいました。

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