第34話 逢瀬

海のよく見える窓に面したカウンター席を案内され、私達は座りました。

この日はよく晴れていて、海の青さや波の白さが輝いて見えました。くっきりと鮮やかな風景の色に心打たれ、ときめいた気持ちになりました。


「こんな景色に出会えると、まるで旅行に来たかのような気分になります。初めての場所って、小さな旅行のようなものかも知れませんね。」


先ほど暗い気持ちになったことが既に癒されたような気がしました。この美しい眺めを共有するのが須藤という人であることは複雑な気持ちでした。沙也と来られたら良かったのに、と思いました。


「俺はユリちゃんとほんとの旅行がしたいけど。もっと遠出することもできるんだけどね。」


須藤が願望を口に出すことに慣れつつありました。


「会社の仲間たちと企画してみるのも良いかも知れませんね。佐々木さんとか、前田さんや、真矢ちゃんも誘ってどこか出かけたら楽しそうですよね。」


日頃、社内でもよく話す、居酒屋で飲むことの多いメンバー達の名前を出しました。


「ユリちゃん、切り返しが上手くなってきたね。俺はまあ、そんな風でもいいよ。最初はみんなで・・・っていう手もあるね。」


「ここのランチ、いろいろ選べるんですね。須藤部長は何にしますか?」


私はメニューを眺めながら話を逸らしました。前菜と、数種類の中から選べるメイン、選べるデザートと食後の飲み物という構成でした。


「へぇ、セットになっていて選べるんだ。値段も安いんだね。俺もデザートを選んでいいのかい?女の人だけじゃなく?」


須藤の言い方に笑ってしまいました。価格は立地のせいか、私が普段行くカフェよりも割高でしたが、魚介やお寿司屋さんへ行く機会の多い彼には安上がりなのでしょう。


「須藤部長もデザートを食べていいんですよ。スイーツはお好きですか?ガトーショコラか、ティラミスか、抹茶のパフェか・・・どれも美味しそうですね。飲み物もコーヒーや紅茶、ハーブティーも選べます。ホットでもアイスでもいいですよ。」


物珍しそうにメニューを眺める須藤に説明しました。先日の和食店では私が緊張する側でしたが、カフェに関しては私の方が先輩なのだと妙な優越感を覚えました。


「カフェってこういう感じなんだね。ユリちゃんと来れて良かったよ。やっぱりオヤジだけじゃこんな所来れないよ。デザートを頼むのもいいのかなって思っちゃって。」


須藤の慣れない様子が、リアクションが新鮮でもありました。

いつしか、自分ではそうと気付かないほど少しずつ、私は彼に心を許していました。


その後も私は運転の練習を続けました。土日のいずれかを練習日として、須藤とほぼ毎週会うようになっていました。彼と会うことはある種のプレッシャーを感じないわけではありませんでしたが、少しずつ運転できる範囲の広がることが面白くなっていました。


須藤は練習のためのコースや昼食スポットなどを下調べしてくれていて、郊外の知らないエリアへ連れて行ってくれました。初めて走る道や訪れるお店など、毎回新鮮な気持ちで練習に臨むことができました。彼もそういった週末を楽しみにしているようでした。


彼が私に運転を教えたり、カフェに行くだけで満足しているわけではないのは勿論わかっていました。ふたりきりの時、須藤は私に対する気持ちを隠そうとはしませんでした。後になってみれば、この頃の彼はおそろしいほどの忍耐力で私に接してくれていたのだとわかります。ですが楽しい期間でもあったと彼は言いました。

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