第31話 練習
翌日の日曜、前回と同じ場所で須藤と待ち合わせをしていました。例のコンビニへ向かうと、駐車場には既に彼の車が待機していました。
「すみません。お待たせしていましたか?今日もお世話になります。」
助手席に乗り込みながら須藤に声をかけました。
「おはよう。さっき着いたばかりだよ。ユリちゃんがやる気になってくれて嬉しいよ。今日はしっかり練習するからね。」
須藤は弾んだ声で言い、上機嫌でした。彼の方がはりきっているように見えました。
「今日のユリちゃんも可愛いね。会社の制服姿もいいけど・・・私服を見るとなんだかドキドキする。本当に今日が待ち遠しかった。」
会うなりそのように言われて、なんと言葉を返してよいのかわかりませんでした。須藤は不躾なほどに人のことをじろじろ見て、浮かれているようでした。
「困った顔をするよね・・・そこがまた、ユリちゃんらしいけどね。わかってる。ユリちゃんは真面目な人だから。そういうところがいいんだけど。」
彼は含みのある笑顔でこちらを見ました。ある種の攻撃のように思えてやりにくい気がしました。
「須藤部長、酔っていらっしゃるわけじゃありませんよね。まだ私は運転を変わるわけにはいきませんが・・・」
彼の率直さに、怯んでしまいそうでした。
「もちろん飲んでないよ。ごめん、こうやって会えるのがね・・・楽しみにしていたから。ちょっと舞い上がってしまって。」
反省したように言う姿が、少しいじらしく思えました。思いがけない気持ちでした。ずっと年上のこの人が、なんだか可愛く見えたのです。そんな自分に対しても、複雑な気持ちでした。
「こちらこそ、いつもお世話になりっぱなしですみません。きちんと仕事でお返しできたら良いのですが。資料作りはともかく・・・営業のお仕事で戦力になれるとも思えなくて・・・」
歯切れ悪く言いながら、また自信がなくなってきました。
「仕事じゃないところで返してくれてもいいけど。」
小声でさり気なく言われて、また言葉に詰まりました。須藤はからかうような笑顔になりました。
「また困った顔になったね。ごめん、そんなつもりないから・・・と言ったら白々しいかもだけど、本当にそんなのは気にしなくていいから。できる事から少しずつ始めればいいよ。ユリちゃんはまず、運転の練習からだね。俺は喜んで手伝うよ。」
須藤は嬉しそうに私を見つめました。私はこの人を利用しようといているのに、こうも嬉々として言われると複雑な気持ちでした。このように尽くしてくれるのは、私のことが好きだから?私に恋をしているから?下心があるから?
貴之のことを思い出していました。かつてはあれほど優しく、私を大切に扱ってくれた昔の人のことを。思い返せば、付き合う以前の頃が一番楽しかったかもしれません。まるで理想の人のように思えたものです。
少しずつ、彼は別の人になってゆきました。冷たく、批判的で支配的な・・・
典型的なモラルハラスメントの男が私の元夫でした。
「公園周りで練習した後は路上でも少し練習しようか。疲れたら昼食にしよう。また小樽方面で魚介の美味しい店もあるし、ユリちゃんの好きそうなカフェも調べて来たから。ユリちゃんの行きたい場所にしよう。」
須藤は楽しそうに話しかけてきました。
いつまでこの人は私に優しくしてくれるのだろう。いつまで紳士でいてくれるのだろう?安全なうちに逃げ切れるのか、それとも・・・?
私はいつしか危険なところまで来てしまっていて、気付いた時には引き返すのもまた危うい道のりになるかもしれない。ふと、そんな予感がしました。
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