第18話 申し出
公園から歩いてすぐのカフェを見つけて入りました。4人がけのテーブルに向かい合って座ると、以前は会社帰りの居酒屋で他の同僚や、あるいは二人きりでも食事をしていた頃を思い出しました。
ですが今は、少し空気が違うのです。あの頃気付いていなかった彼の気持ちが、その時はもうはっきりと伝わってきました。
「寒かったですよね。大丈夫ですか?温かいものを注文しましょう。」
須藤は言葉少なめでしたが、彼の表情からは喜びがあふれていました。
「気にしないで。体は丈夫な方だから。もう寒くないし、ユリちゃんが優しくしてくれて嬉しい。」
そんな彼の言葉に、少し気づまりになって目をそらしました。
ですがこの日は、彼に伝えたいことがありました。飲み物の注文を終えると、用件を切り出しました。
「実は、須藤部長に相談があります。今後のことなのですが・・・」
須藤はいくぶん緊張したような表情になりました。
「私はいまの会社で働けることを有難く思っています。社会復帰できたことが嬉しくて、仕事もやりがいがあります。ですが契約社員という立場なので、心もとないんです。契約期間は1年で更新となっていますが、毎年更新できるかもわかりませんし、更新期間は長くとも5年間だと聞いたことがあります。」
須藤は沈黙し、促すように私を見返しました。私は続けました。
「いまの会社で働き続けたいのですが、将来的には不安ですから、正社員になれる道があるなら知りたいんです。須藤部長は良い方法をご存知でしょうか?あるいは別の会社へ就職活動をするべきなのか悩んでいます。その場合、須藤部長は取引先など色々な会社をご存知でしょうから、情報があれば教えて頂きたいんです。」
須藤は時おり相槌をうって、話を聞いていました。そして考えるような表情になりました。彼が今まで、私のためにできることをする、と言っていたことを本当に実行してくれるのか、賭けてみたいと思い始めていたのです。
「そうだね・・・確かに、うちの会社にも契約社員から正社員への登用制度がある。それは確かだし、たまにはそのように社員になった人もいた。」
ですが須藤は顔を曇らせました。
「でもそれはかなり狭き門だね。正社員になれる場合も、まずは何年か契約社員として働いて、それから上司や周りの推薦なども必要だったはずだ。ユリちゃんはまだ、契約社員になって1年も経っていないね。」
須藤の言った通りでした。私は就職をして、まだ10ヶ月程度でした。
「その通りです。やっぱり、正社員になるというのはとても難しいんですね。」
難しいことだと思ってはいましたが、改めてわかると落胆しました。会社も仕事も好きでしたが、正社員になりたいと思うのは叶わぬ夢のようでした。
「この先も自立して生きてゆくためには、今からでも他の会社へ正社員として職を探すべきなのかもしれませんね。」
そう言いながらも、今の会社を辞めるのは嫌でした。上司や同僚との人間関係も良く、仕事もやりがいがあったので、また新たに就職活動をするのは気の重いことでした。
「方法が全くないわけじゃない。」
須藤は私を見つめました。
「契約社員という立場では心もとないのは当然だね。俺もユリちゃんに、もっと安心して働いてもらえるようになって欲しい。俺に少し時間をくれないだろうか。できるだけのことをやってみるから。」
須藤はいろいろ考えているような表情でした。私は彼に、どんなことができるのかと思いました。信じられるのかとも。ですが、はじめからだめでもともとの申し出でした。
「また、こんな風に二人で会うことができますか?正社員になるための対策として、いろいろ相談することも出てくると思う。」
須藤の言葉に、少しがっかりしました。彼は本当に私の願いを叶えようとしているのか、あるいは私と会うための口実に、言ったことを利用しようとしているのか。
彼を信じて良いのかもわかりませんでした。悩みや望みを言うべきではなかったのかもしれないとも思いました。ですが私にはもともとなんのチャンスもコネもありませんでした。賭けてみるしかないのだと。
「力を貸していただけるのであれば、もちろんお会いできます。今日はお酒を飲まずに来ることができました。須藤部長と話せるようにもなってきました。社員になれるのでしたら、どんな努力でもしようと思います。」
「だったら、なんとかなるかもしれない。その時には・・・」
そう言いかけて、須藤は口をつぐみました。彼が何らかの見返りを要求をするのではと、私が一瞬顔を曇らせたからでしょうか。
私は拒絶の表情を浮かべてしまっていたのかもしれません。
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