第9話 絶望
このような書き方は、彼にとって公平ではないかもしれません。私の書くことはすべて私の主観でしかありません。私は私の体験したことを綴り、彼は彼の見た世界を、彼の感じたことを綴ったにすぎません。ですがそれはあまりに残酷な描写でした。私をさらなる絶望へ追い打ちをかけて余りあるものでした。
彼の書いたことを一字一句、正確に書くことはできませんが、記憶を頼りに書けば、このような内容でした。
彼は私と初めて会った時から、男女の関係になることを望んでいました。
会社の面接を受けに来たその日から、すでに私を性的な対象とみなしていました。
まずは私の容姿を気に入り、私と話したり接するうちに、さらに強く惹かれるようになったということでした。
彼は私から良く思われたかったし、彼なりのアプローチを続けていました。飲みに行くことや食事に誘うことも、すべて私と親しくなりたかったから。それでも一定の距離を保とうと心がけていたと言います。
そんな彼に対して、私の反応は・・・
彼の目に映る私は、私が自分に抱いているイメージとはまるで違っていました。
須藤に対して私は、素直で、従順で、誘えば快く付き合い、話をすれば盛り上がり、打ち解け合える。夜遅くとも、ふたりきりでも誘いに応じる。酒を飲んだ後、誰もいないであろうオフィスへ踏み込んでゆく。
彼の書いたことを正確に再現することはできませんが、彼に映る私とは、彼に好意を抱いていて、彼が次の行動を起こすことを期待しているように見える、情欲を搔き立てるばかりの存在でした。須藤の側から描写されると、私はそんなつもりは毛頭なかったのですが、彼が勘違いしたのは無理もないと思えるほどに従順で思わせぶりなのでした。
違う、違う・・・!私は彼と男女の関係になりたいなどと、少しも望んでいなかった。あの人が自分にいいように解釈し、勝手な期待を膨らませ私を襲った。それが私にとってのすべての事実です。ですがそんな私の思いに構うことなく彼は残酷な描写を続けます。私は怒りと屈辱にふるえながらも、そのメールを読むことを止められませんでした。
そしてとうとう、最も耐え難いところまで彼は書き綴るのでした。私の記憶も断片的な、あのおぞましい夜の時間を、彼は容赦なく描写しました。
彼が私に抱きついてきたあの瞬間。驚き、戸惑い、恐怖のために漏らした声すら彼にはこの上なく、甘く悩ましく聞こえたことを。
彼が私の身体に触れたとき、私の拒絶の言葉は、むしろ煽情的な力をかざして彼の欲望を掻き立てたことを。
彼に触れられた私は、あまりに感じやすく、いとも簡単に理性を失ったことを。
彼の指や舌の動きに私は喘ぎ、身体は率直に、激しく反応し、後戻りすることなどあり得なかったことを。
最初私は欲望を抑えようとしながらも、すぐに耐えきれず彼の愛撫を受け入れたこと。
その描写は、記憶を失っていた間の私の有様はあまりにも淫らで、須藤が私にする行為を歓び愉しんでいたと。彼は狂喜して私を悦ばせることに夢中になったのだと。
何度も絶頂へ上りつめた後、突然、私が犯されたと言い出したこと。夢から覚めたように、悦びの時間が悪夢へと変貌し、殺してくださいと言ったこと。
酔っていたためだと思い当たり、私に状況を説明したこと。私は存分に感じていたから、すごく濡れていて、つながるのはたやすかった。彼を吸い尽くし覆いこんだ私は再び感じ、大きな声をあげて昇りつめ、互いに果てたこと。
ここまで、私はましな書き方をしましたが、彼の描写はもっともっと卑猥で残酷でした。彼の綴る私とはおそろしく淫らで妖しく、悪意を感じるほどにエロティックな表現ばかり使われていました。彼の欲望がそのまま伝わってきました。秘かに抑えていた欲望が、やがて露わになって暴れ出す過程を嫌というほど理解できました。再び彼に犯されたような気がして、おぞましさに涙が出ました。
あの出来事はあまりに衝撃的で、あまりに耐えがたかったせいか記憶がところどころ失われていました。読みながら、そんなはずはない、私の記憶がないのを良いことに、作り話をしているのだと初めは思いました。ですが読むほどに、少しずつ記憶が蘇ってきたのです。
それは私をさらに深い絶望の闇に追いやりました。
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