5 歓談と交渉
ベッド。クローゼット。南向きの細長くて小さな窓があるだけの客間に、庭向けの丸テーブルと、そろいの椅子が置いてある。
陽王エドワルドは、扉が開いた瞬間にその椅子から立ち上がったようだった。
腕を広げる陽王を前に、謁見者たちは予習したとおりに跪こうとして、他でもない彼自身に止められた。
「野暮なことはよそうじゃないか。これは非公式だ。無礼講といこう」
クラーク夫人は目を白黒させて、震える声で言った。
「お、畏れながら申し上げます、陛下。どんな場面にしろ、わたくしとこの子はあなた様の臣下です」
「それは致し方のないことだ。では発想の転換というのはどうか? イメージさ。我々は魔法使いなのだから、イメージの大切さは骨身と血に浸み込んでいる。そうだろう? ヴァイオレット・ライト。変身術の最年少の権威とされるきみならば? どうする? 」
エドワルドは大げさな身振りで場を支配すると、ゆっくりと部屋を横断しながら、ヴァイオレットを指名した。
吐き出そうとしていた息を呑み込んで、ヴァイオレットは首と頭をひねる。
「えー……。あー……。おそれながら、陛下。わたしは……えっと」
「変身するとき、きみはどうしてる? 」
「変身するときは……そうですね。イメージするのは、何になりたいかより、何をしたいかを考えます。だからわたしが変身する鷹は、ふつうの鷹よりすこし違うところもあったり……していますわ」
「素晴らしい! 実在の鷹をベースに、この世に無いハイブリットな鷹をイメージしているというわけだね? ではこの応用は、君には簡単だろう。『私はエドワルド・クロワ。ミリアの兄で、ヴァイオレットの母方の伯父だ。君たちは異国の友達を連れて、遠方に住んでいる初対面の伯父さんと午後のお茶をしにやってきた』さて、そんな姪が私にいうべきことは? 」
「……『はじめまして伯父さん。お会いしたかったわ』……ですか? 」
「Perfectをあげよう! そして
「『伯父さん、ずぅっとお会いしたかったわ! 』」
「『おお姪よ! もちろん私もだ! 』」
陽王はレスリングの練習のような勢いで突っ込んだヴァイオレットを、満面の笑みで受け止めた。
「昨日は楽しみすぎちゃってぜんぜん眠れなかったわ! 」
そこは七割くらい本当のことだな、と、アルヴィンは彼女のノリの良さに感謝しながら、ため息が漏れないこの体に感謝した。
(政治的な話ができる流れになればいいんだけれど)
夫人に恐縮されながら、シオンが魔法でティーセットをセッティングすると、ガーデンテーブルにようやく腰を落ち着かせることができた。
五分ほど、親戚のていを成した話題が続いただろうか。
クラーク夫人は、すっかりカチコチに固まっている。シオンはお茶をすすりながら、たまに短い相槌を打つばかりで、話には入ってこない。
もっぱら花を咲かせる二人の話題の流れは、ヴァイオレットの両親の近況から若い頃の話に移り変わってしばらくたったところだった。
「あ、そういえば伯父さん。アルヴィンのお父様のレイバーン様は、ひいお爺様の近い御親戚だとのこと。なら陽王家とアトラス家って親戚ってことになるのかしら」
「ンン……まあそうなるね。……いろいろ非公式な関係が挟まってるが」
陽王の弁舌が、はじめて失速した瞬間だった。
「お母様と伯父さまは兄妹でしょ。あとレイバーン様とひいお爺様も、たしか兄弟なのよね? 」
「ちょっとそれ誰から聞いた? 」
「ひいお爺様からよ。国家機密らしいけど、ここならいいじゃない。ねぇ、じゃあ、わたしとアルヴィンって、そんなに遠縁でもないのよね。これってなに? はとこって呼べばいいの? 」
「そ、そうだな……えーと、なんだっけ……いや、貴族というものはだね、こうした呼称に詳しいものなんだが……夫人、分かるかい? 」
夫人はぷるぷると首を振る。
すかさず夫人の隣から正解が告げられた。
「おそれながら、それは確か、従兄弟大叔父では? 」
「それだ! コナンくん、ありがとう。そうだ従兄弟大叔父だ」
「ありがとうペローさん。頭の中がすごくすっきり」
「お役に立てて光栄です」
会話の糸口をつかんだコナン・ペローは、ちらりとアルヴィンを見て、言葉尻をねじこむことに決めたようだった。
「そういえばクロワ殿は、たいへん我が国の伝統にご興味がおありだと聞き及んでおります。どのようなものがお好みでしょうか? 」
「それはもちろん、語り部の紡ぐ『伝記』だろうね。あれは素晴らしい読み物だ」
「ええ、我が国の誇りの一つと言えましょう。我々のような城に務める官僚にとって、語り部の視界に入ることを、何よりの誇りとする者も少なくありませんでした」
さりげなく使われた過去形は、切なげな響きをもっていた。
「お気の毒なことですわ」
クラーク夫人が沈痛な面持ちで漏らせば、話通しだったエドワルドも、次の話題にうつる姿勢になったように見えた。
深い茶色の瞳でジッと並んで座るコナンとアルヴィンを視界に納めた王は、うながすように尋ねる。
「すると……やはり、フェルヴィンは壊滅といっても差し支えない現状か」
「『壊滅的』ではありますが、『壊滅』はしておりません。それが主君の認識です。最下層にて大陸に散らばる九万の臣民は、『石の眠り』により、しばしの眠りについただけなのです。その命には、いちぶの脅威もおとずれておりませんし、魔法が解けるその日まで、グウィン陛下は生き残ったものと一丸となり、アトラス王家の責務をまっとうする所存でございます」
コナンはそこで一度言葉を切り、陽王の出方を見た。陽王は相槌を打つわけでもなく、じいっとコナンとアルヴィンを眺めている。右手は軽く顎に添えるだけの頬杖をついており、話に集中しているようにも、上の空のようにも見えた。
コナンは、王が好意的な反応を見せてくれることを願って話を続けた。
「私個人も、本来ならばこのように彼らを過去のもののように言いたくはないのです。けれど彼らは、すべての試練が終わらなければ、死人も同然といえることも事実でしょう。起きているフェルヴィンの国民は、もはや六人。陛下と殿下たちの肩には、そのうえこの世界の命運さえかかっています。この問題はもはや我が国のものだけに留まりません――――」
コナンは唇を舐めた。汗で塩辛い。相変わらず、陽王の態度は壁に話すように変わらない。
「私もここにいるアルヴィン殿下も、父と友を喪いました。その命は試練が終わっても戻ることはないでしょう。同じことが陛下の御身にも降りかかる前に――――」
「わかった。もういい」
と、エドワルドは唇の前に指を立てた。
「……やれやれ。アルヴィン殿下。使者にはもう少し話が短い人物を選んでほしいものだ。そういう貴方は、ずいぶんと静かすぎるがね」
「おじさま、アルヴィンは……」
「いやいや、ヴァイオレット。彼は国を代表してここに来たんだ。顔を隠すのは無作法というものではないかね。ホストに無作法を指摘させないでくれよな」
不機嫌そうに脱力したエドワルドに、アルヴィンは頷く仕草を見せてからフードを肩に落した。
『お見苦しい姿ですから』
「お見苦しいもなにも、透明じゃあないか」
『彼をお許しください。国を想うあまり気が逸ったのです。目の前でお父上を殺されて日がたっておりません。自分の役割に集中することは難しいはずです』
アルヴィンに目は無いというのに、陽王とは視線が合ったと感じた。
深い茶色の瞳。琥珀のような色をした瞳だ。
空に書いた光の文字列を、視線でなぞる仕草もなかった。
アルヴィンは頭の中で無数に浮かぶ単語の波から、書き出すべき言葉を探す。
『あなたの目が琥珀色をしているように、僕の瞳は青い色をしていました』
『外套を脱がなかったのは、まぶたの無い僕には、あなたの強いまなざしから逃げることができないからです』
『けれど僕は、あなたに認められるために来たことを思い出しました』
『語り部も肉体も失った僕は、もはや自分がフェルヴィンの皇子だと証明することができません』
『それでもあなたは、最初から僕をフェルヴィンの皇子として扱った言葉を交わしてくださいました』
『ご存じだったのでしょう』
『フェルヴィンで何があったか。僕がアルヴィン・アトラス本人であることも』
『僕が【星】の選ばれしものになったことも』
『僕にとっての一番悪い想像は、あなたが僕らをペテン師扱いすることだった』
『あなたは態度で、すべてご存じだと僕らに示されました』
『使者として、今日はこれ以上のことは望みません』
アルヴィンが話し終わると、エドワルドはゆっくりと机の上に指を組んだ。
「私は仕事柄、正直者も謙虚な者も、出会うことが難しい。きみは正直者で謙虚だが、欲深い人だね」
エドワルドの顔にゆっくりと、笑みが広がった。
「いいだろう。きみの兄上の話を聞きたくなった。二週間後、年明けに王宮で、新年を祝うために貴族が集まる式典がある。あとで招待状を用意させよう」
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