五節【つるぎか王冠】

5 陽王エドワルド



 偉大なものになりたかった。




 王にかぎらず、『なにか』を続けるというのは、『箒にずっと乗っていること』に似ている。

 地上に降りることはできず、食事や睡眠も箒の上。他の『なにか』と違うのは、王という役割には、永続飛行をサポートする人も付いてくるということだろう。

 彼らはそのサポートのために生まれてきたようなもので、父から子へ、または上官から下官、または師から弟子へ、その役割(なにか)は継承されていく。


 そのために生まれたというのなら、王族もそうだ。

 箒に乗り続け、地上に降りることは許されない。(つまり特別であるために生まれ、特別であるために生きなければならない。)

 降りるとしても、許可制だ。

 家臣たちは人生を掛けて尽くしてくれるが、飛び続けることを望んでいるから。

 時には垂れ流す糞尿で、家臣の手を汚す恥辱に耐えながらも飛び続けなければならない。


 まだその役割が華々しく名誉で、無条件に偉大だと、愚直に信じていたころは、あの冠と杖に憧れたものだった。

 実情は張りぼてだ。虚飾にまみれてでも衰える姿を見せることは許されない。箒に体を縛り付けてでも、雷雨の中を飛び続ける職務。


 魔法使いの国は、大きな岐路に立っている。


 軍事、産業、文化……すべてに依存される魔法は、外の国を知るごとに衰退していくのに、外海との繋がりを断てば、いずれ殺されるという矛盾。

 魔法使いが魔法を失えば、残るものはささやかだ。きっと二代先には国名を改めねばなるまい。


 どちらを選んでも衰退の道しかない。箒にまとわりつく家臣たちも二分している。どちらかを選ぶのは陽王の役目で、いつだまだかと人々は急かす。

 陰王は、国がはじまったその頃から国政に手を出せない契約だ。その点だけ、陰王という職務は陽王の職務より気楽なものだろう。

 陰王は国を創ったが、とどめをさすのは陽王―――――。

 きっと最初からそう定められていたから、こんなシステムになっている。陰王は三千歳を超えるが、今代の陽王はまだ四十年も生きていないというのに。


 ――――なんて馬鹿らしい!!!



 偉大なものになりたかった。

 物語のヒーローのような男になりたかった。

 誰もが納得するハッピーエンドは幻想だった。


 私の中にいる子供の私が、ずっとそのことに絶望して泣いている。


 希望はどこにある?




 ✡




 『杖専門店 銀蛇』は、四階建ての、細長い建物だった。

 らせん階段をシオンが先導して二階ぶん上がる。

 一階は店舗と工房があるため、二階にはキッチンとリビング、バスルームが押し上げられた形になっているらしい。

 キッチンとリビングと廊下をさえぎる扉は取り払われ、ソファの置かれた家庭的なリビングとその奥にあるキッチンの端っこが、通りすがりにも眺めることができた。

 家の中心を突き抜けるらせん階段の終わりになる三階は、二階と違って、ドアを開けなければ廊下と落下防止の柵しか見えない。

 廊下にふたつ、奥にひとつのドアが並んでいた。脇の扉は私室らしく、『アイリーン』『エリカ』と、それぞれの部屋主の名前が並んでいる。

 突き当りにあるのは客間だろう。そのドアと、『エリカ』と札のついた部屋との間に、暗がりへと昇っていく細い階段があり、四階へと続くようだった。

 ヴァイオレットは、予感したようにその階段前で目を凝らして歩調を緩めた。

 シオンがすかさず、にこりとして言った。


「屋根裏は、むかしはおれが使ってたんだけどね。今はサリヴァンくんの部屋だよ」

「そうですか」


 ヴァイオレットは予想に反し、アルヴィンが初めて聞くような固い声で言った。

 てっきり声を弾ませて食いつくと思ったら、『そうですか』を発する前後のすべての仕草が、兄への興味を断ち切ろうとしたようにも見えたから。

 そういえばアルヴィンは、彼女から兄の話を聞いたことがほとんどないことに思い至ったが、(……飛躍しすぎか)と思い直した。


 アルヴィンのほうはといえば、彼自身も驚くほど気持ちが落ち着いていた。

 やるべきことは分かっているからだろう。そのやるべきことに、陽王の人柄などは、今回に限ってはあまり関係がないことも理解していた。

 陽王は、遠い国で何が起こったかを理解せざるを得ない。それが今日か、今日以降のどこかかは分からないが、『最後の審判』による試練で滅びかけた国が生まれた事実は、陽王に何かしらの行動を促すことだろう。

 それがフェルヴィン皇国にとっていいように交渉をするのはアルヴィンの兄たちのすることで、アルヴィンは、自分自身を証拠として陽王に提示するだけでいいのだ。

 それがわかるくらいには、アルヴィンも皇子としての公務を理解しているし、わかるくらいの教育を受けてきた自負があった。もちろん、兄……とくに三男のヒューゴからの、実際の指示もあった。


 素朴で実直な長兄。社交的だが型破りの姉。社交的ではない次兄。

 社交性を一身に宿した三番目の兄ヒューゴは、外交大臣のもと手ずから学び、その才能を発揮している。ヒューゴは国を出ない父に代わり、国外での活動の旗印として、フェルヴィンより上の国々を飛び回る男だ。

 そんな彼は、隣国の王である陽王にも、何度も顔をあわせてきていた。

「さっぱりとしたいい男だよ。陽王は」

 そんなヒューゴによる、陽王評はこうだった。

「抜け目のない人でもある。賢い人だし、ユーモアも抜群だ。あの人のフレンドリーと無礼の境のバランス感覚は参考にしたっけな……。目の前に迫った危機を、個人感情で無視するような人ではないと思うが、慎重に理を詰めてから行動する傾向があるのは、十三年前の内乱鎮圧までの流れを見てもあきらかだ」

 短く整えた顎髭をさすり、ヒューゴはアルヴィンに説いた。


「つまり……見た目より熟考するタイプってこと。見た目はホット、中身はクールに人だ。ああいう王様は、ピンチに強くて平和には向かないっていわれるもんだがな。でも内乱を治めたあとも、わりかし国民からの支持が高い。俳優なみの色男ってのもあるが、何より自分を良く見せることが抜群にうまいんだ。うちの兄貴(ヒューゴがこう呼ぶのは必ず長兄グウィンのほうだ)にも見習ってほしいもんだね。兄貴のあの眼鏡の趣味はやべえよ。私服もそうだ。震えがくるほどやべぇ。おまえもそう思うだろ? 」

 ヒューゴはニヤッとした。

「自分を良く見せるってのは、うちの兄弟じゃ、そのへんは俺とアルヴィン、お前が得意だと思ってるぜ。末っ子は甘え上手っていうもんだ。自分を客観的に見ることに長けてる。――――つまり、外交向きなのさ」






 客間の扉がシオンの手によって開く。

 偉大なる陽王・エドワルド・ロォエンに、アルヴィンが得た第一印象は、『思っていたより背が低い』だった。

 彼はヴァイオレットと頭一つも変わらない。豊かな金茶の髪を肩に垂らし、小麦色の肌で笑い皺のあるハンサムな王は、着古した仕立てのいいシャツを市井の人々のように気崩していた。


 まず彼は一言、「やあ」と言った。

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