2 ココ・ピピ
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ハッと目を開く。
暗闇の中で、クロシュカの手は自然と折れた角に伸びた。
表面は鉄より固く頼りがいがあるのに、断面に触れると、尻の奥がゾワゾワする感覚がある。
やすりをかけられたように滑(なめ)らかな断面が、忌々しい記憶を象徴する。胸の中が騒いだ。
舌打ちをして、また寝台に丸くなる。
二度寝をしても、クロシュカの機嫌は損ねたままだった。
朝食を皿の上でかき混ぜながら、クロシュカは頬杖をついて喉の奥を鳴らした。
夜のこともあるし、息子のことも大いに関係しているし、食堂の椅子が固いせいもある。
この船の乗組員はほとんどがケツルの船乗りで、ケツルは骨格的に、あまり椅子に座らない。
食堂の床に固定された、鉄板のような長テーブルには、端に五脚だけ、座面が小さい固い椅子があるばかり。
横幅のあるコネリウス、クロシュカ・ジュニアはもちろん、ひとつ席を空けて座るクロシュカ・シニアも、コネリウスが身じろぎするたび、肩やひじに当たりそうになる。
「父上、お食べにならないのですか? 」
「気分じゃない」
「じゃあ、温かい飲み物でも貰ってきましょうか」
息子のかわりに、斜め後ろで爽やかな声が言った。視線だけ回すと、条件反射のように浮かんだ笑顔と目が合う。
つるりとした色白の肌に、小作りの目鼻と、類いまれな美貌の上を横断する大きな傷跡。濃紺の瞳を持つ少年が立っていた。
「……白湯でいい」
「わかりました。少々お待ちくださいね」
火があるのは食堂の隣の部屋だ。
首を回して食堂を出て行った背中を見送ったクロシュカ・シニアは、隣でパンをかじるコネリウスに問いかけた。
「おい」
「なんだ? 」
「あのシオンという男、見てくれ通りではなかろ? 何者じゃ」
あの黒髪の美少年は、小さく縮んでしまったクロシュカ・シニアよりも頭ひとつしか身長差がなく、しかし外見と不相応に、笑顔は爽やかでそつがない。
その正体は『影の王』最愛の伴侶であるというのだから、他人に興味がない古龍でも疑問が膨らんでいた。
シオンという男は、少女のような外見だけを見た印象、会話をして得る印象、その立場を知ってから改めて見る印象が、すべて微妙に色合いが違う。合わせ鏡のように、実体というものが掴みづらいのだ。
黙っていれば、研ぎ澄まされた守り刀のようである。口を開いて会話をすれば、外見とは不相応に大人びていて口調は明瞭で穏やかだ。老人のようですらある。立場を聞けば、一組の夫婦のミスマッチ具合に、かしげた首が、さらに傾く。
アイリーン・クロックフォードは、そもそも時空蛇がひとりの人間と恋愛をするためにつくった人としての体である。
その女が、一粒種をひとりで育てていることは、シニアも知っていた。
アイリーンは、いるという最愛の夫とやらと、もう二十年近く別居している。だからどんな女泣かせの伴侶なのだろうと思えば、柳のような美少年なのである。
旧友からの問いに、コネリウスは考え込むようにしばし黙り、老眼鏡の下で眉を上下させると、フウムと言った。
「シオンは、おれの印象だとそう奇抜な男じゃあない。剣にたち、魔術はそこそこ。孫息子(フランク)からは素朴で情に篤いと訊いたし、おれにもそのような印象があるよ」
「はっきりせんな」
「孫の同級でな、最後に会ったときは、確かに二十そこそこの青年だったんだがなぁ。何があったやら知らんが、昨日会ってびっくらこいたさ。あの顔の傷も含めてな」
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『隠者』アズマ・シオンは、このエウリュビア号に客分として乗船していた。
船長室には、寝台のかわりのハンモックと、床に固定された古い机。壁には投網のように大きなケツルのビーズ細工と古い舵や錨が飾っているが、調度品といえばそれくらいである。そう広いわけでもないので、この規模の船長室としてはかなり質素だ。
「ポントス船団、総長のココ・ピピだ」
よろしく、と、黒毛のケツルが伸ばした翼の付け根にある前足を、コネリウスは握った。
「久しいな、ココ」
「英雄どのも、まだまだ現役のようでなによりだ」
ココは真鍮色の瞳を細くして、喉の奥で「クックッ」と笑った。
サマンサ領は、『時空蛇』を信仰するケツルにとって巡礼の要所だ。領主の親類であり世界を踏破した冒険家コネリウスと、大型船二隻を含めた七隻の飛鯨船と乗組員五十人からなるコロニーの総長である商人ココは、当然のように旧知の仲である。
「こっちは客分として乗せている、クロシュカ博士……は、いらねえな」肩を丸めて巨躯を縮めたジュニアを、コネリウスを挟んでシニアのほうが腕を組んで睨んでいた。
ココは毛むくじゃらの顔を皺くちゃにして笑い、翼を傾けて隣を示す。
「こっちも英雄どのには知った顔だろ? 客分その2」
「シオンと申します。お久しぶりですコネリウスさん。はじめまして、クロシュカ博士」
シオンはそう言って、クロシュカ・シニアに向かって頭を下げた。
クロシュカ・シニアは、フンと鼻を鳴らす。
「愚息が世話になった」
シオンが曖昧に笑った。
その足元で、キャンッと鳴いたミイが舌を出して笑う。
さて、とコネリウスが顎髭を撫でた。「みなどもよ。情報交換といこうか」
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