2 『節制』のクロシュカ



 老人と少女と犬一匹は、海上で一夜を明かした。

 最北に近いサマンサ領からだいぶ南下したものの、秋から冬へ変わってしばらくという十一月の夜である。

 コネリウスは、先祖にいたという巨人やら竜やらの血が濃く、若いころから寒暖差にもめっぽう強い。

 クロシュカも同様に、特殊な出生であった。

 この角の生えた男声の乙女がその気になれば、褐色の肌がストーブ代わりになれるほども熱くなる。かたくなに薄絹を巻き付けただけの格好でいたのは、防寒着としての服がさほど必要ではないからだ。

 旧友二人。

 語る話題に尽きることもなく、最後はクロシュカが小犬をかたわらに眠ったことで暖を取るのにも苦労せず、すきっ腹以外は思いがけず快適な夜となった。


 翌日は、風が無い灰色の曇り空。渦を巻くような強い風などの『雲除け』魔術の兆候は見られない。

 海は沈んだ暗いみどり色。約束の時間は正午であった。


 ――――すうっと黒い影が浮かび上がる。海面がうねり、船が揺らぐ。

 巨影の主は一度海底に沈みこみ、じゅうぶんな距離をとってから再び浮上した。

 腹と翼が白い、濃紺の船体。

 航海の無事を祈るまじない『蛇の目』は、船体に描かれた星の中に描きこまれている。


 全長27メートルの大型飛鯨船。

 名を『エウリュビア号』という。

 この真下にある『海層突破点』は、国防上の理由で封鎖されて長い。――――とされている。

 エリカ・クロックフォードは、この国のこうした大きな魔術の元を創り、あるいは改良してきた第一人者だ。秘密裏に『タネ』を仕掛け、封鎖を解くのは難しくない。

 ここはサマンサ領沖であるため、この忘れ去られた海上突破点の警備の管轄は、サマンサ領主が担っているのも強い。


 ヴェロニカ皇女らを『魔の海』へ送り届け、それ以降は深海に身を潜めていたエウリュビア号は、乗組員の手で上部にあるハッチを開き、次なる逃亡者に向けて入口を開いていた。


「おお、来た来た」

 顔を明るくしたコネリウスの斜め後ろに立つクロシュカは、しかし不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 褐色の長い耳をぴくぴくさせて、上下の歯を石臼のように噛み締めている。


「……まさかこの船……あやつが乗っておる……」

「わふ? 」

 ミイが「どうしたの? 」というように首をかしげた。

「クロシュカ? 」



 そのときだった。


「――――ぃち~~~~~うえ~~~~~っ!!! 」

 白い巨体が、船のハッチを砲台にして空へと打ち上がった。重ねてクロシュカが「ヒィ」という声なき悲鳴を上げたことを、コネリウスの鋭敏な耳は聞き逃さなかった。


 ――――ドゥン!

 甲板に強かに着地した影は、小船が揺れたことで起こった白い波しぶきを浴びながら膝を伸ばす。

 半裸の男は、両腕を広げてクロシュカへと歩み寄った。

 素肌に裸足、腰に巻いた薄布が海風になびき、水を滴らせた鉄仮面がキラリと光る。


「父上! なんと、こんなところでお会いできようとは、これも運命のお導びゅブエッッッ! 」


 ボン! バン! バシャ―ン!!!


「こンの愚息ぐそくゥ!!! なんだその体たらくは!!! 」

 拳を突き出した姿勢のままクロシュカが叫ぶ。


「クッ、クロシュカ~~~~!!!! 」


 コネリウスも叫ぶ。


「誰か海に落ちたぞー! 」

「救助! 救助! 」

「ワン! 」

「犬も落ちたぞ!? 」


「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


 世界的な地質学者の権威、クロシュカ・エラバント・ジュニアは、 水切りのように海上をバウンドしながら飛んでいき、鉄仮面の重さで溺れかけ、小犬に救助された。



✡️



 船はゆっくりと、水の中へと戻っていく。

 船内の食堂の床で、裸の大男が膝を折って座らされている。

 その首から上は、何かしらの宗教的な怪物がモチーフになった鉄仮面がぴったりと溶接されていた。

 とんでもなく屈辱的な姿であるはずなのに、穴から見える目口は誕生日のプレゼントを前にした子供のように邪気が無い笑顔である。

 対面している少女のほうのクロシュカは、マゼンダピンクの髪を掻きむしって大きく息を吐きだした。


「……改めて弁解せよ愚息。なんだその無様な姿は。わしと別れたのち何があった」

「父上こそ! いかがなされたのです! その小さく可憐な御姿は! 」

ウッとクロシュカは言葉を詰まらせた。「わしの見てくれのことはよい! それよりお前の話を問うておる! 」


「それが、話は長くなるのですが」

「短うせよ」

「蛮族に悪魔として処刑されたものの、なかなか死なぬので呪いをかけられまして、お見苦しくも下履きで生活しておりまする」


 一息に言った息子のほうのクロシュカは、相変わらずニコニコしている。

 クロシュカ・シニアは、再び石臼のように上下の歯を擦り合わせて、自分の角をコツコツ叩いた。


「あっ、正確には、防具のたぐいが付けられぬ呪いらしく、衣服もまた肌を守るものでありますから、着た瞬間に千々となって弾け飛んでしまうのでございます。さすがに局部をさらして歩くことは申し訳が立たぬので、こうして布を巻き付けてしのいでいる次第で」

「そのような粗末な薄布一枚で……? 」

(息子のことを言えんぞ、クロシュカ……)

 シニアの衣服も、古代式のワンピースであることは忘れてはならない。


「消息がわからぬと思ったら」

「あまり往来を歩くと目立ちますから」

(変質者だものなぁ)

「それに、お役目もたまわりましたし。そうだ父上! 吾輩、『節制』のお役目を賜ったのですよ! 」

 むきむきの腕を振り上げて、ジュニアはシニアにアピールした。ちょうど犬が尻尾を振って褒めてもらうのを待っているような目をしている。


 コネリウスは苦笑した。

「どちらかというと、世界一自由な男に見えとるぞ」

「うむ。今のお前は、このわしをしても、まれに見ない変態の装束じゃ。今後も呪いが解けるまで往来を歩くでないぞ」

「父上がそうおっしゃるなら! 陸では土の下を歩く気概でおりましょう! 」

 シニアはゲッソリとした。


「お前はむかしから、返事だけは良いなぁ」

「父上の教育のたまものでござりまする! 」


「あのう……」

 コツコツと入り口の横の壁を叩き、耳を伏せたケツルの船員が、控えめに三人へと声をかけた。「船長が、ご挨拶をしたいと」

「ああ、わかったよ。ありがとう」

 コネリウスがにこやかに返す。

 クロシュカ・シニアは、内心でぼやいた。

(やれやれまったく、このような姿、ヴェロニカには見せられん……)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る