3-9 星の導き

 

 最初の合同レッスンが終わり、扉が閉まった瞬間、ヒューゴの拳がポテッとサリヴァンの頭を殴った。

「あ~りゃ駄目だ」

「何も言わないよりかはましじゃないか?」

 両脇でヒューゴとグウィンが言い合う。

「今ごろ婦人方も言ってるぞ。せめて『綺麗だな』とか『見違えた』とか、そういうことを言わないとな~」

 ヒューゴの言葉に、経験をなぞっているのか、苦笑したグウィンがしきりに首をさすっていた。

 サリヴァンの頭では、おしとやかなヴェロニカ皇女やモニカ妃が、ぺちゃくちゃと男の批評をしている想像ができなかった。かわりにジジが、「キミねぇ、ありえないよあんなの紳士として」と、グチグチ言うところが見てきたかのように浮かぶ。


「……それができたら苦労しないんですよ」

 ケヴィンは、眼鏡の奥を細くしてサリーの味方をした。

「まあなぁ」

「そうかなぁ」

「こういったことは非常に難しい問題だ」

「思ったことの中から喜ぶ言葉を選びゃアいいんだ。簡単だろ」

「ヒューゴ。きみに分かる時は来ないだろうね」

「なんでだよ! 」


 この三兄弟とは、この数日ですっかり仲良くなっていた。ちょっと面白がられているところもある。

 恥ずかしくて、サリヴァンは深呼吸のようなため息を細く吐いた。

 さっきは死ぬほどびっくりした。サリヴァンは、着飾った彼女はそのままエリカの姿になると思っていたから。


 その想定を違えた彼女は、『ただの見知らぬ美女』であったので、「すごいなぁ」という感嘆の声しか出てこなかったのだ。これは様々な思いがこもっていて、サリヴァン自身にも読み解けないものが混ざり込んだ「すごいなぁ」である。


(……そうなんだよなぁ。あいつって美女なんだよなぁ)


 サリヴァンは、少し落ち込んでいる自分を自覚していた。この年になって、こんな状況で、こんなものに頭の中を割くわけにはいかないのに、恋愛感情なる未履修の課題を突き付けられた気がしていた。

 彼女は知らないうちに準備を進めている。しかし自分は――――。


 ヒース・エリカ・クロックフォードは、コネリウス・サリヴァン・ライトの婚約者である。

 ずいぶん前に決まっていたことなのに、当たり前すぎて忘れていた。いざその時が迫っていることが分かって慌てている。そんな情けない自分に問う。

(……おれはあいつとになれるのか? )

 どんなに知識をたくわえても、実践経験というものがとにかく足りていないと痛感している。

 自分は、初恋もまだなのだ。恋の駆け引きなんて。しかも相手はあのヒースだなんて。ちっともわからない。



 ✡



 ジジは相棒の感情の機微を離れたところから敏感にかぎ取り、ため息をついた。しかし、あちらにかかずらっている余裕はない。

 あたりは夕暮れに差し掛かっている。アルヴィン皇子が、すっかりここでの『訓練』に夢中との話は本当のことのようだった。

 火影が落ちる地面を見つけ、ジジは上を見る。天を踏んで夕日を見る黒い影があった。

「おーい」

「なんじゃお前」

 応えたのは、炭の林のほうからだった。

 黄昏と同色の濃いピンク色の髪が、夕日を吸って燃え上がるように紅くなっている。その頭から突き出た黒い二対の角。色の濃い肌に吊り上がった目は、獰猛な爬虫類の緑色だ。

 こいつが、とジジは観察を一目で終えた。人間嫌いの魔人は、人間ではないものなら、むしろ親しみを持った。


「クロシュカ・エラバント博士」

「魔人か。古ものじゃの」

 カッ、とクロシュカは喉の奥でわらう。

「我が弟子に何用か? 」

「依頼をしたくってね、そろそろ修行とやらを切り上げて欲しい。あなたも一緒なら心強いんだけど」

「あの魔女からの使いッ走りか。話は聞いてやる。話せ」

「コネリウス・アトラスの曾孫が行方不明だ」


 唸りを上げて森に風が吹いた。木立の端が崩れ、黒い吹雪のように舞い上がる。


「その曾孫は、次のサマンサ領主。名前はヴァイオレット。サリヴァンの妹で、ラブリュス魔術学院の中等二年。陽王派に追われて学院を飛び出したっきり、行方が知れない」

「…………」

 静かに、クロシュカの口が三日月形に裂けた。

「……それでェ? 」

「行方知れずとは言ったけど、だいたいの目星はついている。彼女を迎えに行くのを、アルヴィン皇子に頼みたい」

「なぜあの未熟者に? 」

「魔女の預言だ」

「魔女の預言! 便利な言葉だことだ! しかしまぁ、なるほど。得心がいった。アヤツが持つ、次の星の巡りの理由はソレか。空にマルスの赤が輝いておったわ」

 カカッとクロシュカは太く笑う。


「わしに否やはない。星の巡りは定まっておるゆえに。ならばわしも、ここを去ることにしよう。今いちど古い友の顔を見とうなったわ! 」

「コネリウス・アトラスの援軍に? 」

「わしの星もまた、導かれておるゆえ」

 老獪な古龍の角は、右だけが根元を残して折れている。意味深にその断面をさすりながら、上機嫌に背を向けて歩き出した。


「出発は明日だ」

 華奢な背が言う。「案ずるな。アルヴィンは必ず、そのヴァイオレットとやらと相まみえる」

「――――それは預言? 」

「アア、そうさァ―――――」


 強い風が吹く。

 カチリ。

 また針が進んだ。




 ✡



 《 ……97%、98%、99%、100%。解凍を確認 》


 《 ピッ 条件の達成を認識しました 》


 《 【デウス・エクス・マキナ】システム起動、72% シナリオ進行度27%達成を確認 》


 《 【大きい鍵の帰還】解凍成功。 100%オールグリーン。システム起動準備が整いました 》


 《 システム起動準備が整いました 》


 《 システム起動準備が整いました 》


 《 システム起動準備が整いました 》


 《 システム起動準備が整いました 》


 《 システム起動準備が整いました 》


 《 システム起動準備………… 》



 緑色のライトだけが頭上にある。

『審判』は膝に埋めていた顔をゆっくりと上げ、鳴り響くアナウンスに耳を傾けた。

 そこは白鯨の胎の中だった。金属で囲まれたごく細い逕路けいろ。血管のように張り巡らされたコード束、無数の電気信号、ネットワーク、記憶媒体……。


 光の差さない中枢で、それらに繋がれた『審判』の身体がある。


「……候補者を捕捉。選定を開始」


 黄金の瞳は光の輪を波打たせて、ここではないどこかを視ていた。


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