18-1 After Dark
亡者から蘇り、最初に求めたものは鏡と紅で、最初にしたことは、まず化粧だった。
歩き出す前から、美貌を褒められて育った。
すくすくと、天女のごとくと謡われた。見目麗しさを買われ、時の天帝にも御目通り叶ったこともある。
妻がいた。
特別美しいわけでもない、小太りな女だったが、甘く透き通る声をした女だった。
十四と十で、家のために引き合わされた縁だった。
「比翼の鳥となりましょう」と、口先だけで言葉を交わした。
十七のころ
妻は、美しい声で笑った。
「これでずいぶん扱いやすい
まことに比翼の鳥になった。
二十八のとき戦が起こった。
二十九の夏、息子を二人、立て続けに亡くした。
三十二の冬、五番目の娘が、嫁ぎ先で自害した。婚礼から二月と経っていなかった。
三十五の春。
敵軍の将の捕虜に落ちる。
あばたが醜いと、左の顔に火をかけられる。
翌夏、仲間の手のものにより、這う這うの体で故郷へと戻る。
療養をし、季節を一巡りしても、家に帰る許しが出ない。
妻からの文に、想いがつのる。
最後の文には、束ねた七人分の髪と、妻の紅が入っていた。
「疫と魔と避けましょう」と、妻の柔らかな手が、おのれの目元に紅を差す。
閉じた目蓋の裏、忘れられぬことが多すぎる。
帰りついた屋敷の焼け跡には、家なき者たちが居付いていた。
乾いて晴れた青い空。
その下にただよう腐臭。
河原に並んだおびただしい磔の中から、妻の襦袢の色を探してさまよう、幽鬼のような我が身の足。土の色。
乾き、縮んで痩せた妻の尖った爪の形。目蓋から溶け出した目玉。空洞の暗さ。
そこに群がる卑しい虫や鳥獣どもの血の色。
その美貌は天女のごとくと謡われた。
あばたのうえに火傷を負い、左の視界と妻子供を失ってからは、戦場を駆ける姿、鬼神のごとくと謡われた。
八十二まで生きた。
―――――人生の大半を費やし、憤怒と復讐を誰より親しい
この四人の亡者たちは、無垢なる怒りによって集い、繋がっている。
その核を、人類でいちばん最初に『怒り』を知った人物に託すというのは、男にとって非常におもしろみを感じる試みであった。
生前でもこんなに楽しいことは無かった。
『魔術師』が……いや、星の娘が、冥王の宝物庫から盗み出した『黄金の人の遺灰』は、豪奢なつくりの陶器の小瓶に収められていた。
卵のような純白に、入れられた墨は瑠璃。柄を縁取る金銀と金剛石。
宝石をあしらった蓋は、冥界の炎で溶かした金泥で、厳重に封印されている。
懐にしまいこみながら男が思ったのは、「こんなものか」という感想だった。
神の宝物庫にこめられた小瓶は、たしかに美しかったが、生前いくらでも見たものとそん色なかったからだ。
星の娘は「そんなものですよ。見た目に騙されてはいけません」と言って笑った。
若い娘のくせに、やけに枯れた声をした娘である。低い声色は、酒焼けした老婆のようだった。
仕込みは完璧といえた。
材料となるのは、『混沌の泥』を含む語り部の『銅板』。その主人である人間の持つ『怒り』。
『混沌の泥』によって、炎になって吹き出した怒り。そこに、『遺灰』を注いで、『黄金の人』を復活させる。
そうして顕れる『黄金の人』が、優れた指導者であっても、腰抜けの原始人であっても、どちらでも良かった。
ただ期待しているのは、『黄金の人』の持つであろう『怒り』である。
その『怒り』が、この世界全てを焼き尽くすことを、男とその仲間たちは心から期待していた。
✡
哂う。
この世をあざ笑う。
小瓶が割れ、『花』に注がれる。
この世界を焼き尽くす、最初の種火とならん。
―――――アァ、なんて素晴らしい!
✡
サリヴァンは、杖職人としての日々で、鍛冶神の炎で炙られて視力が落ちた。
鍛冶神は、隻眼と弱視と不具の足で知られる神である。その加護を得るということは、その欠陥のどれかを貰い受けるということでもある。
(足でなくて良かった)
心底そう思う。
目の悪い魔術師は、『視えないものを視る眼』—————神秘を見る眼が発達しやすい。足よりも目の方が、リターンがあるだけマシだった。
今は、ふつうに視えるものなど役に立たない。
役に立つのは、『視えないものが視える眼』のほうだ。
サリヴァンは飛鯨船から飛び出した。
体温が上がっているので、素肌に張り付く『銀蛇』があたる部分だけが冷たい。
後ろ首の突き出た背骨から二又に分かれ、肩甲骨を沿うように肩の裏を巻き、手首まで伸びている。いつでも一息で取り出せる位置だ。
眼鏡を外しているので、視界はぼやけて、ゆっくりと流れていく。それでも、優れた魔術師には、目で見えるもの以上のものが、見えることがあった。
(……空気が淀んでいる。まさか話に聞く瘴気とかいうやつか? )
赤黒いヴェールが、幾筋も『花』から不気味に伸びて、手招くように揺れている。
飛鯨船には、入念に『隠遁』の術をかけてある。船体に直接描いているので、そうそう破られることはない。
『準備を怠ったものから死ぬのよ』
師の言葉を噛み締めていた。
現状、できる以上の準備はできていたと自負できる。作戦も、あれこれと予想外の事態があったわりに、なんとか形を保ってはいる。
けれどそれが、次の瞬間には破綻するかもれない。
目の前で『花』が八分咲きになろうとしていた。
……ほんの十五分前までは、六分咲きだったというのに!
『焦りは敵だ』
(――――ああそうだろうとも! 知ってるよ! )
拳にした腕を後ろに引く。引き絞られた背筋が、骨の内側に音を立てて電流のように熱が奔った。握りしめた手の中に、魔力で編まれた粒が集まって長剣をつくる。
「―――――鍛冶神よ! 我が身に
馴染みの神ならば、この短い文言でも聞き届けてくれる。
祈りの言葉を捧げながら、腰に下げた十一年分の魔力の塊に火をつける。
真紅の炎の指が、むしり取るように髪束を呑み込み、灰が黒く曇天の空へと見えなくなった。
サリヴァンを包み込むように広がる炎のかたちは、大きな両の手のひらのようにも、翼のようにも見える。
六芒星に絡めとられた卵に向かって杖先を指し、呪文を叫ぶ。
「”願いは
叫びながら、脳裏に『すべてをなんとかする方法』が閃いた。
「―――——ッ! ”やがてっ! この足が、止まること”! 」
(たのむ、これが最後だ! 『ジジ』———-ッ! )
『任せて』
ぼやけた視界の中で、霧散した卵の霞が、そう囁いて遠ざかる。
弱りつつある視力が、遠ざかっていくその身体に宿る魂に、
自分の色は、鍛冶神の加護の赤だ。飛鯨船には、紺碧の光が三つ。
そして霧に包まれた中に、澄んだ青天のような蒼い光が一つ――――。
唐突に、その『蒼』が大きく弾けた。
サリヴァンの目には、『蒼』に重なる『白金』が視えている。『蒼』を補うように身を寄せる『白金』は、ジジであってジジではなかった。
語り部の加護が、欠けたアルヴィンの魂を補っていく。
次の瞬間には、強く吹き付ける風と空気の熱が体に戻って来た。
風が渦を巻いている。
地上の冷たい風と、天空にわだかまる熱風とが、空の雲を掻き回している。
渦の中心はあの『花』だ。雲を呑み込み、何かが始まろうとしている。
ぞくぞくと肌が粟立った。
花の直下で、蜃気楼を纏ってゆらめく王城は、焼けた鉄のように赤く照らされている。
その周囲は、頬を流れる汗を一瞬にして白く変えるほどの熱気があった。
塩で肌がざらつくだけに留まっているのは、加護があるからであろう。
―――――祈りを重ね、先へ。
尖塔の間際まで近づき、サリヴァンは手をヒサシにして見上げる。『花』は徐々に、赤ではなく、さらなる熱を放つ、目に痛いほどの白へと染まっていく。
周囲は明るく照らし出され、首都ミルグースを……『黄昏の国』と呼ばれるフェルヴィンを……白々とした昼間の景色へと照らし出す。
曇天の空はすでになく、明るい群青の空に、とりどり粒ぞろいの星々が転がっていた。
右に剣を掲げる。
反らした首筋に清涼な風が当たり、目を向けなくても、そこに立つ者が誰か分かった。
炎の鎧は白金に輝いている。
「……皇子。呪文を言うには、声がいる」
青い炎が不思議そうに傾く。
「魔法使いが魔人を使うとき、呪文が必要なんだ。それの一番短い呪文は、魔人の『名前』だ。これは魔人自身への強制力はない。次に、もっと大きな仕事を任せるときには、ソイツ自身を構成している、長い方の『呪文』がいる。ソイツ自身の魂でもある『呪文』だ。
今、おれには、あの『花』をどうにかしようっていう策がある。
でもそれは、おれじゃなくて、あなたの言葉が必要なんだ。
アルヴィン・アトラス。『ミケ』にもう一度会えると言ったら、おれに協力してくれるか? 」
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