7-2 true blue 後編

 


 夜の街道は、あたりまえだけれど、残酷なほど静かだった。

 その静寂を背に、サリーの声がとつとつと、不器用に紡がれていく。

 ボクもヒースも口を挟まない。サリーの言葉はうまくはなかったが、真摯で実感がこもっている。皇女には話術よりも、感情のほうがきくだろう。



 軒下の透かし彫金の灯りたちが、沈黙する黒い像の影を、道々に落している。

 それそのものが影法師のような市民たちがそうしている姿は、不気味で、不自然で、けれど侵しがたい、宗教画のような美しさがあった。


 もうこの場所は、滅びに向かって抗おうとするボクらの姿のほうが、筆先が誤ってついた絵具のようだ。

 サリーはきっと、こんな光景を『美しい』とは形容したくないだろうけど、ボクにはこの滅びの街が、ある種の『行き着くべき場所』のように見える。もし、本当に神々が示して創り上げた光景なら、その創造物であるボクらには、こうした滅びを受け入れることもプログラムされているのかもしれない。


 こんな考え方の違いは、ボクが魔人でサリーが人間だから、というわけでは無いと思う。


 サリーは、その滅びから抗うために産まれて育ったから、この光景を受け入れられない。

 ボクは、八割九分くらいの人間は燃えるゴミだと確信しているから、(まあ仕方ないかな)って受け入れる。

 どちらも同じくらい捻くれた意見だ。この皇女やヒースに聞けば、また違う方向に捻くれた主張を持っているだろう。



 ボクは人間なんてそんなもんだと思っているし、だからこそ『人間はだいたい燃えるゴミ』という主張を曲げるつもりはない。

 人間は『燃えるゴミ』か『口を利く肉』か『その他』の三つに分類されるのだ。ボクの人を見る目は厳しいのである。

 たとえ皇女といったって、今のところ燃えるゴミなのは変わりない。この人が助かったのは、たまたまボクらの近くにいたからだ。この女は燃えるゴミらしく何もできないで明日死ぬかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 ただの偶然に、勝手な意味を見出すのは、感情の脆弱性である。命に意味があって生きているのは、ほんの一握りなのだ。


 そしてサリーとヒースは、生まれながらにして、そうした意味を背負っている一握りである。

 ボクは『選ばれた』人間のことを幸運だなんて思わない。


 意味のある命をもっている人々には、責任がともなう。『価値あることしかやってはいけない』という義務がある。


 意味なく生きている大多数の人間たちの自由さを考えれば、サリーたちの運命は不自由すぎる。ボクは自由を愛する魔人だから、ボクに自由をくれたサリーが不自由を強いられていることに、非常に憤りを感じているのである。


 サリーは、おそらく産まれて初めて、自分の口から秘密を明かす。その価値があるとして、この女に意味を見出した。

 ヒースも、サリーが身分を明かそうとするのを止めなかった。

 つまりこの女は、ただの幸運で生き残ったわけではない。ボクじゃない誰かにとっては、価値を見出され、選ばれた人間だったのだ。



 ――――――この女の価値とは何か?


『影の王』は、そんなことを懇切丁寧こんせつ ていねいに教えてくれるような人ではない。必ず『自分で見つけなさい』と言うだろう。

『影の王』は稀代の預言者のくせして、すべての命に対して放任主義だ。正解がない難題を、なにもいわずに問いかけておいて、解くか解かないかまで選択させる。もちろん、解釈した問題自体が間違っているということもある。


 サリーはこの女に真実を告げることを選択し、ヒースもそれに同意した。

 皇女は、サリーのことを信じることを決めたようだった。

『影の王』は、こうなることが、きっとわかっていたんだろう。

 サリーの持つ真実は、はっきり言って荒唐無稽だ。ボクが詐欺師なら、皇女さま相手にこんな話はできない。ハードルが高すぎる。

 皇女が信じてくれたのは、語り部がいるのと、真実だからだ。



 サリーは、『貴族の礼』と呼ばれている、王宮騎士がする作法にのっとった仕草で、皇女にひざまずいた。一歩後ろに下がった位置で、ヒースも同じように石畳に膝をつける。

 皇女は慌ててサリーに立つようにいい、叱りつけるように首を横に振った。

 裁きが始まった滅び行く世界で、小さな笑い声が重なる。三人は固く握手を交わした。皇女の瞳から、一粒だけ雫が垂れて、皇女の影が落ちる石畳に、すぐ消えるしみを作った。

 ボクは、皇女の影を見た。

『語り部』の目が、その人の真名と血筋を看破する能力を持っているというのは本当らしい。



 ボクはサリーとは違う人間だから、違う方向からものを見る。

 ボクはサリーの魔人だから、サリーの魔人としての価値を磨く努力をしなければならない。

 ボクは自由と享楽と平穏を望む、質量なき魔人意志ある魔法

 サリーに自由をもらったボクは、サリーの最後の砦にならなければならない。


 だからボクは、ボクにとっての『その他』である彼らに、別の回答を用意する。

 義務と責任に縛られた、不自由な少年たちができないことは、ボクが担う。 


 

『この女は燃えるゴミか? 喋る肉か? それ以外か? 』


 それがサリーの魔人であると決めたボクの、役目なのだ。



 ✡



 和解を済ませたサリーたちは、まず皇女の同行者である次期皇太子妃モニカ女史との合流を目指すことにした。ボクはサリーの影の中からついていく。


「……とはいっても、この状況で彼女が無事でいるとは思っていません」

 街並みに立つ石像を避けながら言った皇女は、よどみなく足を進めていく。

 心情的にも、皇女は義姉になるモニカ女史のことを捨て置けないのだとその表情でうかがい知れた。

 せめて石像になったその身体だけでも保護したい……といったところだろう。


 皇女の説明で、『影の王』の目論見もくろみの一端も知れた。……こう言うと『影の王』がまるで諸悪の根源みたいだけど、あの人がいろいろ画策していたのは間違いない。

 ようするに、『審判』が起こることを事前に預言した『影の王』は、サリーとヒースに皇女の救出をさせたかったのだ。

 でも、皇女の救出だけで終わるとは思えない。


(……でしょ? サリー)

(まあな)


 案の定だった。


「ヴェロニカ様! ご無事でいらっしゃったんですね! 」

 倉庫街に戻ってきたボクらは、皇女との再会を喜ぶ三人の男女と出会った。

 うち紅一点は、話に訊いたモニカ女史だろう。

 ウサギやリスを思わせる、小柄で活発そうな女性である。栗色の髪を高い位置で一本に結い、動きやすさを重視したパンツルックも着慣れているかんじだ。くりくりとした茶色い目や、そばかすが散った頬が愛嬌と親しみを振りまいている。

 このとおり素朴な雰囲気の人で、とても皇太子妃になる人物には見えなかったが、短い逃亡生活のあいだ、外国人観光客を装うのにはおおいに成功していただろう。

 彼女と同年代に見える若い男は、硬い表情としぐさで遠巻きにヴェロニカ皇女を見つめている。青ざめて緊張した面持ちで、軍人っぽいお辞儀をした。これがコナン・ベロー中尉だ。

 そして最後の、初老に差し掛かった紳士は、ヴェロニカ皇女を視界にみとめると帽子を取り、感極まったように腕を広げ―――――皇女との間に踏み込んだサリーを、いぶかしげに見た。


「……ヴェロニカ様、彼は? 」

「トーマ・ベロー外交副長官。彼の質問に、正直にお答えなさい」

 皇女の青銀の瞳が、副長官の白い眉毛に半分埋もれた瞳を射抜く。男の細く尖った視線は、ヴェロニカ皇女を見返さずに、その前に立つサリーの黒い瞳を冷たく一瞥いちべつした。

 街道がまばらに立つ殺風景な倉庫街に、白刃が線を描いてひるがえる。


 サリーが何も言わず袖口から顕現させた剣の先で外交副長官殿のを空に跳ね飛ばすのと、背後から近づいたコナン中尉の腕がモニカ女史の首にまわったのは、ほぼ同時のことだった。


「……おれの質問は不要のようだな」

「少年。剣を収めなさい」

「ヒヒ……これがホントの問答無用ってヤツ?



 ねえ? ? 」





 副長官どのはサリーの前を堂々と横切ると、帽子を拾い上げ、土埃をはたいて、撫でつけられたシルバーグレーに収めた。

 ゆっくりとしたその仕草のあいだに、わらわらと、倉庫の陰から人影が現れる。服装は変わっているが、いくつか見た顔が混じっている。

 顔をしかめたサリーが、鼻から長くため息を吐いた。


「……死んでなかったのか。あの爆発は偽装か? 」

「サリー、死んでなかったんじゃないよ。……もう死んでたんだ」


 街灯の灯りの下に、屈強な男たちのシルエットが照らされる。

 あの斜陽に照らされた倉庫の中では、顔色が分からなかった。かすかな腐臭も、干し草のにおいで誤魔化されている程度だった。

 でももう、この場では言い逃れできない。

「あれは屍人だよ、サリー」

 ボクは強請ねだるように、顔をしかめる主を見上げた。「ねぇ。久々にやらせてよ、

「言うと思った」

「だって、ずっと専門外のことしかさせてくれないじゃない。不完全燃焼なんだ」

「……顔がやべえぞ。抑えろよ」

「キミこそ、何を躊躇してる? 使えるものは使うんだろ? 今ボクを使わないで、これからどうするのサァ」

「…………」


「―――――残念ですわ、ベロー副長官。あなたは我が国に尽くす我が一族のともであると信じておりましたのに。……甥御さんまで巻きこんで」

 ヴェロニカ皇女は、視線をモニカ女史を拘束するコナン・ベロー中尉に向けた。青ざめた若い中尉は、唇を引き結んで皇女から視線を逸らす。


「おやおや、粛清ですか? ヴェロニカ殿下。そんなどこの誰とも知れぬ外国人を使って? 皇女である、あなた様が? 」

「それはあなたのことを仰ってるのかしら。こんな恥知らずだとは知らなかったわ」

「フフ……すくなくとも私は誰とも知らぬ外国人を引き入れたわけではございませんので。彼らこそが、本来の私にとっての朋友でしてね」


 副長官はかぎ針状に曲げた両手の指を、おもむろに口に押し込んだ。指先の爪が内側から頬肉を抉っていく。頬肉を内側からむしるようにして、副長官は自らの顔を指で大きく傷つけた。その手は次に、自らの下目蓋にかかる。

 慣れた作業的な仕草だったから、それはあっという間だった。

 どんどん元の面影を失くしていく顔面の、むきだしの肉が奇妙に揺れる。

 と。まるで身震いをするように。

 笑みの形に露出した歯列に早戻しのように肉が戻っていく。再生した唇の皮膚は、笑みの形を保っていた。

 彫りの深い、浅黒く日焼けした若々しい顔立ちに、もとの初老の紳士の名残りは無い。


「ベロー副長官……いいえ。あなたは誰」

「ただの亡者ですよ。墓守の姫」

 声すら違う。異国の響きを含んだ瀟洒しょうしゃな楽器の演奏のように、耳通りの好い声だった。


「皇女……そこにいる魔法使いの正体をご存じなのですか? 」

 ヴェロニカ皇女は青い目をすがめる。

「それは、『影の王』直々に我らに差し出された―――――」

「あら、彼はそういう扱いなのですの? 」

「……なんですって? 」

「まぁまぁまぁ……それで、それが何か? その上で、わたくしは彼を信頼することにいたしました。彼自身が、その『影の王』を微塵も疑っておりませんもの。いわく【師は無駄なことをしません】ですって。あなた、たばかられたのよ」

 皇女は上品な笑い声を響かせた。

「惑わし、甘言……? わたくしは、そんなもの聞きませんわよ? ほかに口にすべき言葉があるんではなくって? 」


「その魔法使いが、いったい何をしてきたのかも、知っていると? 」

「この期に及んで、まだるっこしい殿方は好きになれなくてよ。話題が暴力的で、下品で、悪趣味な殿方なら、なおのこと。このヴェロニカを口説きたいのならば、その顔に―――――」

 ヴェロニカは、前に倒れ込むようにして踏み込んだ。

 218㎝のほっそりとして見える矮躯の一歩は、驚くほど広く、早い。風に揺れる柳のように、青年の体が曲がる。


「―――――わたくしの拳をまず受け入れることね! 」



 青年の笑みがぐしゃりと崩れ、噴き出した汗が拳圧に飛沫になって飛び散った。

 青年は頬を流れる汗と血液の混合物を、指先でふき取る。


「……話に訊くより、ずいぶん野蛮な姫君だな。脳ミソが飛び散りそうだ」

「よく避けました。ウフフ……自信を失いそうですわ」

「顔が笑ってるぜ。お姫さま」

「うふふ……少し鬱憤が溜まっておりますのよ。強敵との試合は、好い気分転換になりますわ。加減がいらないのなら、なおさらでなくて? いいえ、殺す気はありません」

「……こちらには人質がいるんだぞ」

「怯えないで。小さなひと。わたくしはあくまでもフェルヴィンの皇女として上品に……あなたが質問に答えたくなる場を整えてるだけですよ」

 トン、と皇女は爪先で軽くステップを踏んだ。右足を軸に、ダンスをするように肘を上げて上体を傾ける。

 長い金色の髪が白い頬を撫で、背後に流れる。刃金色の瞳だけが笑っていない。


「本性を明かすなんて、悪手でしたわね。わたくし、おばけは平気なの」


 皇女は一歩、男に近づく。


「……だから安心なさい、コナン・ペロー中尉。あなたの叔父上の仇、このわたくしが討ちましょう」


「ヴェロニカ様……」


「家族を亡くす以上に怖いものなんて無くってよ! そうでしょう!? 」


「――――皇女を殺せェ! 」


 男は気炎を振り絞って叫んだ。

 皇女の華奢な長身に、武器をかかげた丸太のような腕脚を持った亡者たちが大波のように群がり、次の瞬間―――――ごぶりと、腐臭に濁った黒い血を吐き出した。


「きゃあ! 」

 モニカの悲鳴がヴェロニカの耳に届く。その身に凶刃が向けられたわけでは無かった。おもむろに白目を剥いてぱったりと倒れた中尉の姿に驚いたのだ。

 感情を失った死体たちのなかに、困惑と警戒が広がっていた。

 痙攣して思うように動かない手足を、不思議そうに眺めて立ち止まっているものもいる。

 そうして死体たちは次々と、目から口から鼻からと血を噴き出し、根が絶たれた樹木のように倒れて動かなくなっていった。


「何だ! 何がおこっている! 」

「―――――アンタはね、運が悪かったんだよォ。だって、ボクがいたんだから」

 男の視線が上を見上げた。


 街灯にも照らされない、漆黒の空を背景にして、白い肌が浮いて見えた。黒い擦り切れた外套の裾が、風のない夜に大きく翼を広げるようにはためいている。

「アンタの敗因はいくつもある。

 『影の王』を見くびったこと。

 サリヴァンコイツにはボクがいたこと。


 ……そして、ボクのご主人様を侮ったことさ」




「―――――”願いは彼方かなたで燃え尽きた”」


 サリヴァンの声が響く。

「―――――”希望は彼方かなたに置いてきた”……」

 銀色に輝く短剣を顔の前にかかげ、魔法使いがおごそかに、相棒を司る呪文のしるべを口にしている。


「”望みはなにかと母が問う”

 ”そこは楽園ではなく”

 ”暗闇だけが癒しを注いだ”

 ”時さえも味方にならない”

 ”天は朔の夜”

 ”星だけが見ている塩の原”……」

 ジジの輪郭が黒く崩れ、膨れ上がる。漆黒の中では黄金の瞳が二つの月のように輝きを増し、唇は笑みを深めた。


「―――――”言葉すらなく”

 ”微睡みもなく”

 ”剣を振り下ろす力もなく”

 ”いかづちの槍が白白しらじらと、咲いたばかりの花々を穿うがつ”—————」


「なんだそれは……やめろ……」


「”至るべきは此処ここと父が言う”

 ”我が身こそが、終わりへと至る小さな鍵”

 ”望みはひとつ”」


「黙れェェェエエエエ!!!! 」





「―――——”やがて、この足が止まること”」

 風が止んだ。






 モニカが呟く。

「なに、これ……黒い……雪……? 」


 魔人の声は、甘い艶を含んで夜の空気に溶けていく。

「聞いたこと無ァい? 二年前……グロゥプスの街での悲劇……死の霧の悪夢……三千人の市民を恐怖に陥れた七日間は、古代兵器が起こしたっていう話」

「……まさか」

「お察しの通りさァアア」

 ヒヒヒ、と、切れ込みのように笑顔が裂ける。


「ボクって魔人の性能は、対人特化型なんだよネェエ―――――――」

 その語尾は奇妙に歪みながら、夜の闇に引き伸ばされて間延びしていく。不快な耳鳴りが男を襲い、網膜はいつしか地面の小石を見ていた。


「生きてたって、死んでたって、そんなのは変わんなァい。ボクにはヒトの弱点が手に取るようにわかるよォ。ココロも、カラダも、とっても簡単サァ――――――壊れやすくて、すぅううぐけるもんねェェエエエ! フフフ―――――ハハハ―――――ケヒヒ……キヒヒヒヒヒヒ―――――」

 男はがふりと口から泡を吹いた。

「? ??? ―――――!? 」

 陸にいてして溺れている自分が信じられなかった。体中の穴から得体の知れない液体が逆流している。男は吠えた。




「―――――――クゥゥウスヴァァアアアこの悪魔アラァアアア!!!!!! 」

「よく言われるよォ。誉め言葉だね」





 闇に金色の三日月が二つ浮かんでいる。

 ピチャリと、泥をはだしが踏みつける。外套のすそをつけ、ジジはしゃがみこんでその顔を覗き込んだ。

 死者たちの二度目の死は、静かに泥のような闇に沈んでいった。

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