ロキ 5 ―もうひとつの運命の出会い―



「なぁー姉ちゃん。やっぱ呪文スペルの詠唱ってどうにかなんねーのかよ。覚えるのはいいとして、堅っ苦しいし古臭くて言いづらいんだよ」


 いつも通り昼の授業が終わったあと、姉ちゃんの家で俺は苦言を呈する。

 何を隠そう呪文スペルの詠唱が面倒臭いのだ。


「この愚か者は、すーぐそうやって調子に乗る!」


「ぐえっ」


 机に突っ伏してる俺に姉ちゃんのチョップが降り注ぐ。

 あんま痛くないけど潰れたカエルのような声で鳴いてみた。


「詠唱の大系が纏まったのはもう数百年以上前だから文章自体が古臭いのは当然だ。それまでには色んな魔法使いや研究者の血と汗と涙を滲ませて作り上げたものなのに、この愚か者ときたら」


 そう言いながら連続チョップが俺の頭を襲う。

 そんなこと言ったって俺、その人たち知らねーし。


「いやでもさ、ちょーっと短縮とか、端折ったりできね?」


「バッカモン! それこそ先人に対する冒涜だ。そうじゃなくても詠唱は神様に捧げる神聖な言葉という人もいるんだ。滅多なこと言うんじゃない」


 神様ねぇ……。

 姉ちゃんや神父様には悪いけど、俺あんま神様って信じてねぇんだよなぁ。


 別に嫌いとかじゃなくて、何でもかんでも神様のおかげってのがいまいちしっくりこねぇ。

 見えるわけでも直接手を貸してくれるわけでもないのに、そんなに縋ってばっかりなのもどうかと思う。


 それに夢があったとして、それが叶ったら神様のおかげか?

 違うだろ、本人が頑張ったからだろ?


 それに、夢が叶ったのを神様のおかげにしたくねぇ。

 俺の夢は俺のもんだ。


 姉ちゃんは別に熱心な信者ではないだろうけど、その先人達に敬意を払えってのはよく言う。

 この話題は禁句ってやつだな。


「あーもーわかったって。真面目に覚えるって。もう楽しようとは思わねーよ」


「まったく、最初からそうしてればいいんだよ」


 そんなやりとりの後すぐ、姉ちゃんの家のドアが乱暴に叩かれた。

 というか叩きすぎだ。壊す気かよ。


「なんだい一体……。はいはい、そんな叩かなくても聞こえるよ!」


 姉ちゃんがイライラしながらドアに向かう。


 バカな奴だなー、姉ちゃんを怒らせて。

 姉ちゃん、急かされるの大っ嫌いだからな。


「どこのどいつだ! 壊れたら弁償させっからね!」


 姉ちゃんが怒声を上げながら叩かれてた以上に乱暴にドアを開けた。

 そんな風に開けた方が壊れそうじゃん。


 それで壊れても相手のせいにすんのかな?

 するだろうな、姉ちゃんなら……。


「……魔導師のマリア・アンダーソンだな?」


 でも、ドアの向こうに立ってた人は姉ちゃんの脅しにも眉一つ動かさずにそんなことを言ってきた。


「はぁ……まぁそうだけど、軍人さんがあたしに何の用だい?」


 あ、ホントだ。

 あの服は帝国軍の軍服だ。新聞とかで見たことがある。

 全身真っ黒でスゲェ威圧的な軍服を来た人が二人ほどいる。


 本当に何の用だろ?


「以前、皇帝陛下の紋章入りの招集令状が来ただろう。なぜ無視した? 返答によっては国家反逆罪として拘束する」


「はぁ? 招集令状? んなもん知らないよ!」


「嘘をつくな! この地方の配達員にも裏を取っている! 間違いなくお前に皇帝陛下からの通達を渡したとな!」


「ちょっと待て待て、そんな言いがかり……」


「いや、姉ちゃん、一ヶ月位前に来てたじゃん! ほら、初めて呪文スペルとか魔法陣サークル教えてくれた日!」


「……?」


 あ、これ絶対忘れてるな!


 姉ちゃん基本自分の興味あることしか覚えてないからな!

 ホント都合のいい脳みそだな!


 つか、あれ召集令状かよ!

 だから中身を確認しろっつったろ!

 そりゃ軍人さん達怒るわ!


「あのースミマセン、軍人さん! この人片付けとか下手で、自分の研究に関係ないものとかすぐにそこら辺に放ったらかしにしちゃうんです! その癖で皇帝陛下の通達もどこかになくしちゃったんだと思います! だから反逆とかこの人にはそんな考えこれっぽっちもありません!」


 なんで、俺が姉ちゃんのフォローしなくちゃなんねぇんだよ……。

 当の本人は自分は悪くない見たいな顔しやがって!


 軍人さんも、俺を見て何だコイツみたいな顔したけど、姉ちゃんの部屋の汚さを見て、嘘を言ってるわけじゃないって思ってくれたみたいだ。


「なんにせよ、司令部まで来てもらう! 反逆の意思がないならそれでいい! 僕、君は帰りなさい」


「全く、なんでこんなことに……」


 ええ! 結局連れてっちゃうのかよ!


「ま、待ってよ軍人さん! 姉ちゃん何も悪いことしてねぇって!」


「そうゆう問題じゃないんだよ。この女の人は皇帝陛下に呼ばれてるから連れてかなくちゃいけないんだ」


 いや、それは聞いたよ! ガキ扱いすんな!


「いーんだよ、ロキ坊。悪いけど今日は帰んな」


 なんで姉ちゃんはそんな落ち着いてんだよ。

 さっきまであんな怒ってたくせに!


 姉ちゃんは二人の軍人さんと一緒に外に停めてあった車に乗り込んだ。


 ってか車だ! スッゲェ! 初めて見た!

 首都の方でしか使われてねぇから新聞でしか見たことなかったのに!


 って、それどころじゃねぇ!


「おい、姉ちゃん!」


「あー、ロキ坊悪いけど戸締りしといて。すぐ戻ってこれなさそうだし」


 いや、お留守番かっ!

 お出かけしに行くんじゃねぇんだぞ!


 心の中でツッコミを入れている間に姉ちゃんを乗せた車はあっという間に走り去っていった。

 早ぇな車って……。


 そして姉ちゃんの言う通り、姉ちゃんは家にしばらく戻ってこなくて、やっと会えたのは三日も後のことだった。


       *


「へーいロキ坊、ひっさしぶりー」


 三日ぶりに会えた姉ちゃんはいつも通り、というかそれ以上にのんきな声で俺を出迎えた。


 あまりののんきさにその場に崩れ落ちてしまった。


「へーいじゃねぇよ! さんざん心配させやがって! こっちの気も知らねぇで!」


「えー、ロキ坊心配してくれてたの? やっさし~」


 なんだこの軽さ、いつもより輪をかけて面倒くさい。


「でもよかった。戻ってこれたってことはもう大丈夫なんだな?」


「うーん……」


 なんだ? ずいぶん歯切れが悪いな。


「実は今日は無理言って、ロキ坊に会うために一日だけ帰宅を許されたんだ」


「俺に?」


「うん。ゴメンロキ坊。まだまだ教えたいことはいっぱいあったけど、今日でお別れだ」


「……は? お別れ? ってことは招集にしたがうってことなのか?」


 姉ちゃんはいつぞやみたいに「そ」とだけ言った。


 三日前、軍人さんは皇帝陛下の召集令状って言ってた。

 ということはただ事ではないってことは俺でもわかる。


「そっか……。確かにまだ教えてもらいたいことはいっぱいいあったんだけどな。まぁでも一生会えないってわけじゃないんだし! 俺も、いつか会いにいくよ! 首都の方だろ? 観光もしたいしさ!」


「ムリ」


「あの時見た車ってやつさー……。え、ムリ?」


「うん。多分、もう一生会えない」


「い……しょう?」




 一生? なんだよ、いきなり。

 突然過ぎってか訳分かんねぇよ。なんでそうなるんだ?


「どうしてだよ? いくらなんでも一生は言いすぎだろ?」


「そうでもないんだよ。あのさ、前に『血の宣戦』のことは話したろ?」


 確かに聞いた。『黒い逆十字』が起こした世界的宣戦布告。

 今回の招集だって要はそのためなんだろうけど。


「あたしが思ってた以上に皇帝様『黒い逆十字』のことをよく思ってなくてさ。国力を挙げて根絶やしにするつもりみたいだ。そのために、魔法を専門的に扱う機関にあたしが呼ばれてるみたいで、あたしはそこに『逆十字』が無くなるまで缶詰で研究させられるらしい」


 マジかよ、そんな大事になってたのか。

 ってかホントに姉ちゃんナニモンなんだよ。

 そんなとこに呼ばれるなんて。


「姉ちゃん、それでいいのかよ! あんだけ急かされるのも、人のいいなりになるのも大嫌いだった姉ちゃんが、そんなとこでずっと研究するっていいのかよ!」


「ホントガキだねー。いいかい、あたしは訳のわからない『逆十字』なんかより皇帝様のほうがヤバイって言ってるの。いいとか、悪いとかじゃないんだ。ここで断ったりなんかしたら国家反逆罪であたしは間違いなく死刑だ」


「いや、死刑って言いすぎだろ……」


「言い過ぎなもんか。あたしは首都の魔法大学で皇帝の横暴さをいやって言うほど見せられてきたんだ。それなのに、他の連中は、皇帝が決めたことだから当然みたいな顔しやがって……。ホント狂ってるよ、こっちまで頭おかしくなるんじゃないかと思ったよ。だからあたしは皇帝の支配圏が及ばない田舎まで逃げてきたのにさぁ。……はぁ。こんなことならとっとと国外逃亡しときゃよかったよ」


 姉ちゃんのここまで深刻な顔をするのは初めてだ。

 姉ちゃんはめんどいとか言ってたけど、そうじゃなかったんだ。

 もう二度とそこへは戻りたくない。そんな思いがあって逃げ続けてたんだ。


「はっ、でもいいさ。はいはいといいなりになってれば殺されることもないんだし、一日中魔法の研究してれば寝るとこも飯もありつけるんだ。でもね、いくら戦力を揃えようと、いくら魔法の研究をしようと、『逆十字』が無くなるなんて、ありえない。あれはただの賊じゃない。もっとでかくて得体の知れない何かだ。意思とか概念に近いものを感じる。だから根絶やしになんて、少なくともあたしやロキ坊が生きてるうちになんて出来やしないよ……」


 だから一生会えないか……。


 姉ちゃんがここまで思いつめてたなんて知らなかった。

 いつもあんな飄々としてたのは、ずっと抱えてたものをごまかそうとしてたのかな。


 なんか、悔しい。

 そんなことも気づかないで、のほほんと姉ちゃんと勉強したり、バカ話したり。


 俺自身の無知さが恥ずかしくなる。


 それに俺自身の無力さにも。


 俺はまだまだガキだし、魔法も覚え途中でロクな戦力にもならないから、姉ちゃんの助けにもなれない。


「ごめんよ、ロキ坊。突然こんなことになって……。無責任もいいとこだ。先生なんて言われていい気になって、現実を見てなかった。こんなことになるなんてちょっと考えればわかるはずだったんだ。でもさ、あたしって基本能天気だから、ついつい目の前の楽しいことにつられちゃったんだ。だってあんまりにもロキ坊が面白いやつだったからさ」


 なんだよ、やめろよ、急に。


「初めて会ったときはクソ生意気そうなガキだなって思ったよ。しかもあたしのことオバサン呼ばわりして。あたしまだ二十だよ? でもそれからも毎日あたしんとこ来てさ、あたしそうでなくても子供嫌いなのにさ。」


 もういいよ、やめろって。らしくもねぇ。


「けど、だんだんあんたのことが面白くなってきてさ、理解力もあって、魔法のこともどんどん覚えていったし、あたしの会話にもついてこれるし。それにあたしと話してて笑ってくれるやつ、大学の時にはいなかったからさ」


 ふざけんなよ、別れる気ねぇじゃん。めっちゃ名残惜しんでんじゃん……。


「だから、ロキ坊と一緒にいたこの一年、すっごく楽しかった。正直今までの人生上書きするくらい充実してた。だから満足だよ。ロキ坊がいたから、もうあたしは満足だ」


「……やめろよ。なんでそんなこと最後に言うんだよ! ぐすっ……もう会えないって自分で言ったくせに! ひっく……なんで泣かせるようなこと言うんだよぉ……!」


 姉ちゃんの話を聞いてたら涙が止まらなくなった。

 鼻水も止まらなくて、嗚咽も止まらない。


 息が苦しい。こんなに泣くのは初めてだ。


「ははは、やっぱりロキ坊をおちょくるのは楽しいからさ。これで最後だから許しておくれよ」


 そう言って、姉ちゃんが笑う。いつも通りのイタズラっぽい笑顔で。

 もう姉ちゃんのこの笑顔が見れない。


 そんなの……、絶対嫌だ!


「姉ちゃん! 俺……決めた!」


「なんだい、急に?」


「俺、これからももっともっと魔法の勉強する! 魔素マナが少ないからってそんなの関係ない! 何年掛かるかわからないけど、でも絶対に俺どんなやつにも負けない魔法使いになる! 天下七皇だってメじゃないくらい強くなって、俺が『黒い逆十字』をぶっ潰してやる! そんで俺が全部終わらせて、姉ちゃんを迎えに行くよ!」


 俺の決意を聞いた姉ちゃんはポカンとした顔をしてる。

 そしてその後今まで見たことない柔らかい笑顔になった。


「バカだね。さっきのあたしの話聞いてなかったのかい?」


「それでも、俺はやる。絶対に姉ちゃんを帝国から助け出す!」


「ふふふっ、それはあれかい? プロポーズってやつかい?」


「はっ……!?」


 ななな、なんだいきなり!

 なんでそうなるんだ? 俺そんなこと言ったか? 言ったな! それっぽいこと。


 別にそうゆうつもりは一切ないんだけど、

 でもだからって姉ちゃんのこと嫌いってわけじゃないんだけど、そんな飛躍したこと言いたいわけじゃなくて。


 でも、俺が強い魔法使いになる頃はもしかしたら俺は成人してるかもしれないから、そう考えるとちょうどいいのか?


 わかんねぇ!


 俺が頭の中で壮絶な会議をしていたら、姉ちゃんが前に大規模魔法を成功させた時みたいに抱きついてきた。

 でもその時とは違ってなんかすっげぇ優しい感じだ。

 毛布に包まれたみたいに暖かくて、安心する。


「うん。じゃあ待ってる。でもあんま待たせると、ロキ坊のこと忘れちゃうよ? あたし、ロキ坊と違って忘れっぽいんだから」


「……おう! でもそんな心配いらないぜ! あっという間に助けに行くからな!」


 そうだ、すぐに連れ戻してやる。


 まだまだ姉ちゃんには教えてもらいたいことがある。


 話したいことがいっぱいある。


 そのためにもっと色んなことを覚えなくちゃいけない。


 待ってろよ、『黒い逆十字』。すぐにぶっ潰してやるからな。


        *


「うおー! スッゲェいい天気だな! 絶好の旅立ち日和だぜ!」


 姉ちゃんが帝国の首都へ行ってから五年経った。

 そして俺はこの日、十五歳になる。

 それで成人したというのを区切りにして、俺はこの田舎から出ていくことにした。


 それまでは姉ちゃんが家の本をそっくりそのまま俺にくれたから、魔導書や研究書を読みあさった。

 まぁ俺は大体流し見しただけでもう覚えれるからあっという間に読むものがなくなって、それからは独自に魔法の勉強をしてきた。


 でも流石にこの田舎じゃできることが限られるから、ずっとこの田舎から出てみたかったんだけど、神父様がせめて成人するまでって言われてこの日をずっと待っていた。


 くぅー! やっとこの田舎からおさらばだぜ!


「何もこんな朝早くから出発しなくても……」


「そうですよ、もうちょっとゆっくりしてからでも……」


 神父様と修道女様は今までずっとこんな感じだ。


「悪いけど、もうじっとしてらんねぇんだ。すぐにでも色んなことを知りてぇ。いろんなとこ行って、いろんな人に会って、この世界を見てみてぇんだ!」


 俺が意気揚々と語ると、やっと神父様と修道女様は諦めたようにため息を吐いた。


「まあ。ロキが言って聞くような性格出ないのは重々承知だ」


「そうですね、もう諦めました」


 思えば神父様にも修道女様にも今までいろいろ迷惑をかけたな。


 魔法の勉強に没頭して、姉ちゃんの家で寝ちゃって心配をかけたこともあったし。

 夜遅くまで勉強してた時に、暖かい紅茶を淹れてもらったりと。

 具体的には理由を言わなかったけど、俺が魔法使いになることに反対するようなことは一言も言わなかったし、今日も結局はしっかりと見送りもしてくれる。


「神父様、修道女様」


「「?」」


 簡単に纏めた荷物を一回置き、二人の前に向き、頭を下げた。


「今まで私のことを育てていていただき、本当にありがとうございました。十五年前の今日、貴方がたに拾っていただいたことは私にとって最大の幸福です」


 ちょっとクサかったか?

 でも心の底からの本心だ。

 本当にこの人たちに会えてよかった。


 この人たちに育ててもらえてよかった。


 顔を上げると神父様も修道女様も目に涙を浮かべてる。

 泣かせる気はなかったんだけどな……。


「お前のこれからにさらなる幸福があることを祈っておるよ」


「元気で。いつでも帰ってきていいからね」


 そろそろ気恥ずかしくなって、逃げるように駆け出した。


「じゃあ、二人も元気で!」


 冷たい空気が顔に当たる。でも顔が熱かったからちょうどいい。


 大分時間が経っちまった。

 姉ちゃんには待たせないって言ったけどもう五年だ。

 これからはもっと駆け足にやってかねぇとな。


 ああ、最高だ。

 これから何をしよう?


 見たことない魔導書も読みたい。

 有名な魔法使いに弟子入りでもしてみようか。


 他の国も見てみたい。

 魔法文化の根付いた神が座す地、エトルリア。

 独自の文化と魔法大系を持つ、リェンファ。

 そして長い歴史と騎士の国と言われる伝統あるブリティア。


 いつの間にか走りながら笑ってた。


 楽しいことばかりじゃねぇのはわかってるけどこれからのことが楽しみでしょうがなかった。


 そして、テンションが上がりすぎて適当に走って、日が暮れる頃にはどこともわからない森の中で野宿する羽目になった。


 しかも、神父様からもらった全財産もどっかに落としてたみたいだ。


 これからどうすっか……。ちくしょう。


      *


 田舎を出て数ヶ月が経った。


 俺はスカーディアを出ていくつか国を渡ったとこのとある街にいる。

 今の俺の状況を一言で表すなら、そう。


 行き倒れている。


 獣や木の実ばある山とは違って、街の中じゃ食うにも寝るにも金が必要だ。

 今までサバイバル生活をしてきたせいで金銭という概念がすっぽり抜け落ちていた。

 出発の時有り金全部落としたまま一文無しで生きてきた代償がついに回ってきた。


 最初のうちは裏路地の残飯を漁って食いつなぐっていう惨めったらしい生活をしてきたがとうとう限界だ。

 長い教会暮らしのせいで盗みを働くっていう思考回路は俺にはなかった。


 ああ……。結局『黒い逆十字』を潰すって目的は果たせねぇのか。


 こんなザマで『天下七皇』だなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ。


 ……ついてねぇな、俺の人生……。


「……―し。もっしもーし! おーい生きてマスかー?」


 俺の頭上で声がする。

 腹が減りすぎて声の方に頭を向けることもできねぇ。


 いやもしかしたら天国からの使いってやつか?


 そっかぁ、俺一応天国行けんだぁ。

 別に死後の世界とか信じちゃいなかったんだがなぁ。

 清く正しく生きてみるもんだなぁ。


「つんつん。つんつん。お、まだ生きてる。うわっ、ビクッてした! キモチワル!」


 しかしなんだこの天の使い。

 この哀れな子羊を犬の糞触るみてぇに突きやがって。


 挙句気持ちわりぃだぁ? 素行に問題ありすぎだろ。


「おい、ヒカリ。こんな所で何している」


「あ、ギル君。ねぇコレー」


「おい、また捨て猫か? 何回も言ってるが俺たちは旅の途中……。なぜこんなところに人が倒れている?」


「さぁー? どうしよっかコレ?」


「どうしようもあるか! 大丈夫ですか!?」


 あん? もしかして天国からの使いじゃねぇのか?

 ガチで助かるのか?


「メ、メシ……。はらぁ、へった……」


 とにかく恥も何もねぇ。

 とにかく俺は目の前の奴に助けを求めた。


 まさかこの出会いがあんなことに繋がるたぁ、それこそ神サマだってわかんねぇよな?

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