03-鶉
私は幼い頃から、布が好きでした。
物心ついた時には母の乳より端切れを常に手放さず、端切れを人形のように抱いて眠っていました。
綿のさらりとした手触りと麻の、強い繊維を感じられる耳触りが好きでした。
絹を知ったのはもう少し大人になってからで、それでも麻の方に馴染みというか、絶対的な安心感を覚えたのを今でも忘れることは出来ません。
私にとっての布は、生活のまさしく要でもあったからなのでしょう。
甲斐甲斐しく動く母の衣擦れの音。困惑を隠せずとも遊んでくれようとする父の膝に張る布の感触。私の手を引き、外へと連れ立ってくれた兄の裾の感覚。
それらの大切さを刷り込まれた私がこうして反物の商家を構えるようになれたのも、必然的だったのかもしれません。
そんな昔の事を、夢に見ました。
気付いた時、起き上がる私の耳に届いた軒先からの声に、懐古の原因を知りました。
「─兄様、ですか?」
「そうだ。早くに済まないが、例の無頼漢は居るだろうか?」
「いえ。未だいらっしゃる時間ではありませんよ。それよりお久しぶりなのです、上がって行かれては」
「いや、少し野暮用でな。他のアテを回ろう。邪魔をした」
「…そうですか。…御無理をなさりませんよう」
「それはそのままそっくり、お前に返そう。息災でな」
「はい、兄様も」
およそ三年振りとは想えぬ簡素な会話を交わされると、兄の草履の音はすぐさま聞こえなくなりました。代わりにすぐ近頃聞き慣れた草履の音が入れ替わります。
「お早うさん。─誰だ?今出てったのは」
「おはようございます。兄様ですよ。貴方を頼って来られたのですが…お顔を知らないからですね。もう少し引き止められたら良かったのですが」
「あれが?──あんなに、血の匂いを漂わせたのが?例の?」
「…それは、」
明らかに潜めた声に、私は項垂れるより他がありません。
解ってはいました。上がって頂こうと少なからずつい、昔のように裾を取ろうとした自分の鼻腔に、それはまざまざと程度の具合を知らしめてきていました。
家族が離散し、三年経った兄は、どこでどうしているかなど知る由もありませんでした。
どこへでも連れ立ってくれた兄は離散の時、開店したてのこの店の土間で「もう生きた人間は疲れた」と別れを告げに参られました。それでも私は、永劫の別れではない、兄様は自分とは、自分とだけは繋がっていてくださる。
そう思い込んで、高を括っていたのでしょう。
たった今、自分はそれをむざむざと思い知らされたのです。
あれだけ近かった、唯一外へと連れ出し、私の今を下さった兄様。その兄様は、もう自分の知る兄ではないのだと。
少なくとも、自分以外の誰かの為にこうして絶たれた筈の俗世との関わりを簡単に持たれる様に、なったのだと。
嗚呼、何故、今なのでしょうか。
こんな想いを自覚するにはもう、遅過ぎるというのに
「─あれこそが、私の、兄様ですから」
この声は、貴方には解って、いただけるのでしょうか?
普遍的愛情故事 六宗庵 @keinxpulse
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