第二話:野生の軍靴

 月明かりが差す枯れ木の森の中で、人狼と黒騎士は互いに間合いをはかっていた。

人狼は牙を剥き、自らの両の爪をぶつけてカチカチと音を鳴らし、その威力を誇示している。

対する黒騎士は剣を向けるよりむしろ姿勢を低く保ち盾を構えている。彼には護るべきものがあるためだ。


「見ていなさい。セリナ。死霊術に何ができるか見せてあげるわ」


 黒騎士の操者であるノワールは、へたり込み放心しているセリナにそう言うと、黒騎士にかざしていた手を振り下ろした。

黒騎士はそれに従い地面を抉るほどの踏み込みで人狼に突撃した。風圧で落ち葉が舞う。セリナも危うく舞いかけた。


 黒騎士の盾が腹部にぶち当たり人狼は血を吐きながら吹き飛ばされた。

人狼はすぐに起き上がり、流れるように近くの木を登り始めた。

 次々に木々を経由して騎士に接近し、そして牙を剥いて飛び掛かった。


 騎士は即座に盾を捨て、剣を構えて宙に突き出した。その鋭い一閃に人狼は噛みつき、口が切れるのも気に留めずに刃に歯を滑らせた


 これを受け、騎士は剣も捨て、人狼の頬にめり込むほどの強烈な殴打を食らわせた。刃で切れたばかりの口に、この鈍痛は沁みた。

続いて腹に強烈なフックをお見舞いする。そして、強烈な衝撃に気を失いかけた人狼の首を掴み、前方に押し投げた。


 人狼は呻くばかりで反撃どころではなかった。それを見下ろし、騎士は近くに投げおいた盾を拾い直し、縁を掴んで力いっぱいに人狼の首に押し付けた。

ちょうどギロチンの様に盾で首を切断する寸前に、人狼は意識を取り戻し、盾を押し返して抵抗した。負けじと騎士は再度盾を人狼の首にあてがう。


 一つの盾を挟んだ純粋な腕力の比べあい。黒騎士が勝利すれば、人狼の首が潰れるさまが見られるだろう。


 その生死をかけた戦いを眺めながら、ノワールはセリナに言い聞かせた。


「今あなたに見せているのが死霊術のもっとも愚かな使用法「真剣勝負」よ」


 セリナは内心の緊張感をひた隠しにしながら答えた。


「そ、そんな。とても有効な方法に見えます。もうすぐあの化け物を殺せそうじゃないですか」


 獣の咆哮が森にこだました。黒騎士に腕力で押し負け、今にも首がちぎれかかろうとしている人狼の、最後を悟った悲しい響きだった。

 あたりに響き渡った後、その咆哮は突如として途切れた。ついに人狼の首が断たれたのである。


「終わったようね」


 ノワールは微笑むと、黒騎士に手をかざした。黒騎士の銀の装飾に紫色の光が駆け巡り、命令の終了を受託する。


 黒騎士が盾を持ち上げると、人狼の血肉が糸を引いた。セリナは人狼の死体から目を背けながらノワールに言った。


「やっぱり有効じゃないですか。彼は勝ちました。これのどこが愚かな使用法だと?」


「私はやろうと思えば一個軍団を召喚できたのよ?」


「では、なぜそうしなかったのですか?」


「この庭で暴れると怒る人がいるのよ」


 黒い騎士はノワールの前で跪いた。ノワールは「頑張ったわね。ポチ。」とその兜を優しく撫で、もう動かなくなった人狼の方に歩き出した。


「はは、ポチって・・・面白い名前ですね」


「あら。私の命名に意見があるのかしら?」


「え・・・」


まさか本気で言っているの?と、セリナは狼狽えた。この雄々しい黒騎士に「ポチ」なんて犬につける典型例みたいな名前を本気でつけるとは思わなかったのだ。

もしノワールが本気でこの黒騎士に「ポチ」と名付けたのなら、すでに命名センスにおいてセリナは師匠を超えていることになる。


 ノワールはちぎれた人狼の首を拾い上げ、月にかざして眺めた。


「断末魔にしてはやけに通る声だったわね」


こうなってしまったら死霊術に使えない。と、ノワールは肩を落とし、人狼の首を放った。

 

 セリナはその場に倒れこんだ。脅威が排除され、安心した瞬間に疲労が押し寄せてきたのだ。仰向けに寝転がり、空に穴をあけたような満月を眺めていた。

その時、視界の端の木々に大きな影が動いた。視界を移すと、一本の木の頂点に一匹の人狼がまっていた。黄金色こがねいろの美しい毛並と、豊かな乳房を持った、雌型の人狼だった。


「ノワール様!あそこに!」


セリナが指さす方向を、ノワールは見なかった。うつむき、何かに感じ入るように沈黙している。

彼女は先ほど殺した人狼について思考していた。半分狼とはいえ元は人なのだ。自分が死にそうになった時、意味もなく喚き散らしたりしない。そういう時に人が叫ぶなら、理由は一つだ。


 人狼が高く吠えた。枯れ木の森全体に響きわたる、太い弦を弾いたような遠吠えだった。


 呼応して少し離れたところから別の獣の遠吠えが返ってきた。また別の所から答えるように人狼の鳴き声が響く。

明らかにコミュニケーションをとっている。


セリナは恐る恐る起き上がった。先ほど人狼に追いかけられていたときと同じ恐怖が舞い戻り、また呼吸が早くなっていく。


 一つ、また一つと遠吠えは増えていき、最後には辺り一帯が人狼の遠吠えの大合唱に包まれた。10や20の鳴き声ではない。呼応し、共鳴し、増幅する。


 あまりの轟音にセリナは耳を塞いだ。とても立っておられず、その場にへたり込んだ。依然大きくなり続ける遠吠えは地面を震わせ、結果として体全体で音を感じる羽目になった。

セリナは爆音に悶え、いよいよ鼓膜が破れるかという時になると、不意に合唱はピタリと止んだ。


数舜の間、辺りが静まり返る。


 セリナが起き上がり周辺を見回すと、あらゆる方向から無数の足音が近づいてきた。


「セリナ。お客様が来るわよ。私のそばにいらっしゃい」


 ノワールはセリナに呼びかけると、手元に召喚の魔法陣を描いてその中に手を入れ、魂石を取り出し、強く握って破壊した。

ノワールの全身に対価の魔力が満ちる。全能感に包まれ、激しい攻撃衝動が体を駆け巡った。過度に魔力を内包したことによる副作用であるそれを、彼女はジレンマ的な快楽と見做みなしていた。


 セリナはおぼつかない足取りでノワールの元に駆け、足元にすがりりついた。


 ノワールが呪文を唱えながら手をかざすと、彼女らを囲うように魔法陣が形成され、そこから這い出るように屍人達が現れた。ローゼンクライツ製の黒金で造られたロリカ・セグメンタタ──ローマ軍の標準的な鎧──に全身を包み、目に青色の光を宿している。

 背負っていたローゼンクライツを表す紫色の薔薇が刻まれた大きな長方形の盾「スクトゥム」を構え、ノワールを中心に半径10mほどの綺麗な円形の防御陣を組むと、蛇のような威嚇の声を上げた。彼らが持つ盾から、ノワールは彼らを「盾持スクタリ屍人達アンデッド」呼んでいた。


 位置を捕捉した人狼たちが矢継ぎ早に防御陣に向かってくる。


 ノワールがポチ──黒騎士──に手をかざし、魔力で命令を伝えた。ポチは命令を受託し、ノワールが先ほどしたように宙に召喚の魔法陣を形成し、そこから成人男性ほどの巨大な大剣を取り出した。装飾もなく、ただ武骨なその大剣は、並みの戦士では取り扱えないほど重く、振るえばその威力は想像に難くない。


 最初に到着した人狼が防御陣に迫る。しかしスクトゥムに触れる前に巨大な両手剣でその首は刎ねられた。ポチは刎ねた人狼の首を掴んでそれを放り投げた。

仲間の首が宙を舞うのに人狼たちは注視した。その隙にポチは2匹の人狼を屠り、それに気づき襲い掛かってきた他の人狼を次々に叩き斬った。


 一方、防御陣ではポチを無視した人狼たちが続々とにスクトゥムに突進し陣を打ち崩そうとしていた。屍人達は盾越しに人狼たちを威嚇し、人狼たちはそれに煽られて咆哮で応えると、鋭い爪と牙で盾をガリガリと削った。


 壮絶で異常なこの光景に、セリナはひどく委縮していた。人と人との戦いであれば、アイゼンの祭りでグラディエーター達が戦うのを見たことがあったが、目の前で行われているのは屍人と人狼の凄惨な殺し合いであった。人間同士の技術による戦いとは違い、屍人と人狼は理性に欠けるが故に、野性的で、残酷だ。


 屍人がスクトゥムの間からハスタ──ファランクス用の槍──を突き出し、襲い来る人狼の胸を刺し貫く。仲間を殺された怒りから人狼が盾を打ち破り屍人の頭を噛み砕く。そんな光景が、セリナの360度で繰り広げられていた。


 屍人達がたおれると徐々に防御陣は小さくなっていき、セリナ達の生存圏が脅かされる様が浮きぼりとなった。この極限の中で、ノワールはいつの間にやらテーブルセットを召喚し、防御陣の中央で優雅に紅茶を嗜んでいた。


 屍人と人狼達が爭い、その血飛沫が雨の如く降りそそぐと、ノワールと紅茶に数滴の血が滴った。ノワールは躊躇うことなくティースプーンで紅茶をかき混ぜて飲むと、カップをソーサーに置いて足を組み、その味をよく吟味した。


「挑戦的な味ね」


 味に満足できなかったのか、ノワールは不満げにカップをつついた。


「やっぱりフレシアに淹れてもらうのが一番だわ」


 屍人の壁を越えて、一匹の人狼がノワールに迫った。その直後、ティーカップが宙を舞い、人狼の額で砕けた。人狼は目に紅茶がかかって視界を奪われ、その直後に陣の中に舞い戻ったポチの大剣に身体を貫かれた。

「戻ったわねポチ。死体は十分かしら?」


 ノワールが言うと、ポチは人狼から剣を引き抜いて肩に担ぎ、大きくうなずいて肯定を表した。

よろしい。と、ノワールは椅子から立ち上がり両手を高く掲げ、死霊を祝福する長い呪文を唱え始めた。彼女が呪文を唱えるにつれ、付近に無数の不気味な黒い光が徘徊し、その数は増していった。


 セリナは最初、この黒い光が自分に迫ってくるとワタワタと逃げ惑っていたが、これらが実態を持たず、ただ自分の体を透けていくものだとわかると、今度は逆に手を伸ばして触れようと試みていた。


 呪文を唱え終えると、ノワールは大きく振りかぶって手を振り下ろした。それを合図に、黒い光はイナゴの群れの如く飛び交い、防御陣の外に転がる人狼の死体に群がった。


 一つ、また一つと、傷つき死んだはずの人狼が立ち上がる。目を青色に輝かせ、口から腐臭を漂わせる。傷ついた身体から漏れ出す血液、臓物を気にも留めず、防御陣を襲撃する人狼に襲い掛かった。


屍人狼アンデッド・ライカン・・・なかなか見事なものだわ」


 ノワールが上機嫌にクスクスと笑う。戦場の勢力図が一転し、人狼達が数の上で劣り始めると、彼らは徐々に勢いを失い、敗走する個体も散見され始めた。


 呆気にとられているセリナの肩に手を置き、ノワールは優しく囁いた。


「これが死霊術の必勝法よ。さっきの敵は今の味方。死体は友達。いかがかしら?」


 セリナはこの光景に一種の興奮と感動を覚えた。先ほどまで自分の身を脅かしていた人狼が、今は仲間に襲い掛かり自分の身を守っている。

相手が強力であるほど、打ち破った時にこちらの戦力が大きくなる。死体のわらしべ長者だ。これを飛躍させることができれば、一国の軍隊にも劣らない屍人の軍勢を造ることだってできるかもしれない。


「素晴らしいです・・・」


 セリナが感嘆の声を漏らすと、ノワールは満足げに微笑んだ。


 屍人狼アンデッド・ライカンに追い立てられ、人狼の軍勢が蜘蛛の子を散らすように崩壊していく。勝利を確信したノワールであったが、そこに一つのイレギュラーが生じた。


 高く吠える。雌型の人狼。黄金の毛並を満月に溶かすその姿は、野性の中にあって高貴を思わせる。


 満月のの女王。


その呼び声に惹かれ、散っていった人狼たちがまた集結しつつあった。本能から恐怖で敗走したのと同様に、女王の呼び声に惹かれ、本能から鼓舞され、闘志を取り戻す。


セリナはノワールに再度助けを求めようと彼女の表情を伺った。


「ノワール様!あいつら、また・・・ひっ!?」


 そこにあったのは、いつもの飄々ひょうひょうとしたノワールの姿ではなかった。

うつむき、自らの中の憎悪を抑えきれず、それが呪詛となって口の端からぶつぶつと漏れ出ている、恐ろしいまでの怒りに今にも気が狂いそうなのを必死に耐えるノワールの姿だった。


「あいつ・・・折角の勝利に泥を・・・なめてるのかしら・・・いいかげんに・・・チッ」


 舌打ち。普段の上品な振舞とはかけ離れた姿。紅いマニキュアが塗られた艶めかしい爪をガリガリと噛むその様は、女性特有の危うさと恐ろしさを含んでいた。


「叩き潰しますわよッ!!」


ノワールが両手を振り上げると、その場の死霊達の目の輝きが青から紫を経由して赤へと変貌した。一層狂暴性を増し、ノワールと同様に狂気に身を任せんとしている。吠える。屍人と、人狼の混沌の如き狂奏曲。


 セリナはこの場に心を預けるに値する味方を見出すことができず、ただその場にへたり込んで小さく震えていた。視界を上へやると、満月の中で爛々と目を輝かせる人狼の女王の姿があった。心なしか笑みを浮かべているように見えた。


 ノワールがポチに檄を飛ばすと、ポチは大剣を雌型の人狼めがけて放り投げた。彼女はそれをひらりと躱し、留まり木から飛び上がった。

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