第一話:霧の中のティータイム

  私は夢を見た。いや、夢というよりは断片的な記憶の羅列のようだった。




父が泣いていた。父が泣いているのを見るのは初めてだった。




黒い森の中で歩いていた。




父の声が聞こえた。誰かと言い争っているようだった。




羊が私の前に現れた。カラスと羊は互いに混ざり合った。




椅子に座っていた。誰かが私に語り掛けてきた。




体内を糸が這った。




大きな何かが私を見下ろした。私はそのなにかが怖くて逃げだした。




すると、私が現れ、私を掴んだ。




大きな何かは私に命じた。私はそれに従った。




私は私を掴んだ。




代わりの私をそこに置いて、私は自分の喉に噛みついた。




血がドロドロと流れ、私は...
















「ああああ!!!」


 セリナはゴシック様式の豪華なベットから転げ落ち目を覚ました。慌てて周りを見渡すと、黒と赤を基調とした装飾がなされた豪勢な部屋にいた。窓はなく、随所に散りばめられたカラスの剥製や頭蓋骨などの置物が不気味な印象を際立たせている。




 もちろんセリナの部屋ではない。なぜこんなところにいるのか?ここはどこなのか?疑問は湯水のように湧いて出た。


立ち上がり家具の一つ一つを確認していく。化粧台、本棚、飾り棚、気味の悪い人形、雰囲気に溶け込めていない人骨標本。暖炉。一つしかないドア。その両隣には黒い西洋甲冑。そしてクローゼット。どれもセリナが目にしたことのない程の繊細な装飾がなされていた。


 姿見鏡の前まで来ると、セリナの全身が映し出された。炎に焼かれたはずの服と、グロテスクに傷ついていた体は、すっかり綺麗になっていた。


 まず、この部屋から出てみよう。と、セリナはドアの方へ向き直り驚愕した。扉の両端に配置されていた西洋甲冑が動き出したのだ。2つ甲冑は互いに向き合い、こもった男の声でうわ言のように交互に呟きだした。


「...起きた。彼女が起きた」


「母は次に何を望んだ...?」


「曰く...直ちに私を呼べと」


「...ならば、命は実行される」


 2つの甲冑はカチャカチャと音を立て扉から出ていった。


また部屋に一人になると、セリナは逃げ道を探した。ここがどこだかわからないが、なにか恐ろしいことが起きているような気がしたのだ。部屋の中をウロウロと歩きまわるが、ドア以外に出入りできそうな場所はなかった。


 ともなれば、逃げ道は一つしかない。唯一のドアのドアノブに手をかけ、音をたてない様にゆっくりと引くが、固く閉じられていて開かない。再度力を込めても、ピクリともしない。今度は両手でガッシリと掴み、全身の力で引いた。すると、ドアはひとりでに勢いよく開かれた。勢いあまり後ろに投げ出された。セリナが見上げると、開かれた扉の前に背の高い、目隠しをした女性が立っていた。女性は目隠しをしていたが、まるで目隠し越しに世界が透けて見えているかの様に、迷いなく黒いヒールをコツコツと鳴らし部屋に入った。バタンと扉がひとりでに閉まる。


「ご機嫌はいかが?」と女性。


 セリナは目の前の女性を見上げ、「う、麗しゅう...」と慣れない挨拶をした。


女性は口元で笑顔を作ると


「怖がらなくていいわ。ここは安全だから。」


と優しい口調で話した。


 それでもセリナが警戒心を露わにしているのを認めると、女性はセリナに近寄って慣れた手つきで頭を撫でた。


(綺麗な人...)


セリナは見とれた。遠目で見てもそうだが、近くで見るとますます妖しい魅力があった。


 黒く艶のある長い髪は定規で測ったように綺麗に切りそろえられ、肌は雪のように白く、唇は薄い紫のリップをつけていた。鼻は高く、目は黒い目隠しをつけているせいで見えないが、本人はそれがまるでないかのように振舞っている。何かの呪文や髑髏が描かれた黒いローブを着ているが、それでも体の凹凸がはっきりとわかるほどに豊満だった。


「怖かったでしょう。でももう大丈夫よ」


さりげない動作でセリナを撫でる手をするりと肩に回し、もう片方の手でセリナの眉間を指差し、低い声で何やら呪文を唱える。


ポッと女性の指から発せられた橙色の光がセリナの眉間に入り込み、霞が晴れるように恐怖が薄れる。


「もう怖くないわね?」


最後に女性はセリナの頬を二、三度撫で、トロンとした目で放心しているセリナを解放した。その後、扉の方を向き直りセリナについてくるように促した。


 セリナが豪華なゴシック調の部屋を出ると、代わり映えのない螺旋階段が下に伸びていた。


女性は「歩きながら話しましょう」と階段を降りはじめ、セリナはそれに続いた。


「まず、ここは私の研究塔よ」


「あ、はい...」


セリナははと、疑問を口にした


「あの、あなたは?」


女性はセリナの方を振り返らずに言った。


「死に仇なす者達について聞いたことはある?」


死に仇なす者達。セリナはアイゼンの図書館で母に読み聞かせてもらった本にその単語が出ていたことを思い出した。


「死霊術師...」


不思議と恐怖はなかった。


「そう、私の家系は代々死霊術師なの。私も例に漏れない。」


不思議な感覚だった。その存在については知っていたが、何処か自分とは別次元の神話のような気がして深く考えた事はなかったのだ。それが今、目の前にいる。


「あの、私をどうするつもり...ですか?」


自然と敬語になった。もし目の前の死霊術師の機嫌を損ねようものならどんな恐ろしい目に会うのか想像もつかない。だが死霊術師はあっさりと答えた。


「どうもしないわ。用は済んだもの」


「用?」


死霊術師が自分のような非力な娘に何の用だろう。しかもそれはすでに済んだ?セリナはますます混乱した。


「どういうこと...ですか?」


「もうすぐ教えてあげるわ」


 長かった螺旋階段が終わり、広いホールのような場所に出た。頭上では絵本の中で見たような綺麗なシャンデリアが目を引き、前方には両開きの黒い扉があった。死霊術師が近づくと、扉はひとりでに開き、セリナが後に続くと、またひとりでに閉まった。




 扉を通ると、深い霧のかかった広い庭園に出た。花壇には見たこともない青や紫の花々が美しく咲き、その中に様々な白のオーナメントが建てられていた。庭園は閉鎖的な黒く高いレンガの城壁に四方を囲われており、それ自体が小さな花壇のようだった。


振り返ると高い塔が視界にそびえた。あの長い螺旋階段を下ってきたので、ずいぶん地下深くにいるのだろうと考えていたが、もとより高いところに居たらしい。まるで死後の世界のような妖しくも美しい景色に目を奪われ、セリナはしばらく立ち尽くした。


「こっちよ」


と死霊術師に呼ばれ慌ててついていく。赤レンガの道の先に切り取られたかのような円状の空間があり、白のガーデンテーブルが置かれていた。テーブルの傍らには膝丈ほどあるスカートを備えたメイド服の女性が慎ましく立っており、死霊術師が近づくと恭しくお辞儀した。


「紅茶の準備が整っております」メイドは無機質な声で言った。死霊術師は礼を言うと2つあるテーブルの、向かって左の椅子に深く腰掛け、向かいにセリナを促した。


セリナが硬い動作で椅子に座ると、メイドは死霊術師とセリナにハンカチを渡し、静かにその場を離れていった。


「えと、紅茶?」


 セリナはますます混乱した。村を燃やされ、体を焼かれ、気づいたらどこかもわからない場所にいて、いまから死霊術師と紅茶を飲もうとしているのだ。


「あなた、ずいぶん長い間目を覚まさなかったのよ。すこしお腹を満たしておきなさい」


「長い間...どれくらい寝ていたんですか?」


「6か月くらいかしら?」


「6か月!?」


 セリナは驚いた。6か月何も食べずに眠っていたというのか。


 するとすぐに、霧に消えていったメイドがティーセットを乗せたトレーとかわいらしい2切れのケーキを乗せたケーキスタンドを持って戻ってきた。


メイドは赤茶色の甘い香りの芳しい紅茶を2人の前に1杯ずつ注ぎ紹介した。


「ラコリス・フラワーです」


続いて歪んだ薄焼きのクッキーを1つの皿に入れて中央に置き、紹介した。


「猫の舌です」


セリナはギョッとした。本物の猫の舌を焼いたものだと思ったのだ。


「そういう名前のお菓子なのよ」


 死霊術師は和やかに誤解を解いた。


 最後にメイドは鮮やかな赤の果実が乗ったケーキを配膳した。


「ブラッディ・ベリーのケーキです」


 全てのお菓子が出そろうと、メイドはトレーとケーキスタンドを持ってまた霧の中に帰っていった。


死霊術師は綺麗な動作でソーサーを持ち上げ音もなく紅茶を1口飲むと親し気にセリナに言った。


「今日の紅茶は特に美味しく感じるわ」


「は...はぁ...」


 セリナはテーブルに置かれたお菓子が見たこともないほど豪華で、同時に珍妙に思え、手を付けるのをためらっていた。


セリナはチラチラと周りをうかがった。周りの風景があまりにも非日常で幻想的なので、もしや、とセリナは疑った。


「あの、もしかして私...死にました?ここは...その...霊界、とか?」


 この世界では一般的に、死んだ人間は霊界において善なる神アストレウスに裁かれ、よい魂であるならばアストレウスの持つ領域である「秩序の神殿」に迎えられると考えられている。自分が死んだのなら、ここは霊界でありアストレウスの審判を待っている魂であるという事ならばセリナは納得がいった。だが、全く見当違いだという風に死霊術師はクスクスと笑っていた。


「ええ、あなたは死んだわ。ひどい状態だった。全身が焼けただれていて。初めて貴方を見たとき、私は貴方を人間だとは思わなかったわ」


自らのグロテスクな死体を想像し、セリナはいよいよお菓子を食べられなくなった。そんなセリナの様子を気にも留めず、死霊術師は続けた。


「でも、今、あなたは生きてるわ。そのための死霊術ですもの」


「私を...蘇らせたんですか?」


なぜ見ず知らずの死霊術師が私のようなただの村娘を蘇らせるのだろう?セリナの疑問はますます深くなった。


「ええ、私の力をもってしても難しいことだったわ。なにせ遺体が完全に焼けてしまっているんですもの」


死霊術師は、傑作を作り上げた芸術家が自らの作品にほれぼれするのと同じ視線をセリナにむけた。


「でもあなたが無事霊界から帰ってきてくれてうれしいわ。仕事を失敗して私の看板に傷がつくのなんて許せないもの」


セリナは今の台詞の中にあった「仕事」という単語が引っ掛かった。他にも気になるものがある。看板...そして推察する。目の前にいる死霊術師は誰かを蘇らせることを「仕事」としているのではないか?と。


「あの、あなたは、どうして死霊術師をしているんですか?」


セリナはこの台詞に「死んだ人を生き返すのはどうしてか?」という意味を含ませたつもりだった。予想どおり「蘇生屋」をしているのなら「仕事だから」や、もしくはそれに似た返答が得られるはずだ。


だが、死霊術師は全く見当違いの答えを出した。


「死霊術が世界で最も強力な魔術だからよ」


当たり前でしょう?とでも言いたげに死霊術師は足を組みふんぞり返った。その反応にセリナは拍子抜けした。変に深読みしてなんだか恥をかいた気分だった。


それにしても、死霊術が世界で一番強いという死霊術師の意見はセリナにとって興味深く思えた。他にも数多くの魔術分野があるにもかかわらず、その中でも特に禁忌とされ忌み嫌われる死霊術を推すというのはどういうわけなのか疑問だ。特に死霊術と言えば、死者を蘇らせ使役したり、霊魂を口寄せして未来を占わせたり、その他もろもろの残酷な儀式のイメージばかりが先行し、あまり戦闘に向いているようには思えない。納得がいかないセリナは恐る恐る尋ねた。


「死霊術って強いんですか?あんまりそういう印象は...」


「強いか強くないかで言えば、まあ強いけれど、死霊術の醍醐味はそこじゃないわ」


「醍醐味?」


「そう、死霊術の強み。なんだと思う?」


死霊術師はもったいぶって紅茶を一口飲んだ。


「えと、死んでもすぐ蘇る...とか?」


「それもあるけれど、もっと一般的な事よ。魔法に限らず、戦いに限らず、もっと大事な事」


セリナにはこれ以上の答えは見つからなかった。そもそも死霊術に何ができるのかさえよく知らないのだ。死霊術師はセリナが悩む姿を見て意地悪そうにくすくすと笑い、あっさりと答えを出した。


「汎用性が高いことよ」


汎用性。死霊術とは一見縁遠いもののように考えられる。死体をいじくりまわして何に汎用するのかわからない為、セリナは納得しなかった。


「そもそも死霊術って何ができるんですか?」


「それは...」


またもったいぶり、今度はケーキを一口食べる。


「教えられないわ。あなたはこれ以上知る権利を持たない」


そんな馬鹿な話はない。ここまでさんざん核心を匂わせておいて、いざその正体を尋ねると煙に巻くというのはセリナにとって腹立たしいことだった。


「そんな!何でですか」


「貴方は死霊術師でもなければ、魔法使いでもない。見たところ、魔法の才能もないわ。知ってもどうしようもないことだし、私の手の内を明かすことにもになる。あなたが誰に吹聴するかもわからないのに」


「誰にも言いません!!」


「みんなそういうのよ」


死霊術師はケーキの最後のひと口を食べると、ハンカチで口元を拭く。いつのまにか傍に立っていたメイドがケーキを乗せていた皿を回収した。


「貴方は食べないのかしら?ケーキはいつでもおいしいけれど、紅茶は冷めてしまうわよ?」


「話をそらさないで」


 死霊術師は目の前でキャンキャンと騒ぐ、もはや敬語さえ使わなくなった少女にすこしづつ不快感を覚えていた。彼女は秘密を詮索されるのが何よりも嫌いであった。先ほどまでの優しい口調をやめ、苛立たし気な声で嘲るように言葉を返した。


「知ってどうするつもりなのかしら?いくら汎用性が高いと言っても、死霊術は羊番の役には立たないわよ?」


セリナはついに立ち上がった。ガーデンテーブルに身を乗り出し、死霊術師の顔をキッと見つめる。死霊術師にとってはもはや不可解な行動だった。なぜそこまで死霊術の正体を知りたがるのか全く理解できない。


「死霊術は最強の魔術学問なんでしょう!?」


「ええ。だからどうしたっていうの?あなたには関係ない」


「なら、私には有用だわ!私は...!」


セリナの脳裏には、蘇る前の記憶が鮮明に焼き付いていた。木々に張りつけにされ、燃やされる人々。そして何もできない無力な自分。そう、無力な自分だ。


「あの時・・・私は何もできなかった!力がないから!だから・・・」


「力が欲しい?」


「そう。欲しい。それに、死霊術なら、村の皆を蘇らせることができるんでしょう?私みたいに。」


「不可能ではないわね」


「なら!私は死霊術を学びたい!村の皆を蘇らせるの!不当に奪われた人々の命を!そして・・・」


 セリナは静かに歯噛みした後、憎悪に満ちた目で自らの両の掌を見つめながら、死霊術師に、否、世界に宣言した。


「私は復讐する!奴らに不当な殺人の代償を払わせてやる!この手で──」


見つめていた手を握り、テーブルに叩きつける。


「殺してやるッ!!」


悲痛な叫びだった。見た目はすました顔で凛と構えている死霊術師でさえ一抹の恐怖を感じるほど、その声は怒りと渇望に満ちていた。


 死霊術師は心で呟いた。


(素質はあるのかもね)


 死霊術に必要なのはその渇望だ。自らの目的を達成するためなら何人でも罪なき他人を殺めなければならない。その究極の身勝手こそ死霊術を根底から支えるエネルギーたりえる。


死霊術師はセリナに利用価値を見出した。もし彼女に死霊術の才能があるならば、今ここで囲っておくのも悪くない。追い出して下手に恨みを持たれるのも面倒だ。後々復讐に来られるのも都合が悪い。


「貴方、私の元で死霊術を学びたいのね?」


 死霊術師は足を組み直し、先ほどの優しい口調で言った。


セリナは立ったままうつむいた、紅茶に映った自分の顔が見えた。かつて自分で見たことがないほど、その顔は深い影を含んでいた。セリナはゆっくりと席に着くと、うつむいたまま話した。


「ええ、そうよ。本当に死霊術が他の何よりも私に力を与えてくれるなら、私はなんだってするわ」


「なら一つテストをしましょう」


 死霊術師が何かの呪文を唱えると、彼女の手に一枚の鏡が現れた。鏡は重力を受けていないようにフワフワとその場で浮かんでいる。


死霊術師がセリナの前に手をかざすと、鏡はそれに追従してセリナの眼前に移動した。鏡にはきょとんとしたセリナの顔が映りこんでいる。


死霊術師は言った。


「今から貴方が知っている人間の中からランダムで誰か一人がこの鏡に映るわ。その人間を殺してきなさい」


「は...?」


 自分の知り合いを殺す。セリナはその事実に血の気が引いたような感覚に陥った。だがここで怯んでは見限られると思い、できるだけ平静を装って、わかったわ。と返事をした。そもそも冷静に考えれば、自分の交流関係のほとんどはマレス村の住人だ。そしてマレス村の住人は皆殺しにされた。ということは、今自分の知り合いは皆死んでいるはずだ。なら鏡にはだれも映らないはず...と考え、はっとした。


いる。一人、思い浮かんでしまった。


(お父さん...?)


父はあの時マレス村にいなかった。ということは今も生きているはずだ。家族同然の村人たちを殺された憎しみから死霊術に手を染めようというのに、その過程で肉親も殺さなければならないのか。


セリナの心配をよそに死霊術師は、じゃあ映すわ。と、言って一言短い呪文を唱えた。


「ま、まって――――――」


セリナの制止も聞かず、鏡は人間を映した。セリナの眼前にターゲットが映し出される。



「...誰?」


 そこには見たこともない少年が映されていた。暖色の灯りが照らす木造の部屋の中で必死に珈琲の焙煎機のハンドルを回している。誰かわからずセリナがしばらく記憶を手繰っていると、鏡の中から会話が聞こえてきた。


(もっと、等速で、じっくり回すんだ。そんなことではいつまでも一流のバリスタにはなれないぞ)


(すいませんマスター。ただ、手が熱くて...)


(じきに慣れるさ。ルーク。お前はこの店を背負って立つ男だ。期待しているからな)


(はい!マスター)


 その会話を聞いた直後にセリナの脳裏を光が駆け巡るような感覚がした。目の前に映されている少年の正体がわかったのである。


村が襲撃されたその日の朝、アグロ叔母さんと翌日会いに行くと約束していたバリスタ見習いの少年。確かに面識はないが、知っていると言えば知っている。


だが人づてに聞いただけの他人だ。セリナは内心ほくそ笑んだ。彼なら殺しても良心に呵責はないだろう。と。


「わかった。殺してくる。もしやれたら、私を...弟子にしてくれるのね?」


「ええ。...これはボーイフレンドかしら?」


「そうよ。幼馴染なの」


 セリナは嘘をついた。蘇る前の下手な嘘ではない。表情も曇らせ、声色も落とした。はたから見れば心底残念そうだ。


死霊術師は言った。


「そう。この子は...アイゼンにいるのね。ならあなたをアイゼンまで送ってあげるわ」


死霊術師はまた何やら呪文を唱える。ヴォン...と音を立て紫色の光と共にセリナの姿が消えた。アイゼンまで転送されたのだ。




 死霊術師がセリナを見送ると、霧の中からメイドが現れた。


「お客様はどちらに?」


メイドの業務的な問いかけに死霊術師は無関心そうに答えた。


「お帰りになられたわ」


結局一度も口をつけられなかったセリナの分のケーキと紅茶を片づけながら、メイドは言った。


「テストなどせずとも、殺してしまえばよろしかったかと」


「あら、聞いてたんじゃないの」


全く気付かなかった。という風に死霊術師は自嘲気味に笑った。


「殺せないわ。そんなことをすれば彼の魂は二度と私に従わなくなる」


「そうですか」


 言うとメイドは紅茶の乗ったトレーとケーキスタンドを持って霧の中に消えた。


庭園に一人になった死霊術師は一口紅茶を飲むと、小さくため息をついて呟いた


「冷めてしまったわ」

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