状態:普通の人間
第一話:終わり
窓を開けると、待っていたのはパァーッと光るお日様。
そしてその光を受けてキラキラと輝く木々やお花。
それをムシャムシャ食べる元気な羊。
村の中心にそびえるのはこの村の名物、巨大木の「ウェンツおじさん」樹齢150年。
ここは聖アストラ―ナ連合王国領のマレス村。風車生産と牧畜が盛んな、のどかな村。
いつもと変わらない平和な1日の始まり。
セリナは窓を開き、うーんと背伸びして、ロバに乗って外の田道をいく叔母に挨拶した。
「おはようアグロ叔母さん!今日も隣町までお出かけ?」
「ええ!アイゼンのカフェーに新しい見習い君が入ってねぇ!笑うとかわいいんだこれが!なんだろうね、恋かしら」
アイゼン王国。隣の街で、この村から目と鼻の先だ。年甲斐もなく頬を赤らめ少女のようにはしゃぐ叔母にセリナはまた微笑み返す
「そうなんだぁ!私も会ってみたいなぁ...!」
その言葉を聞いた叔母は、それは名案だとばかりに手を叩いた。
「セリナちゃんとルーク君が?それはお似合いだわぁ!ほら、降りてきて、後ろに乗りなさい。連れて行ってあげるわ」
しかし、セリナは首を縦に振らなかった。
「ああ・・・ごめんなさい。今日は羊番の日なの。また今度、明日は大丈夫よ!」
「あらぁ、しょうがないわね。じゃあ明日また来るから。しっかりおめかししておくのよ?」
セリナは苦笑いで別れを告げると、ドタドタと服を着替えバタバタと一階に駆け下り、台所で朝食を作っている母に抱き着いた。
「お母さん!明日ね、アグロ叔母さんとアイゼンに行きたいの!」
母は抱き着いて離れないセリナの背中をさすりながら、優しい声で聞き返した。
「どうしてかしら?欲しいものがあるの?」
「え?ええ、と・・・。」
セリナは言葉に詰まった。隣町のカフェに入った見習いの男の子とお近づきになりたい。とは、とても言えない。
だが、うろたえるセリナを見て、母は微笑んだ。
「わかってるわ。お父さんに会いたくなっちゃったのね?しばらく会っていないものね」
セリナの父はアイゼン王国軍の軍団長であった。鬼人の如きの力強さと、百の敵を前に物怖じしない豪胆さから、彼は只の田舎者の身から一国の軍団長になりあがったのである。
しかし、その生活は忙しく、家族の顔を見るのは年に一度の休日だけであった。故に、セリナは父親の愛情に飢えていると、セリナの母は考えたのである。
(そんなんじゃないもん)
セリナは心の中で呟いた。齢12才の彼女はもう立派な大人であると自負していた。だが、セリナはこの母の思い違いを利用しようと考えた。
「ええ!そうなの、ほ、ほら、お父さんって男前でしょう?だから、変な虫が寄り付かないように、たまには見てあげないと・・・」
どうにも下手な嘘であったが、セリナの母は納得して微笑んだ。これが別の誰かの嘘であれば見抜くことはたやすいが、セリナというこの少女はここまでの人生の中でほとんど嘘をつかなかったのである。
故に彼女の母は彼女の嘘というものを警戒してはいなかった。娘が口にすることは、常に娘の考えであると信頼していた。
「わかったわ。今日の羊番をちゃんとやったら、お駄賃をあげる。それで顔料を買ってお父さんに戦化粧を描いてあげなさい。余ったお金でお菓子を買うといいわ」
「わぁ!本当?ありがとう!お母さん大好き!」
「いつまで経っても甘えん坊さんね。さぁ、パンが焼けたわ。これをもって行きなさい」
母は竈から焼きあがったパンを取り出し、木の皮で紡がれた弁当箱に詰め込んだ。そしてそれをセリナに持たせ、服の襟を払って送り出した。
「いってきます!」
セリナはスキップで家を飛び出し、庭で寝ている犬のバリーの尻を叩いて起こした。
「あなたは本当にお寝坊さんね!とっくにお日様は高く上がっているのよ?」
バリーはもともと猟犬であった。セリナの父がただの村人であったとき、狩りに出かけるときは必ずこのバリーとともに山に入り、イノシシやシカを狩って、その肉を切り売りして生計を立てていた。
そのころの父は成果があった日は必ずこのバリーのおかげだと、セリナに武勇伝を聞かせた。
「バリーは狼を食い殺して俺を守ってくれたぞ」
「バリーはクマにも立ち向かっていくんだ」
「いつか必ずバリーはお前の役にたつ。大事にしてあげるんだぞ」
セリナも最初こそ素直に聞き入れ、バリーにある程度の敬意を抱いていたが、父が大成し、セリナがバリーの世話をするようになると、バリーの武勇伝に大きな誇張があったことに気づいた。
セリナが見たバリーとは、日中いつも寝ていて、餌の時間だけ家の戸を前足で叩き、カエルが自らの鼻の上に乗ろうと無関心、挙句の果てに放し飼いの鶏にまでいじめられる。そんな怠け者の老犬なのだ。
「もう!起きなさい!あなたがいないと羊が逃げないのよ!」
セリナは必死でバリーの首輪を引くが、彼女の腕力ではこの大型犬を動かすことができず、結局、先ほど母に貰ったパンを与えてなんとか移動を促した。
村の商店広場は穏やかな活気に包まれていた。
そこには必死に商品を売り込むための決まり文句を垂れ流す者はいない。この辺境の村では全員が見知った関係である為、この村の中だけで経済が完成しているのだ。
故に、誰も必死に自分の商品を売り込む努力を必要としない。なにせ競合店がないのだ。肉が欲しいなら肉屋の主人に、酒が欲しいなら酒屋の主人にそれぞれ行けば、破格の値段で売ってくれる。
時にはタダでくれてしまうこともある。「余って腐らせるよりはいいのだから」と。
ともかく、このマレスという村は非常にのどかな時の流れを獲得していた。誰が争うでもなく、村人は皆家族同然であると、ほとんどのものが口を揃える。
加えて、森の中を必要最低限の木を伐りぬいただけで造られたこの村は、常に木々の間を縫うように通路が敷かれており、木陰が途切れることがない。
涼しく、優しい風が吹くこの村は、気候的にも豊かであり、それもこの村人たちの心を穏やかにしている一つの要因であった。
「おはようセリナちゃん!今日も可愛いねえ!」
「ありがとうデイリーさん!あなたの顎髭も素敵よ!」
「やあ、おはようセリナちゃん。今日は買い物かい?」
「いいえ、違うわ。これから羊さん達の様子を見にいくの!」
人口が100にも満たないマレス村では子供は5人ほどしかいない。その中で秀でて社交的なセリナは村の看板娘として村人達から可愛がられていた。
村の中央広場を抜けると、協会の通りにつく。セリナは外出する時、必ずこの教会に立ち寄ることにしていた。
協会の扉は開け放たれていた。この教会の神父は朝夕関わらず協会の扉を閉めることはなかった。
文字通り「開かれた教会」を目指しているのだ。
セリナがバリーと共に協会の扉を抜けると、神の彫像に祈りを捧げる少女、シノンの姿を見た。
「シノン。また協会に居たのね」
セリナが話しかけると、シノンは祈りを中断してセリナに振り返った。
「うん。ここが安心するの。アストレウス様が守ってくれているみたいで」
「何を祈っていたの?」
「えっとね、この村の人達が、みんな平和に過ごせますようにって」
セリナがいつもこの教会を訪れるのはシノンを訪ねての事であった。シノンは落ち着いたその性格から、村の子供達とうまく馴染めず、協会に立ち寄っては神父に人間関係の相談をしていた。その時、神父は必ず彼女に聖書を読み聞かせ、その中から自ら答えを見出させた。そうするうちに、シノンは村の広場で子供たちと遊ぶよりも、神の御前で静かに祈ることに喜びを見出すようになっていった。
「ふうん。神父様はどこ?」
「今日は懺悔の日よ。丸一日懺悔室から出てこないの」
「はぁ、ご苦労なことよね。村人は皆顔見知りなのよ?協会の出入りは皆に知られるわ。懺悔しに来るなんて「私は何か罪を犯しました」って言ってるようなものじゃない」
セリナはシノンと比べ、あまり信心深い方ではなかった。決められた礼拝の日には一応母と連れ立って協会に来るものの、その目的は神父が用意してくれる焼き菓子であった。
「私もそう思う。・・・でも、さっきフードを被った人が来て、奥の方に入っていったのを見たよ」
「フード?」
「うん。村の人じゃないと思う。あんなに大きな人は初めて見たもの」
セリナはこの話題に非常に興味を持った。この代わり映えのない村は、多くの村人にとっては悠久の平穏であったが、若く、社交的で遊び盛りなセリナにとっては少々退屈だった。そんな彼女にとって、余所者の話というのは日々の無聊を癒すのに絶好の話題だった。
「どんな人だったの?男の人?村の外から来たのよね?何か変わったものは持っていた?変わった服を着ていた?」
「ええと・・・。鎧を着ていたの。顔はフードで隠れていたわ。それと、変わった剣を持っていた。曲がった剣。あんなもので本当に切れるのかな」
「剣?それって、戦士ってことよね!異国の戦士がどうしてこんなところに来たのかしら!もしかして───」
セリナがさらに好奇心を満たそうと問い詰めようとしたとき、バリーが彼女の腰を鼻で小突いた。
「もう。なによバリー。今私は・・・ああ!」
その時彼女はようやく自分の仕事を思い出した。羊番だ。
「ごめんシノン!私、今日羊番を頼まれてたの!もう行かないと!」
セリナは協会を出て、羊の放牧地に急いだ。
放牧地にたどり着くと、セリナは策を飛び越えて羊小屋の扉の
セリナが放牧の時間に遅れたせいで、彼らは非常に腹を空かせていたのだ。
羊達は放牧地に思い思いに散らばり、鳴き声一つ上げずに黙々と草を貪った。羊たちは犬であるバリーを恐れない。
最初は牧羊犬として飼育されていたはずのバリーだが、まったく羊に興味を示さないゆえに猟犬に転換したのだ。それゆえ、羊たちはバリーを無害な存在として認識していた。
「ええと...1...2...3...」
セリナは羊たちを数え始めた。全部で26匹。セリナの父が国王に授けられた褒美の一つだ。それから、セリナの家庭は羊毛による収益を得られるようになっていき、さらには年に数度、羊肉を村人に振舞うようになった。
「うん!26匹全部いるわ!これは今年の収穫時期が楽しみね。羊肉っておいしいんだから」
セリナはこの羊達が黙々と草を食うさまを満足げに眺めた。
そうしているうちに、セリナ自身も空腹を満たしたい欲求に駆られ、バリーに渡さずにちぎって隠していたパンを頬張った。
バリーはというと、すでに草原に寝そべってスヤスヤと寝息を立てていた。彼の鼻に蝶が止まったが、彼は全くそれに気づかずにいた。
「もう、本当にお寝坊さんなのね。あれだけ寝ていたくせに、まだ寝たりないの?」
セリナはバリーに文句こそ言っていたものの、腹を満たし、この和やかな気候に充てられて眠気に誘われていた。
彼女は、羊たちに問題がないのを確認すると、バリーを枕にして寝そべり、いつしか深くまどろんでいた。
「グルルルル・・・・」
獣の鳴き声を聞き、セリナは飛び起きた。
気づけば枕にしていたはずのバリーが立ち上がり、何かに向かって唸っていた。
「バリー?どうしたの?」
バリーの視線の先を見ると、そこには見たことのない複数人の男たちが立っていた。剣を構え、明らかにセリナに危害を加えようとしている。
そして、男達のバックに、轟々と燃え広がる炎が見えた。
村が燃えている。
どうみても緊急事態であったが、セリナはこの状況に頭が追いつかず、まだ夢の中にいるのかと自問した。
だが、肌で感じるその温度と、あまりにリアルな情景は、その可能性をセリナの脳裏から拭い去った。
「あなたたちは誰?どうしてこんなことをしているの?」
男達はセリナの言葉に応えず、少しづつ互いに距離をとり、セリナとバリーを包囲しようと試みていた。
そのうちの一人がハンドシグナルで味方に指示を与えていた。
「バウ!ワウ!ワウ!」
バリーが男達に吠えた。その様相はセリナの知っている気だるげな老犬ではなかった。
牙を剥き、眉間にしわを寄せ、目を爛々と輝かせるその姿は、セリナが父に聞いた武勇伝の中のバリーよりもずっと恐ろしく、堂々とした自信を放っていた。
「バリー・・・・」
セリナでさえ一抹の恐怖を感じてしまう程、その犬は普段の様相からかけ離れていた。
そして、バリーの敵意を一身に受けるこの3人の男達は、目の前の獣の覇気に気圧され、誰も少女らに近づけずにいた。
男の内、一人が腰に吊るしている短銃を取り出してバリーに向けた。
セリナは男が持っている物が何かわからず、それを向けられてもどうしていいかわからなかった。
男が拳銃の引き金に指をかけると、それに気づいたハンドシグナルを出していた男が口を開いた。
「やめろドーベルク・・・作戦を忘れたのか・・・!」
「しかし・・・───ッ!?」
二人の男の目が合い、注意がそれたその時、バリーが短銃を構えた男の腕に噛みついた。
それだけではない。自身の頭を振って噛み千切らんばかりに腕を振り乱し、ついには男の腕をへし折った。
男の仲間たちが剣でバリーを切りつけたが、バリーは腕を折られた男を踏み台にし、別の男の首元に食らいついた。
男の血が飛沫になって頸動脈から吹き出し、セリナの全身を濡らした。
セリナは温かい血の温度を感じながらも、茫然とその光景を見ていることしかできなかった。
セリナが気付いた時には、もう男達に息はなかった。傍らのバリーは全身に返り血を浴び、口から涎と共に赤い液を垂れ流し続けていた。
「バリー・・・あなた・・・」
セリナはその状況にまだ混乱していたが、ふと今も轟々と燃え続ける森の事を思い出した。
マレスはその構造上、森が焼けてしまうと村全体が火に包まれてしまう。セリナは村人たちの身に危険が迫っていると気づき、この燃える木々の中に飛び込んだ。
「誰か!いないの!?」
セリナとバリーは火に包まれた村の中を走り呼びかけたが、応える者はいなかった。
村の市場も、協会も、道のどこにも生物は見当たらなかった。
バリーに匂いを嗅がせもしたが、バリーの鼻は血の臭いでダメになっており、正しく機能していなった。
セリナは家に向かって走り続けた。母の安否が気がかりだった。
度々燃えている倒木に道を塞がれ、回り道を余儀なくされた。
そして、その回り道が彼女を不運な邂逅へと導いてしまった。
「・・・何よ・・・これ・・・」
燃え盛る一本の大木。村の唯一の名物、ウェンツおじさんと呼ばれるその大木に、村人達が磔にされていた。老若男女、一切の区別なく無造作に磔にされた村人達は、痛みに呻き、必死に踠いているが、加重により満足な抵抗ができずにいた。
複数の松明を持った見知らぬ男達が大木を取り囲み、村人達が苦しむ様を沈黙とともに傍観していた。
男の内一人が、仲間に問いかけた。
「これで全員か?」
「いえ。三人足りません。現在捜索中です。」
「なら、あと二人か、必ず見つけ出せ。」
「あと二人?」
「そこに一人」
男がセリナを指差した。
セリナはあまりに凄惨な光景に動けずにいた。腰が抜けて、逃げることが出来ない。
男達がセリナを捕らえようと接近すると、バリーが間に入ってセリナを護った。
獣の殺意に晒された男達が怯み、何人かが腰に下げた短銃に手を伸ばすと、この襲撃者達の指揮を執っていると思しき男が制した。
「銃は使うな。一切の証拠を残してはいけない。」
男の指示を受け、襲撃者達は銃から手を離し、短剣を抜いてバリーににじり寄った。セリナは必至に全身を奮い立たせたが、ガタガタと震える脚を制御できずにいた。
「ど、どうしてこんな事をするの?私が何をしたって言うのよ・・・」
男は目を伏せた。その表情には、微量な良心の呵責が滲んでいた。
その時、焼ける木々の中から、一人の、男達の仲間の青年が飛び出し、男達の一人、指揮を執っている男の元に駆け寄って言った。
「ドーベルク、アルマン、オーレンの死体が村の外れで見つかりました。狼に食い殺されたものと思われます。」
男が険しい顔でセリナに向き直る。
「俺の部下を殺ったな?」
「知らないわ!何も知らない!」
「その返り血は誰のものだ!」
男が叫ぶと、触発されてバリーが駆け出した。襲撃者の一人に覆い被さるように襲いかかり、体重を乗せて押し倒し、抗う襲撃者の顔を噛み砕いた。
頭を潰された襲撃者が悲鳴をあげながら暴れる。しかし、バリーは容赦なく体を前足で抑え、潰した頭を引っ張って脊髄を引き摺り出した。
その時、発砲音がこだました。襲撃者うち一人が、男の制止を聞かずにバリーを撃ったのである。
「バリー!!」
セリナが叫んだ時には、既に弾丸はバリーの頭蓋を貫通し、脳内で跳弾していた。そして、獣は数秒の沈黙の後に絶命した。
「撃つなと言っただろう!誰が撃った!」
指揮を執る男が叱咤すると、撃った男が改まって名乗り出た。
「私であります!」
「早急に弾を取り出せ!証拠を残すな!」
「はっ!」
撃った男が短剣でバリーの頭を切り開き、手を突っ込んで弾を探した。セリナはショックで完全に思考が止まり、茫然としながら涙を流していた。襲撃者達がセリナを捕らえ、指揮を執る男の前に引き出した。
「あの犬が殺ったのか?」
セリナは答えなかった。否、答えるだけの思考を取り戻せずにいた。磔にされた村人達がセリナに助けを求めて叫んだが、セリナには届かなかった。
「磔にしろ」
男が襲撃者達に指示したが、彼らは罰が悪そうに顔を見合わせた後、男に報告した。
「釘がありません。教会を捜索しているダリ達が持っていましたので。」
「はあ、仕方がない。火の手が回る前に脱出したい。腱を切って捨て置け。簡単に殺しはしない。アルマン達の仇だ。」
指示を受けると、男達は躊躇うことなく短剣でセリナの脚の腱を切った。
セリナは痛みで悲鳴をあげ、鋭い痛みの強烈な違和感から嘔吐した。
男はセリナに近づき、足元で喘ぐセリナを冷血に見下ろした。
「祈れ。神が応えないことを知るがいい。」
その言葉を合図に、男達は松明を投げ、大木を焼いた。大木は水分を過分に含んでいる為、そう簡単に燃えることはないが、この時は村人達の衣服が燃料となって満遍なく火の手が周り、一本の火柱と化した。
磔にされた村人達が炎に包まれ、悲鳴をあげてもがいた。炎の中に蠢く村人達のシルエットは、文字通りの煉獄の有様であった。
この地獄を見届けると、襲撃者達は煙が立ち上る森の奥へ姿を消した。
セリナは村人達の助けを求める悲痛な声に耐えられず、耳を塞いで泣いていた。
悔しかった。自分は拘束されていない。それなのに、何もすることはできない。無力故に。
憎かった。何よりも、無力な自分に腹が立った。助けられたかもしれないのだ。セリナ以外の人物であれば。彼女が強力な戦士であれば。
次々に燃えた木々が倒れていった。もうセリナに逃げ道はなかった。この場の全ては炎に包まれ、彼女を閉じ込める檻となっていた。
炎の檻は少しづつ縮まり、セリナの服を焦がした。
セリナは自分を包む炎に気づいた。肌がチリチリと焼け、服が肌に張り付いてきた。
この極限の状態の時、自分に何もできないとき、もう成す術がないとき、人が最後にとる行動とは何か?
答えは祈りであった。
彼女は神に祈った。
熱さと恐怖に震える身体を必死に抑え込み、あらん限りの全て力をこめて手を組み、一所懸命に祈った。
どうか助けてくれと。
どうかこの悪夢をすべて消し去ってくれと。
だが、答えは返ってこなかった。
救いの手も、奇跡も、彼女には何も与えられなかった。
足に火が回り始めると、セリナはもう祈りどころではなくなった。
身体が焼け、その痛みに彼女はのたうち回った。
絶叫し、痛みに喚きながら全身の炎を払うべく身体を振り回すが、返って全身を満遍なく焼き尽くしてしまう。
喉が焼け、呼吸がままならない。
酸素を吸うことができずに意識が飛んだが、身体が焼ける激痛でまた意識を取り戻してしまう。
この地獄から今すぐにでも救われたい。早く死にたい。
今すぐ死んで楽になりたいのにそれも叶わない。
彼女は世界を呪う呪詛を喚き散らした。
なぜこのような恐ろしいめに自分があわなければならないのか。
こんな事なら生まれてこなければよかった。
恐怖と絶望の中で、彼女の絶叫はむなしく響いた。
熱い煙が悲鳴をこだまさせる。
結局、この永遠のように長い地獄から彼女が解放されたのは、肺と喉が焼け、酸素が欠乏して意識を失った時であった。
この日、無辜の人々の尊い命は終わり、そしてこの日、すべてが始まったのである。
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