芥川龍之介「偸盗」その13

 「誰が、お主を殺すと言った」と太郎。

 「殺さぬなら、なんで柄に手を掛けている」と老人は、叫んだ。

 言われて、柄に手を掛けてる自分に気が付いて、『殺すなら、今だ!』と言う思いが頭をかすめた。彼は思わず、柄に掛けた手に力が入った。そして『このうなじに一突き入れればすべてが終わる』とうなじを見つめた。

 しかし、殺意が高まったのもそこまでで、不思議な憐憫を感じて、老人を押さえつけてた膝から力を抜いた。

 「人殺し、親殺し、うそつき、ろくでなし、親殺し」

 猪熊の爺は、続けざまに絶叫しながら、素早く部屋の隅に逃げた。

 太郎は、殺さなかったことを早くも後悔しだした。しかし、柄から手を離すと、苦笑しながら手近の古畳の上へ渋々腰を下ろした。

 「お主を殺して良いような安い太刀は持たぬわ」と太郎。

 「殺せば、親殺しじゃて」と老人。

 彼の様子に安心した猪熊の爺は、そろそろと筋向かいの畳の上へ腰を下ろした。

 「さっきから聞いていれば、なぜ、わしが親殺しになる?」と太郎は、聞いた。

 「親殺しだよ。

 何故なら、沙金はわしの連れ子じゃ。されば、それと関係のあるお前は子じゃないか?」と老人。

 「されば、その連れ子を妻にしてるお主は、何だ?畜生か?」とからかうように太郎。

 老人は、うなるような声を出しながら、しばらく経ってからこう言った。

 「されば、お主に聞くがな、お主は、このわしを親と思えるか?」と老人。

 「聞くまでもない。出来るか。」と太郎。

 「さよう。できまい。


 それと同じことじゃて。

 沙金は、おばばの連れ子じゃよ。

 わしの子ではない。


 わしとおばばは、若い頃、同じ貴族の屋敷に仕えていた。

 その時、わしは、おばばに惚れていた。

 しかし、ある時、おばばは、屋敷から消えていた。

 人の噂では疫病で死んだとも、東に逃げたとも聞く。

 心配して探してみれば、お手つきになって、腹を膨らまして、親戚の元へ身を寄せていたのだ。


 それから、わしは、人生がつまらなくなってな。

 酒を飲み、博打も打てば、女も買うようになった。

 ついには、金に困って、強盗をするようになった。

 綾を盗み、錦も盗み、しかし、思い出すのは、おばばのことばかりだった。


 しかし、十五年経って会ってみれば・・・」と老人は、ここまで太郎に話して泣いてしまった。太郎は、その泣き顔を眺めた。


 「会ってみれば、おばばは昔のおばばではない。

 手を付けた貴族が遠く昔に死んで、放って置かれて、我と同じように身を落としていたのだ。


 しかし、昔と変わらぬおばばが居る。沙金だ。

 沙金は、昔のおばばによう似てた。

 おばばと一緒になれば、昔のおばばと一緒になれる。別れれば、昔の沙金と別れねば成らぬ。

 そう思って構えた一家が、この猪熊の痩せ所帯のはじまりじゃ」と涙声で言った。

 「されば、昔から今日まで、わしが命を懸けて思ったのは、ただ、昔のおばば一人っきりよ。つまり、今の沙金じゃ。


 わしが憎ければ殺すが良い。

 惚れた女が縁で殺されるなら、わしも本望じゃ。

 しかし、殺すなら、無理非道の人殺し、もしくは、親殺しぞ。

 親殺しに成ると思って、わしを殺せ。」と老人。

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