芥川龍之介「偸盗」その12
女性の悲鳴を聞き、扉代わりの白い布を上げて踏み込んだ太郎は意外な光景を見た。
十六、七の手伝い女ー名前を阿漕というーが髪を捕まれて悲鳴を上げてた。その髪を掴んでる酒太りの禿頭の爺は、髪を掴み、反対の手でとっくりを持って飲まそうとしてる。しかし、飲まそうとしてる酒は、阿漕が必死で口を閉じてるので、口に入らない。ただ、顔を汚してるだけである。
あまりの意外な光景にあっけに取られた太郎であるが、草履を脱ぐ手間ももどかしそうに、部屋の中に踊り込んで、とっくりを取り上げ一喝した。
「何をしてやがる!?」と苦もなくとっくりを取り上げ、腕をねじり上げた太郎。
「お主こそ何をする?」と老人。
「俺ならこうだ」と言うと、女を掴んでる手を叩いて、引き離し、足蹴にして、老人を蹴倒した。
自由になった阿漕は、脱兎のごとく逃げ出した。
「助けてくれ、人殺しだ」と老人は、声を上げながら厨(台所)の方へ逃げようとした。
太郎は、肘を伸ばし、水干の襟を掴むと引き倒した。
「誰がお前なぞ殺すか!」と一喝した太郎。膝下に組み敷きながら、しかし、その手は、短刀の柄に伸びていた。「もし、うなじに一突き入れれば」と言う想像が彼の手を柄に伸ばさせていた。
「うそじゃ、うそじゃ、お前はいつもわしを殺そうとしてる!」と言う爺の命乞いに似たわめき声を聞くと、殺意が萎えるのだが。
「それよりも、なぜ、お前は、阿漕をあんな目に遭わせた。言わねば」と太郎。
「言うとも、あれはただ、薬を飲ませようとしただけじゃ。
それをあの阿呆が飲もうとはしない。だから、わしも手荒なことをしたまでだ」と老人。
「薬?
お前が飲ませる薬と言えば、おろし薬(堕胎薬)だな。
いくら、阿呆相手でも、いやがる相手には、酷ぞ。むごいことをする」と太郎。
「それ見ろ、言ったのに、まだ殺す気が収まらないでいる。
この人殺し。極道。」と老人。
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