芥川龍之介「偸盗」その6

 猪熊のおばばと別れた太郎は、日陰を選ぼうともせずに物思いに耽りながら、大路を北に歩いていった。

 寂れた都の往来は寂しい。馬に乗った武士が一人通りかかった後には、日照り雲を燕がかすめ飛ぶのみだった。


 猪熊のおばばに言われるまでもなく、砂金を次郎に奪われるおそれが現実に迫ってきた。

 気の多い砂金が、醜い俺よりも、次郎に情を移すことは、何の不思議もない。

 ただ、次郎なら、幼い頃から俺を慕ってくれていた次郎なら、気持ちを察して身を慎むなり、気を逸らすなりしてくれる、と信じていた。


 もっともあの女の手管に掛かって、男が落ちるのも無理はない。

 あの女に破滅させられた男は、この京の燕の数よりも多いのだから。


 すると、豪奢な牛車が、目の前を通りかかった。

 女物の牛車らしく、赤色の華やかな牛車である。

 太郎は、その牛車を見て、宮仕えをしてた昔のことを思い出していた・・・。


 俺が、宮仕えの看守をしてた頃が遠い昔の様な気がしてる。

 あの頃は、俺は、規律を守る良い看守だった。

 しかし、今では盗みも人殺しもする。

 昔の俺が、看守仲間とバクチに興じる俺が、どれだけ幸せだったのか、今となっては分からない。

 昨日の様にも思われるが、遠い昔の話のようにも思える。


 すべては、砂金が、俺の牢屋に入れられてから狂った。

 牢屋越しに話すようになり、身の上話を打ち明けるほど、仲が良くなり、仕舞いにはおばばが牢破りに来たのを見逃してやった。

 それから、牢番の俺が砂金の隠れ家に出入りするようになったのだ。

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