芥川龍之介「偸盗」その2

 「今夜の相手は、藤判官だ。抜かりはないか」と太郎は、尋ねた。

 ちょうど雲がかげり、日の光を遮り、蛇の亡骸は不気味な湯気をいっそう際だたせた。

 「なんの藤判官だとて、たかが、青侍の四、五人。

 わしとて、昔取った杵柄で一人や二人の始末はしてみせるわい」と老婆。

 「それは頼もしいな、おばば。こちらの人数は」と太郎。

 「いつも通り、男が二十三人。それに私と娘だけさ。

 阿濃(あこぎ)は、あの通りの体だから、朱雀門に居て貰うことにしよう」とおばば。

 「そう言えば、臨月だったな」と太郎。

 太陽は過ぎ去り、また往来は日の光を取り戻した。


 「あの阿呆をね。

 だれが、手を付けたんだが。

 もっとも、阿濃は、次郎さんに執心だったから、次郎さんが情けを掛けて、と言うこともなかろうが」とおばば。

 「親のせんさくは、ともかく、あの体じゃ不便だろう」と太郎。

 「不便は何とでもしようがあるが、あれが乗り気じゃないのが、一番の問題だね。おかげで、仲間に言づてするのも、わし、一人だがね。

 真木島の十郎、関山の平六、高市の多壤丸っと。まだ三人も残ってる。


 さて、油売ってないで、行かなきゃ。」とおばば


 「が、沙金は?」と太郎は、話を戻した。

 しかし、老婆は、気が付かなかった。娘の為に無視を決め込んだのかも知れない。

 「大方、今日は、わしの家で昼寝でもしてるだろう。

 昨日までは、飛び回って、家にも居なかった。それが、娘の仕事だからね」とおばば。


 片目は、じっと老婆を見た。それから落ち着いた声で

 「じゃ、日が暮れてから」と太郎。

 「あいさ、それまで昼寝でもして、精を付けるんだよ」と老婆。

 おばばは、日の光の暑い中を草鞋を引きずって、歩いていった。


 二人の別れた後には、例の蛇の亡骸が残ってる。

 蛇の亡骸にたかった青蠅が立つと思えば、そのまま止まってる。

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