三点欠損のロゼリア

クボタロウ

三点欠損のロゼリア


 ギィ。


 錆びた蝶番が不快な音を響かせると共に、酒場の扉が開き、女性が姿を見せる。


 奇妙な出で立ちをした女性だった。

 色素の無い白い髪に、左目には顔の半分を覆う程の眼帯。

 そのまま視線を落とせば、左の肘の先には鉄製の義手。

 更に視線を落とせば、膝とブーツの間からも鉄製の義足が覗いている。


 女性はコツ……コツと不揃いな足音を響かせるとカウンター席へと腰を下ろす。



「タナビーの14年物。ストレート」



 女性が頼んだのはドワーフが愛飲する程に酒精の強い酒で、人族ではあれば好んで飲もうとはしない。

 だからだろう――



「姉さん。有るには有るし、頼まれたからには出すが……変な酔い方はしないでくれよ?

ウチの酒場は荒くれ者が多いからな……酔った後は保証出来ねぇぜ?」



 カウンターの向こう。

 髪を撫でつけ、口髭を生やした、いかにも酒場の店主といった男性に怪訝な顔をされてしまう。



「おっ? 私の貞操を心配をしてくれるのかな?」


「馬鹿言うな、面倒事が嫌なだけだ」


「ははっ! 私の貞操より店の心配とか。

女として魅力が無いのは分かってるけど拗ねるぞ?」


「……はぁ、ナッツをサービスするから勘弁してくれ」


「……只の突き出しじゃん」


「馬鹿言うな、他の客より二粒ほど多いんだからな」


「それは、誤差の範囲だ……

まぁ、私のナリを見て、欲情するヤツの方が少数だと考えれば、仕方ないか……」



 そう言うと、大きく溜息を吐く女性。



「ったく、悪かったよ、どうせドワーフぐらいしか頼まない酒だしな。

この一杯は俺が奢ってやるから勘弁してくれ」


「おっ! 話が分かるじゃん! 忘れた! さっきの話はもう忘れた!」


「はっ、現金なヤツだ。まぁ、悪酔いしない程度に楽しんでくれよ」



 店主はニヒルな笑みを浮かべると女性の前に酒を置き、次いで、他の客が頼んだ酒を作り始める。


 そんな店主の姿を眺めながら、酒精の強い酒を傾ける女性。

 思わず浮いた一杯に、頬を緩めるのだが――



「がっはっは! おいエバン!

お前の心配は杞憂っていうヤツだぜ! 誰がこんな色気のない女なんか誘うかよ!」



 唐突に響いた声に女性は眉を顰めてしまう。

 加えて店主――エバンと呼ばれた男性も同様に眉を顰めるのだが……



「義足に義手に眼帯! そんな醜女、金貰ったって抱きたくねぇよ!

なぁ!? お前等もそう思うだろう!?」



 客の一人であり、冒険者という職業を生業にしている男。

 その中でも中位に位置しているガイウスという男は、ゲラゲラと女性を馬鹿にするよな笑い声を上げる。



「ガイウス……お前酔ってるな?」


「あ? エール数杯に、葡萄酒の数本を開けた杯程度で酔う訳ないだろ?」


 

 実際、ガイウスは酔っていた。

 今日は依頼された仕事――ゴブリンという魔物に加え、人の身体の上に豚の頭を乗せた様な魔物であるオーク。

 それを互いに数匹ほど狩っていた為、懐に余裕があり、数日振りの酒を浴びるようにして飲んでいたのだ。


 要するに、ガイウスは思わぬ収入を得て上機嫌になっており、上機嫌だからこそ酒の量も増え、普段よりも一層気が大きくなった結果、見知らぬ女に絡んでしまった訳なのだが――



「おい、ガイウス。今日はもうこれぐらいにしとけ。

それに、人の身体的な特徴をあげつらって非難するのは俺は好きじゃない」



 至極まっとうであり。

 尚且つ、折角の上機嫌に水を差すような言葉に憤りを感じてしまう。



「あ!? エバン!! 俺は客だぞ!? しかも常連だ!!

こんな他所から来た、誰かも知らない女に肩入れするってのか!?」


「肩入れとかじゃない。

今日のお前は呑み過ぎだ、水でも用意してやるから少し落ち着け」



 加えて、そんなエバンの宥めるような態度が気に喰わなかったのだろう。



「うるせぇ! 水なんかいるかよ! 出すなら酒を出せッ!」



 更に声を荒げるガイウス。



「ちっ……おい、お前等! この酔っ払いをどうにかしろ!」



 そんなガイウスに対し、エバンは舌打ちをすると、ガイウスと酒の席を共にしている三人の男――ガイウスのパーティーメンバーたちへと声を掛ける。



「い、いやぁ……」


「お、俺達じゃガイウスさんを止めるのは無理なんで……」



 しかし、エバンの期待空しく。

 男達は気まずそうに頭を掻き、媚びへつらう様な笑みを浮かべる。


 そして、そんな周りの反応をみたガイウス。

 この場に自分を止められる者は居ないと判断したのだろう。

 ガイウスは横柄な態度を更に増長させる事になる。



「ってことらしいぜ? 取り敢えずは酒の追加だ!

――それと、カウンターの女! そんななりでも一応は女だ。

構ってやるから、こっちの席について酌でもしてくれや!」

  


 更には、そんな言葉を続けるガイウス。

 女性の事を『醜女』と評したと割には、肉欲を孕んだ視線を向けており、下卑た笑みさえ浮かべていた。


 対して、『醜女』と評された女性。

 女性は心底めんどくさそうに「はぁ」と溜息を吐くと、カウンター席を立ち、ガイウスへと身体を向けるのだが――



「ほぅ……」



 その瞬間、感嘆にも似た声が、酒場の至る所から上がる。


 酒場の乏しい灯りでは、女性の身体的特徴である、黒い鉄製の義手や義足。

 そういった部分ばかりが目に付いてしまうのは当然の事で、気になって顔に視線を向けたとしても、大きめの眼帯で顔の半分ほどを覆っているのだから、女性に対して興味を失ってしまうのも仕方のない話だ。


 だがしかし。

 よくよく女性を見れば、非常に顔立ちが整っている事が分かる。

 続けて身体へと視線を移してみれば、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる、実に女性らしい身体つきをしていることも分かる。

 

 再び顔へと視線を移せば、肩に掛かるくらいに伸びた髪は、色素が抜けたように白く。その瞳は血を落としたかのように赤い。


 白髪に、片方だけ覗いた赤い瞳。

 女性的な身体つきに、黒光りする鉄製の義手義足という異様とも言える出で立ち。

 

 それはまるで、真っ白なシーツに泥をつけてしまった時のような。

 無垢な物を汚してしまった時のような、そんな錯覚を覚えてしまう程に、退廃的で背徳的――そして扇情的であった。


 だからだろう――



「……ゴクリ」



 幾つかの生唾を飲み込んだ音が酒場に響く。



「へっ……へへ、醜女かと思ったら中々の上玉じゃねぇか!

おい、姉ちゃん! 早く席に着きな!

上手に酌が出来たら、この後、俺が満足させてやるからよ!

そんな手足じゃ、男共が寄ってこないだろうし、ご無沙汰だろ?」



 ガイウス自身も、女性の姿を見て『醜女』といった考えを改めたのだろう。

 寂れた酒場に現れた上玉を逃がさないよう、立ち上がり、慌てて声をあげる。


 声を上げるのだが――



「私は可愛い女の子にしか興味ないんだよねぇ。

まぁ、本当に私を満足させらるって言うんなら考えてやらなくもないけど……

そんな、上手にかくれんぼしてるモノじゃねぇ……」


「へ?」 


  

 返ってきた女性の言葉に、ガイウスは間の抜けた声を上げる事になる。



「お、おいガイウスさんて……恥ずかしがり屋だったのか……ぷっ」


「そ、そういう事言うなって……」



 更には周囲から押し殺したような笑い声が聞こえ始める。



「なっ!? 手前ぇら!? な、何笑ってやがるんだ!!」



 そんな中、状況に着いて行けず、周囲を見渡し声を荒げるガイウス。



「下見てみな?」

 

 

 不意に下から聞こえた声に視線を落としてみれば、しゃがみこむ女性の姿が映り、更には、自分の下半身が露わになっている事に気付く。 



「お、おわっ!? 手前ぇ!? 何しやがった!?」


「隙だらけだったからベルトをスルリとね」



 女性はそう言うと、摘まんだベルトをガイウスの目の前で揺らして見せる。

 その事により慌てて、ズボンをたくしあげようとするガイウスだったのだが……



「これじゃ、私を満足させるのは無理そうだぞ?」



 そんな言葉が耳に届くと共に――ペチリと男の象徴を指ではじかれてしまう。

 そして、その事がガイウスの尊厳を酷く傷付けてしまったのだろう。



「ぶっ殺すッ!!」



 ガイウスは腰に差してあった鉈を抜くと、頭上へと掲げ、振り下ろす体勢へと入る。

 

 後は簡単な仕事だ。

 掲げた鉈を振りおろせば、女の頭は熟れたザクロのようになる事だろう。

 そしてその様は、白髪と相俟り非常に凄惨で、それでいて背徳的な美しさを感じさせるに違いない。


 そんな想像を酒場に居合わせた全員がした所為か、居合わせた者たちはガイウスを止めるという選択肢が頭にあるというのにも関わらず、怖いものみたさが故に、反応を遅れてしまう。


 が、それも一瞬の事で。



「ガイウスさん!! 駄目だッ!!」



 頭の中から怖いもの見たさを追いだすと、ガイウスを止めるべく、客の一人が声を張り上げる。



「うるせぇッ!!」



 それでも止まらないガイウス。

 数瞬後に訪れる惨劇を覚悟した客達は、思わず眉を顰め、揃いも揃って目を瞑ってしまう。


 瞬間――ゴキャ。 


 何かが砕かれる音が酒場に響く。


 それは言わずもがな、女性の頭が砕かれる音。

 そう確信した客達は恐る恐る目を開くのだが――



「がぁああああっああああ!!」



 客達の予想とは事なり、悲鳴を上げたのはガイウスの方だった。



「な、なんで? ガイウスさんが?」


「お前見てないのかよ?」


「いや……目を瞑っちまったから……」


「お、俺もだわ……」



 しかし、そんな中、その一部始終を見ていた者も居た。

 それは、この酒場の店主であるエバン。

 

 エバンが見たのは、ガイウスが振り下ろした鉈を女性が寸前のところで避け、立ち上がる勢いのままに鉄製の義手を顎へと叩きこむという光景であり、言ってしまえば、これと言って特別な事をした訳ではなく、驚く程の光景ではなかった。


 加えてだ。

 ガイウスは酒に酔っていた。

 酒に酔っていたからこそガイウスは普段の実力を発揮することなく、手痛い一撃をもらってしまったのだろう。と、エバンは結論付けたのだが……


 仮にも中位の冒険者であるガイウスなのだ。

 そもそもの鍛え方が違うし、例え酔っていたとしても、「ただの女性」が相手であれば、問題なくその頭を割り、反撃されたとしても容易に避けてみせたことだろう。


 そんなガイウスの顎を砕いたのだ。

 エバンの結論は間違いであり、充分過ぎるほどに特別で驚愕に値する光景だといえるのだが……



「あ、危なかったぁ~、酔ってなきゃ私が死んでたな……」


 

 女性本人がそのような言葉を口にするのだから、自分の出した結論は間違っていなかったとエバンは確信するしかない。


 そして、顎を割られ、床を転げまわるガイウス。



「いでぇええええ!! いでぇええよぉぉお!!」



 激痛から喚き散らすのだが、客達の反応は冷ややかだ。

 

 それもその筈。

 このガイウスという男、この街の冒険者のなかでは上位に位置付けられる存在なのだが、上位であるのを良いことに、常日頃から横柄で横暴な振る舞いを取っていたからだ。

 要はお山の大将的な存在であり、気に食わなければ傷つけ、欲しい者があれば無理やりにでも奪うのがガイウスの常であった。

 

 そして、そんな傍若無人な態度を常日頃から見せつけれている客達が、ガイウスを疎ましく思ってしまうのもまた当然と言えば当然で、日頃の鬱憤も相俟ってか、ガイウスに対する客達の反応は冷やかなモノとなった。という訳なのだが――



「ははっ、あんた人望無いねぇ~」



 そのような客達の反応から、女性は全てを察してしまったのだろう。

 人望のないガイウスを嘲り、二ィと口角を上げる。



「へめーーらッ!! このおんにゃをころへッ!!」



 顎を砕かられた所為で、拙い発音になってしまっているが、それでも言葉の意味は通じている筈だ。

 だというのに、客達は動かない。



「へめーらッ!! らから! このおんにゃをッ!!」

  

 

 それでも客達は反応を示さない――いや、それどころかいい気味だと言わんばかりにニヤニヤとした表情を浮かべ始めている。



「ははっ、本当に人望が無いんだな?」



 そんな客達の反応と女性の言葉で、ガイウスはこの場の少数派である事を理解してしまったのだろう。

 

 

「おぼえへろよッ!!」



 分が悪いと判断したガイウスは、よろよろと立ち上がると分かりやすい捨て台詞を吐いて酒場を出ようとしたのだが――



「いや、なに帰ろうとしてんのさ」



 女性に声を掛けられた事で足を止める事になる。



「いやいや、帰す訳ないじゃん? お前は私を殺すって言ったんだよ?

そんなヤツを「はいそうですか」と言って返すのもどうかと思うんだよね。

それに、見れば分かると思うけど、私ってば色々と不自由な身体だし、可憐な乙女だろ?

殺すといわれちゃ、怖くて碌に街も歩けやしない。なぁ? 分かるだろ?」


「へ、へめぇ……にゃにをいって……」


「だからさ、憂いは断っておくに限るんだよ」



 そして、女性はそう言うと、無造作にガイウスの頬に手を置く。

 

 その動きがあまりにも自然且つ一瞬の出来事であった為、客達は勿論、当のガイウスでさえ反応が出来ず、容易に頬を触れさせてしまう。


 それと同時に、左頬に感じる冷たい鉄の感触と、右頬に感じる生身の手の感触。

 それに加え、その距離で見た女性の姿は、より一層扇情的で、ガイウスの下半身は思わず反応を示してしまう。


 ソレが劣情なのか?

 それとも命の危機を察知し、種を残そうとする本能が働いたのか?

 それは定かではないのだが――


  

「ん~、やっぱそれじゃ満足出来そうにないなぁ~。それじゃあ、ばいばい」



 女性の言葉に次いで、自分の中から聞こえるゴキリという鈍い音。

 結果的に、それがガイウスの聞いた、最後の言葉と音になった。



「は?」



 思わずそんな言葉を漏らしたのはエバン。


 その視線の先にあるのは、身体だけ正面を向いたガイウスの姿。

 身体だけ正面を向き、首だけを間後ろに向けたガイウスの姿なのだが、当然、大抵の人間というのは首が180度回るような構造はしていない。


 それを理解し、ガイウスが死んだという事を理解したからこそ、エバンは驚嘆の声を漏らしたのだが。


 

「静かになったし、呑みなおしますかねぇ~」



 ガイウスの頸椎をねじ切った当の本人は、何事も無かったかのようにカウンター席へと戻り、旨そうに酒を啜る。

 そんな女性の姿を見て、あっけにとられてしまうエバンと客達。



「マスターおかわり」



 エバンや客達を他所に、女性は酒のお代りを要求するのだが、マスターは呆けながらも首を横に振る。

 流石にお代わりは受け入れてもらえなかったようだ。



「おかわりは無しだ……ガイウスには困らされる事も多かったし、姉さんの正当防衛だっていうのも理解出来るが……流石にやり過ぎだ

これ以上居座られるのは迷惑だから帰ってくれ」


「えぇ……やっとタナビーを置いてある店見つけたのに」


「瓶ごと持っててくれ……それで、今後はウチの店に来ないで欲しい」


「コレじゃ私が無法者みたいじゃん……」


「そうは言ってねぇが……兎に角、面倒事になる前に出てってくれ」


「面倒事って……憲兵に私を突き出した方が手っ取り早いじゃん?」


「……誰がお前を取り押さえておくんだよ? て言うか大人しく捕まる様な玉じゃねぇだろ?」


「ああ、成程ね」


「だったら、姉さんを逃がして、適当に犯人をでっち上げた方が面倒がなくて良いんだよ。

下手に姉さんを売ると後が怖そうだしな……」


「でも、他の客達はそうはいかないでしょ?」


「あいつ等の顔見てからそういう発言はするんだな」



 エバンの言葉に従い、周囲を見て見れば、客達は顔を青ざめさせており、エバンの言葉に同意するよう、必死になって首を縦に振っている。


 そして、そんな客達の反応を見た女性。



「確かに、これなら心配ないかもしれないねぇ。

んじゃ、これ以上は迷惑だろうし、ありがたく瓶ごと貰ってお暇する事にするよ」


「……ああ、そうしてくれ」



 女性はそう言うと席を立ち、錆びた蝶番の扉に手を掛けるのだが――



「内緒だからね?」



 そんな一言を残していく。


 女性からすれば、やんわりとしたお願いのつもりだったのだろう。

 しかし、女性の見た目に加え、ガイウスを殺す程の実力。

 更には「内緒だからね?」という、あどけない言い方。

 何もかもがミスマッチで、エバンと客達はそら恐ろしいもののように感じてしまう。



「俺、夢でも見てたんかな……」


「俺もそんな気がして来たわ……」



 従って、女性が消えた酒場では安堵の声が上がり、揃いも揃って胸を撫で下ろすのであった。






 それから数時間後。


 憲兵にガイウスの死体を引き渡し、幾つかの事情聴取を終えると、状況が状況という事で今日は早目に酒場を閉める事にしたエバン。

 人が消えた酒場のカウンター席に座り、旨くも不味くも無い酒を煽っていた。

 

 正直、自分の店なのだから、自分の好きな酒を煽れば良いとも思うのだが……

 それをしないのは、注文したは良いものの、客からの注文が少なく無駄に在庫を抱えてしまっている酒が何本かあったからで、在庫処分の意味合いを兼ねて、仕事終わりに旨くも不味くも無い酒を煽るのが、エバンの日課となっていたからだといえる。


 そして、今日も微妙な味わいの酒を煽るエバンなのだが、今日は一段と酒に雑味を感じていた。


 それは何故かと言えば、今日という一日がエバンにとって碌でも無い一日であり、碌でも無い一日がエバンの心境に影響し、酒の味を悪いものにしていからに他ならない。

 気分が良い日は酒が上手いし、気分が悪ければ不味く感じる。そういうものなのだ。


 

「はぁ……」



 エバンは大きく溜息を吐くと、床に出来た染みへと視線を向ける。


 その染みは、ガイウスの血や糞尿の痕。

 掃除したは良いのだが、憲兵が来るまで放置していた為、痕として残ってしまっていた。



「コレ落ちるのか? ……てかあの女、勘弁してくれよ……」



 エバンはそう言うと乱暴にグラス置き、碌でも無い一日――その主演女優であった女性の事を思い浮かべる。

    

 白髪に真っ赤な瞳を持った美しい女性でありながら、黒い鉄製の義手、義足を身に着け、眼帯で顔の半分ほどを覆っており、そのなんとも言えない不揃いさが、やけに背徳的で扇情的であった女性の姿を。

 

  

「後もう少しで……もう少しだったのに……」 

 


 エバンはそう呟くと、下腹部に血が集まっていくのを感じ、思わず手を伸ばしそうになる。


 

「もう少しで、何があったのさ?」



 が、不意に声を掛けられた事で、慌てた様子でテーブルの上へと手を戻した。



「だ、誰だ!?」


「やぁやぁ、さっきは世話になったね」


「あ、あんたはさっきの姉さん……もう来るなって言っただろ?」


「ああ~……それは、そうなんだけどさ。

店も汚しちゃったし、酒の代金も払ってないのは流石に悪いかな~と思ってさ」


「……気にしなくて良い」



 エバンは突如訪れた女性を冷たくあしらって見せる。

 それもそうだろう。

 人の店を血で汚した相手など、出来る事なら関わり合いになりたくないというのが一般的な思考で、エバンが女性に対し、冷たい態度を取るのも当然の事だと言える。



「冷たいねぇ、悪かったとは思ってるんだよ?

……てか、呑んでんの? だったら一杯くらい付き合わせてくれない?

勿論、その分の金は払うし、さっきの金も払うからさ、なぁ、いいだろ?」


「……姉さん、心臓に毛でも生えているのかい?」


「はぁ? 生えてねぇよ! 見ろよ!? 綺麗なもんだろ?」


「ば、馬鹿!! な、なにやってやがる!?

分かった! 一杯だけ付き合ってやるから早くしまえ」


「おっ、漸く観念したね?」


「ああ、観念したよ……」



 冷たくあしらっていたエバンだったのだが、女性が上着をたくし上げたことで覗いた、白い肌と胸のふくらみに、慌てて申し入れを了承してしまう。

 

 

「ったく……姉さんは慎みってのを覚えた方が良いぞ?」



 そう言ったエバンは子供の我儘に付き合う大人。

 呆れたというか、諦めというか、いかにも渋々付き合っているといった雰囲気で……まあ、一瞬だけ慌てたものの、すぐさま冷静さを取り戻し、酒場のマスター然として振舞ってみせたのだから流石と言えるのだろう。


 ――が、しかし。

 実際、エバンの胸中は小躍りしたいくらいに高鳴っていた。


 しかし、それを悟られては不味い。

 そう理解しているからこそ、あくまで渋々といった態度を崩すことなく――



「タナビーの20年物だ。姉さんなら呑めるだろう?」



 大人の余裕と寛容さを演出して見せる。



「20年物!? こんなのがあるならさっき教えてくれた良かったのに~」


「冷やかしや、度胸試しで頼むヤツも居るからな。

ドワーフくらいしか呑まないとは言え、コイツも立派な酒だ。

ちゃんと酒の味が分かるヤツにしか出したくねぇんだよ」



 更には、酒場の店主としてのこだわり。

 そして女性を認めるような発言を混ぜるエバン。

 大概の女性であれば、この時点でエバンに悪意を持つ者は少なく、女性によっては、僅かばかりの好意を抱くのかも知れない。


 

「取り敢えずは乾杯だ」


「じゃあ、何に乾杯する?」


「……碌でも無い一日以外に何かあるか?」


「ははっ、確かにな! じゃあ、碌でも無い一日に乾杯しようか」


「ああ、碌でも無い一日に――」


「碌でも無い一日に――」


「「乾杯」」



 そう言うとチンとグラスを合わせ、女性は口へと運ぼうとしたのだが……



「ああ! その前に金は払っておいた方が良いな。

呑んで忘れちゃったら、元も子もないしさ」


「……おいおい、乾杯の後に野暮な真似すんなよ」


「まぁまぁ、取り敢えず受け取ってくれよ」



 女性は、無理やりにエバンの手を取ると一枚のコインを握らせる。



「ったく、確かに受け取っ……た……よ……?」



 そして、コインを手にしたエバン。

 コインに表記された、吊るされた豚の絵と、『幸せを運ぶ肉屋』という表記を確認した瞬間、見る見る内に顔を青ざめさせる事になる。



「あれぇ~? どうしたのぉ? 顔真っ青じゃん?」


「お、お前、このコインを何処で!?」


「あはっ! やっぱりこのコインが何だか知ってるんだ?」


「ち、違う!! こ、こんなものは知らない!!」


「流石にその反応は無理があると思うよ? エバン=へリントンさん?」


「な、なんでお前が俺の名前を……」


「そんなの調べたからに決まってんじゃん? ねぇ?

『幸せを運ぶ肉屋』会員番号84番、エバン=へリントンさん」


「おま、おま、お前ッ!?」



 女性から告げられる言葉に、青を通り越し顔を白くさせるエバン。

 だがしかし、そんなエバンを他所に女性は言葉を続ける。



「いやぁ、エバンさんは本当、ど変態だよねぇ~。

なんだっけ? あのガイウスとか言うヤツが私の頭を割ろうとした瞬間。

エバンさんが一番目を輝かせてたよ? てか勃ってたでしょ?

私の頭が割れるのを想像してとか……本当、変態だよねぇ~。

だからさ、『幸せを運ぶ肉屋』なんかの会員をやってるんでしょ?」


「ななな、何を言ってるんだ! お前は!!」


「そんでさ、そこまで変態を拗らせちゃった人が、まっとうに生きてる訳が無いんだよね~。

その証拠に、このお酒に意識を奪う様な薬入れてるでしょ?

意識を奪った後に楽しもうとか考えてたのかな~?

いやぁ~、如何にもニヒルなマスターを演出してたけど、下心が見え見えできつかったよ? ねぇ、エバンさん? 今まで何人殺したの?」


「で、出鱈目を言うな!? な、何を根拠に!?」



 あまりにも荒唐無稽な話に思わず声を荒らげるエバン。


 しかし――



「じゃあ、それ飲めよ」


「ぐっ……」



 女性のグラスに注がれた酒、それを飲めと言われた事で言葉を失ってしまう。

 それは言わば自供。お酒に何らかの細工をしている。と、暗に答えているのと同義であった。



「ほら? 飲めよ? 飲めないのか? 飲めないよねぇ?」


「う、五月蠅い!! 俺は何も知らない! 何もしてない!」


 

 追い詰められたエバンは更に声を荒らげ、必死に訴えるのだが――

 結果から言えば、それが不味かったと言えるだろう。



「は?」



 女性の声に怒気が含まれる。  



「何もしてない訳ないよねぇ!?

『幸せを運ぶ肉屋』は変態どもの集まりだ!

人の肉を刻み! 剥がし! 焦がし! 溶かし! 抉り! 潰し!

そんな痛みを他人に与える事で絶頂に達する、頭のイカレタ連中共だ!

そこに名を連ねてる時点で害悪! 反吐が出る程の悪意を持ち合せてなきゃ、入会することすら出来ねぇんだよ!」


「ちがっ……」


「違くないねぇ! その証拠にあんたの身体は無意識に反応してる」


「へ?」



 その言葉でエバンは自分の下腹部に視線を落とせば、パリッと糊のきいた仕立ての良いパンツ。その一部が張り詰めている事に気付く。



「こ、これは……」


「お前等は本当に変態だよねぇ。

人の痛みも、自分の痛みさえも快楽へ変えようとする。

『幸せを運ぶ肉屋』の会員である時点で、自分の犯した罪を理解している筈。

そして、罪を理解しているから、会員以外が『幸せを運ぶ肉屋』を口にし、尋ねた時点で酷い目に合うか、もしくは死すらも想像している筈なんだよねぇ。

それなのに……だというのにッ! それさえも興奮や快楽へ変えようとする!

だから、お前等は止まらないし、止められないし! 止まろうとしないッ!」


「は……ははは」



 エバンは理解していた。自分が異常性欲者である事を。

 幼い頃から人が傷つくのに興奮し、生き物が死ぬ瞬間にえもいえぬ快感を感じていた事を。


 そして、それは大人になっても変わらず、付き合った女性を情事の最中に――首を絞めるという行為の最中に、間違って殺してしまった瞬間、より一層強い感情へと変わる。


 もっと壊したい、もっと刻みたい、もっと絞めあげたい、もっと、もっと、もっと――


 そんな生活を続けていた所為か、一つの所に留まる事が出来なかったエバン。

 ねぐらを変えては、人の目をすり抜け己の欲望を満たしていた。


 そして、そんな生活を続け、いよいよ逃げ場が無くなろうとした時、エバンは『幸せを運ぶ肉屋』という組織と出会う事になる。


 それは、エバンのように異常な性癖を持つ者に対して、救いとも呼べる組織。

 金さえ払えば、組織の後ろ盾の元に己の性癖を満たせる場所で――オークション形式で人間を買い、買った後は、どう扱おうと個人の自由という、実に狂った所業を生業にしている組織であった。


 エバンはその組織を――紹介してきた人物を疑った。

 が、一度オークションに参加してからというものエバンはその考えを捨て去ることになる。

 組織の仕組みは? 何故このような組織が?

 そのような疑問はあったものの、この組織に身を置けば己の性癖を満たすことができる。危ない橋を渡らずとも楽しいことができる。それだけ理解していれば十分で、下手な詮索は自分から楽しみを奪いかねないと理解してしまったからだ。

 

 そして、『幸せを運ぶ肉屋』により、わざわざ危険を冒す必要が無くなったエバン。

 居場所を転々とする必要が無くなり、漸く一つの所に身を落ち着ける事になる。


 それからというもの、真面目に働きながらも度々『幸せを運ぶ肉屋』にお世話になったエバン。

 性癖を満たすには、お金が必要で、その為には働かなければいけない。

 だからエバンは仕事に精を出し、充分な努力もした。

 醜悪な動機ではあるが、必要以上に働き、誰もが『エバンのように働け』と言う程に。


 そして、そんま真面目な働きぶりを認められた結果。

 エバンは先代から酒場を任せられるようになり、先代が亡くなってからは酒場を継ぎ、マスターと言う表の顔を崩さないよう、表向きには少し不愛想ながらも、理解のあるマスターを演じて来た訳なのだが……


 ……どうやら、それにも終わりが訪れたようで、それを察したエバンは力なく笑みをこぼした。



「まぁ、いずれはこんな時が来ると思ってたさ……」


「抵抗はしないんだね?」


「ああ、俺はしがない酒場のマスタ―。

ガイウスのように武力がある訳でも無ければ、魔法を使える訳でも無い。

ガイウスを殺しちまうような姉さん相手に、抵抗するだけ無駄だろ?」


「潔いじゃん」



 観念したのか、両手を方の位置まであげ、両の掌を見せるエバン。

 そんなエバンを見た女性は、エバンに止めを刺すべく歩みを進める。



「で、でもちょっと待ってくれ!」



 変態であり屑ではあるものの、潔の良さに対しては素直に感心していた女性。

 散々自分は人を殺して来たというのに、いざ、自分の番になると怖気づくのか?

 そう考えると僅かに苛立ちを覚え、その為、返す言葉に棘が帯びる事になるのだが……



「今更怖気付いた? だとしても止めないよ。

まぁ、懺悔の言葉くらいなら聞いてやるけど」


「違う……違うんだ……どうせ死ぬのであれば――」



 次にエバンの口から出た言葉に、女性は自分の中で何かがキレる音を聞く事になる。



「――出来れば、痛く、苦しく、無残に殺して欲しいんだ。

出来れば絶頂する事が出来るくらいに……お願い出来ないかな?」


「やっぱ、お前達は害悪中の害悪だわ。 

お前が喜ぶような事は絶対にしないし、優しく殺してやるよ」



 そして、女性は義手を伸ばす。



「術式展開、対象の一部の感覚を遮断する」



 その言葉と共に中空に幾何学模様が描かれた――所謂、魔法陣が浮かび上がり、対象であるエバンを通り抜ける。



「な? こ、これは?」


「言っただろ? 今の術式でお前の痛覚を奪った。だから――」



 女性が義手を規則的に振ると、手首の付け根部分から剣が姿を表す。

 そして、その剣をエバンの腹へと刺すと、横へと滑らせた。



「どうだ? 痛くないだろ?」


「へ? あれ? あれ!? な、なんで!?」



 割かれた腹からは臓物が見えており、本来であれば激痛を感じる筈である。

 だが、臓物がはみ出し、おびただしい量の血液が流れているというのに、エバンは痛みを感じる事が無い。



「言っただろ? お前が喜ぶ事はしないって。

だからお前から痛みという快感を奪ったんだ」


「ななな、なんで!? 嫌だ! 嫌だッ! 痛みを! 俺の痛みを返せッ!!」


「嫌だね」



 女性はそう言うと、エバンの腕をサクリと切り落とす。



「痛ッ……痛くない!! 痛くない!? 痛くないッ!?」


「お前はじきに出血によって死ぬ。

どうだ? 痛みを感じない優しい優しい死だろ?」


「お、俺にとっては痛みこそが愛で、痛みこそが慈悲!

駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!

こここ、こんなの優しさじゃないッ!! お、俺の痛みを返せッ!!」


「駄目だね。そのまま痛みも快楽も感じる事ないまま――お前は死ね」


「あ、あんまりだッ!! 最期の時だからこそ、最期の痛みだからこそ、今までにない絶頂を迎えられる筈だったんだッ!! なのに! なのに! なのに!

こんなの! こんな最期は嫌だぁああああああ!!」



 まるで駄々っ子のように声を荒げるエバン。

 己の身に起きた理不尽。その原因となった女性を睨みつけると、憎い女性に対して一矢報いる為に口を開く。



「はははっ! そうか! これは復讐か!!

お前の手も足も目も!! 『幸せを運ぶ肉屋』の会員にやられたんだろ!?

だから、俺達会員が憎くてしょうがないんだな!

だけどな、お前が俺を殺したところで『肉屋』は! 俺みたいなヤツはいくらでも居る!

ざまぁみろ!! 俺を殺したところで所詮はちょっとした自己満足でしかない!! 所詮は無駄ッ! 言っちまえば、自慰行為で、人を殺して快感を得ている俺達と大差なんかねぇ!! 結局は同じ穴の狢なんだよぉッ!!」



 言ってやった。

 エバンの中では確かな手ごたえがあった。

 これで、女性が悔しそうな顔の一つでもすれば、顔を歪ませてやったという達成感から、絶頂を迎える事が出来るかもしれない。

 そんな考えを抱いていたのだが――



「で?」



 返ってきたのは、にべも無い一言で、エバンの淡い考えは水泡に帰す事になる。

 そして、大声を上げた事、水泡に帰した事で一気にエバンの体力は奪われる事になった。



「はっ、はは……なんだか意識が朦朧として来たわ……

こりゃあ、もう長くねぇな……」


「その出血量だしね」


「姉さん……じゃあ、せめて名前だけでも……

俺を殺した相手の名前だけでも教えてくれねぇかな……?」


「私の名前……か」



 伝えたところで、エバンは間も無く死ぬのだし、それに教える義理も無い。

 女性はそう考えたのが、酒を奢った貰ったという一点に置いて、僅かばかりの義理がある事に気付いてしまう。


 本来であれば、決して「敵」に対して名のる事などしない女性だが、その事を思い出すと、『死人に口なし』と言い聞かせ、渋々ながらに口を開いた。



「私の名前はロゼリア。三点欠損のロゼリアだ。冥府の土産に――」



 そして、名前を告げたのだが。



「――もう死んでたか」



 名前を告げる寸前の所で、事切れていたらしく、結局ロゼリアの名前を知ること無く、エバンは冥府へと旅立っていた。


 そんなエバンの亡骸を熱の無い瞳で眺めるロゼリア。



「これで私が始末したのは六人目……か。

他の団員達も各地で頑張ってるんだろうけど……

はぁ、『肉屋』を喰らい尽すには、まだまだ先が長そうだねぇ……」



 ロゼリアが所属する組織に対して、『幸せを運ぶ肉屋』という組織が驚くほどに巨大である事と、その会員の多さに思わず弱気な言葉を零してしまう。


 だがしかし――



「だけど、私の私の身体を好き勝手に弄くり回し、大事な妹を奪った『肉屋』。

組織の人間も、その会員も、私の命が続く限り、必ず喰い尽してやる。

――だから、パパ、ママ、エイナ……お姉ちゃんの事を天国で見守っててね……」



 新たに決意をすると、再び瞳に熱を灯す。

 そして歩き出す。

 自らと家族の復讐の為。

 

 これ以上、自分と同じような境遇の者が生まないようにする為に。


 女性の名前はロゼリア。


 『幸せを運ぶ肉屋』を狩る為の組織『暴食』の団長であり――肥えた豚。それらを喰らい尽す者である。

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三点欠損のロゼリア クボタロウ @kubotarou

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