描く

 女が手帳に落としていた視線を上げると、写真技師の男は女を見ていた。


 薄く笑みを浮かべると、男に言った。

 「ごめんなさい。写す準備が出来たのですか」


 上下の服を黒でまとめた男は申しわけないと顔に書いて白髪頭を下げた。

 「いや、余りに真剣な顔で筆を走らせておられるので、気になってしまい」


 女は笑みを厚くすると、視線を手帳に落として声を発した。

 「男は影に恋していた。それとも、光を愛した。というほうが妥当かもしれないか」


 声、いや言葉を聞いた男は子供のように好奇心で満ちた目をした。


 「ごめんなさい。先ほどのお話しが心をくすぐってどうしても文章になって浮かんできて、走り書きで草稿にしてしまい、小説を、描いていたんです」


 男は思い出した、緊張をほぐそうとした昔話、女がなに気に興味あり気に写真機を組み立てる様子を見ていたので、関心がおありですかと尋ねた、真剣な眼差しで意思を見せたので、片手で操作出来るイタリア製の三脚の話からはじめ、古典と呼べるくらい年代物のアメリカ製の写真機、そして聞かれるままに写真技師を目指した理由とか、生い立ちとかを撮影のセッティングをしながら話し、口だけで女流作家に意識を向けていた。取りとめもなくばらばらに話したものが作家にかかると小説になる。この先を読みたい欲求が高まり瞳に力がかかる。


 男は束の間考えると、意を決めたように口を動かした。

 「題名とか、決められてから書くのですか」

 「えぇ、題名が浮かんで、情景が見えたら文に起こしていきます」


 男の顔を見つめると、女は顔に書かれた問いに答えた。

 「古きよき、写真の陰影です。まだ前編の写す男までしか、場面が見えてませんが」


 男は足を一歩踏み出すと堪えられないというように言葉にしていた。

 「よければ、読ませて頂けないか」


 女は無言で男に近づくと開いたままの手帳を差し出した。

 男は走り書きの文字を目で追い、頷きながら、指先で気持ちを刻むように書かれた文章を確かめていった。


 読み終わった男は深い息を吐き出すと感嘆を言葉にした。

 「作家さんとは凄いものです、ふらふらした昔話をこんな見事な小説に仕立ててしまえるとは」


 笑みを浮かべて女は言った。

 「まだこれは初稿ですから。正式な作品にするには推敲を重ね、言葉を決めないといけません。すいません全てが聞いたままとはいかないんです、小説とは創作物ですから」


 男は小さく喉を鳴らすと、溢れる思いを言葉にしていた。

 「この小説、アトリエの写真の横に額縁に入れて飾らしてもらえませんか」


 目を伏せた女は、しばらく沈黙して言葉を紡いだ。


 「これには続きがあって、写真技師と女流作家は写真を写した後、瀟洒なカフェで芸術について語り合うことになっているのです。写真技師さんのご予定はいかがですか」


 言葉を聞き終わると男は笑みを膨らませながら言った。

 「芸術を語るとなると、長くなることは覚悟して」

 女は手を広げ、嬉しげに軽く首を傾げた。

 「これで、後編となる描く女も仕上げられそう」


 男はお辞儀をするように身体を前に屈ませ、軽く手を差し出した。

 「では、こちらにどうぞ」


 女は小さく笑みを決めると、大人びた落ち着いた光沢を放つ木製の写真機を見つめた。


 男はトレードマークにしている黒い山高帽で白髪頭を隠すと、鋭い眼差しで写真機に着けたマントのような黒い覆いに体を潜り込ませた。


 男は思った、隠せない知性と教養に満ちたこの作家はモノクロ映画で見た往年のハリウッド女優の憂いを帯びた横顔のように仕上げる。女流作家本人から直接電話での撮影依頼があった時、男は信じられなくて束の間、声がでなかった。今度発売する新作の著者近影にしたいからと柔らかな声が言葉にした。俺の撮った絵が小説に飾られる。考えることなく二つ返事で依頼を受けた。依頼内容は木製の写真機での撮影。依頼者はサイトに上げていた作品は沢山見ていたが、撮影依頼の注意書きは見ていなかった。


 この写真機で写すには長い時間、表情を変えることが赦されない。依頼者はそのことを知らずに年代物の木製写真機での撮影を依頼してきた。


 あえて男は言わなかった。長い時間といっても三分ほど微笑を湛えたままレンズを見ているだけのこと。


 男は、女流作家の描く小説の愛読者だった。頁を開き、黙って座っているだけで絵になるその姿をいつか作品にしたいと思っていた。絵画に描かれるモデルのように微笑のままに時を止めた女流作家の顔を硝子のファインダー越しに見つめながら、この作家が描いた小説に登場した洋画家の科白が活字となり心に浮かんだ。

 「言いわけなんて聞きたくないの、雄弁は銀。沈黙は金よ」


 確かにその通りだ。思いながらも申しわけなさを感じている男は指先に意識を向け、シャッターを切ると心なしか憂いにゆれる作家の微笑を、代表作に変えた。

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古きよき、写真の陰影 冠梨惟人 @kannasiyuito

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