百鬼夜行が通る道は決まって貴族が住むたいらかでやすらかな都に通じる大通りで、百鬼夜行が出る理由も大方決まって心暗いことを行った帰りである。


 我が初めて会ったのも百鬼夜行に会うと言われる夜も深くのこと、師に同行して陰陽師としての仕事を見た帰り。


 その時、我の生きる道が真に決まった。


 闇の中、灯火ともしびを掲げて向かい来る鬼達や物の怪の集まりに、あれは何かと問うと、師は見えるのかと問い返した。声を出せずにうなづくと、師は哀れに思い、幼い我に陰陽の道のすべてを教えることを決めたのだと後に伝え聞いた。


 陰陽の道は遠く離れた大国からもたらされた教えが、この国に根付く際にこの国らしく、この国に住む者の心に合うように変わっていったものと師は教えた。


 我は、幼き時より人の心が物の怪のように感じられた。陰陽の道を学んだ後は、心が物の怪に見えるようになった。


 陰陽の道はその名が示すように闇と光に分かれることからはじまると教わる。


 その前には闇も光も無いのかと師に問うと、それより先は人の道から外れると、めずらしく感情をおもてにして声に変えられた。


 教えにも限りがあると教えられたのはこの時が初めてのことであった。


 闇も光も無い。ならそこにあるのは何か。幼き日の我は、答えの無い問いから離れられずにいた。


 闇も光も無い。いや、光も闇も無い。無いなら考えることもない。考えることがないなら思うこともない。思うことがないなら感じることもないか。


 感じないなら、それはないということなのか。




 答えの見えない日々を幾日も無為に潰したある日、朱に染まる薄闇の通りを一人歩いていた。


 いつのまにか日は落ち、闇が辺りを包んだ。


 闇は無くならない。今この時こそが闇では、光はどこにあるのか、物の怪のような心が蠢くこの世に光はどこにあるというのか、師は陰陽の道こそが人の世を照らす光だと教える。師に従い貴族の屋敷に赴くとそこには物の怪がうようよといる。師が言う陰陽の道は物の怪をひと時退かせるだけで、退治出来るようなものでもない。


 師は鬼や物の怪は心の病が生み出し、心の病は治せないと我に言う。それでは何の為の陰陽の道か、わからない。




 闇の中、どこからともなく楽の音がした。

 満ちていく。光のように迷いの心に届いた。


 それは、値する声を聞いたと感じた。


 嘘と偽りに身を置き、それでも何も無いように振る舞うようにと、師より教えを授けられた帰りに聞いたその笛の音は、信じても良い声だと心が震えた。


 これが源博雅みなもとのひろまさとの出会いである。幼き日にあった我だけが知る、答えの声。


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陰陽師異聞 冠梨惟人 @kannasiyuito

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