陰陽師異聞

冠梨惟人

異に聞こえし

 うわさの広まった貴族屋敷から泣き声がするようになって、幾日いくにちか過ぎた夜半。


 華やかな単衣ひとえを着込んだ者はしなだれ崩していた身を起こすと、声をかけた。

 「どうされました、なにを、泣いておる」


 迷い込んだのか、年の頃は少し喋れるくらいのわらべが屋敷の中を歩き回りながら泣いていた。

 「ははさま。ははさま」


 「ここはわたしの屋敷、そなたの母ごはここには居られますまい」

 おもてを上げた顔はまだ若く、わらべに向けた眼差しと声色こわいろには優しさがあった。

 「きこえたのです、母さまが泣いておられた声が」

 わらべの声がわずかに大人びたと感じながらも若い女はわらべに向けるように声音こわねを上げた。

 「その声はわたしの声。わたしが泣いていた声」

 幼いわらべに、若い女は真剣な面持おももちで語り始めた。

 「わたしの声を母ごの声と思って屋敷に入り込んできたのであるか、母ごが心配しておられる、早くここを出て母ごの処に」


 わらべは年若い女の顔を見つめ、こう、口にした。

 「母さまは死なれました」


 若い女の顔が苦悶くもんゆがむ、まるで痛みをこらえるようにゆがめた顔で、女は続けた。

 「死なれたとな、死なれても母は子を心配しておられる」


 わらべはわずかに目を細めると、こう、口にした。

 「ぼくも、死んでいるのです」


 言葉を聞くや、女はあわてるように、わらべの言葉をさえぎるように、ゆがめた顔のまま続ける。

 「子が死んでいても母は死んだ我が子を心配しておる、早よ母の処に」


 聞くとわらべは、細めた目をさらに細め、笑みを浮かべるように言った。

 「子も、母を心配しているのです、姫」


 高かったわらべ声音こわねが、低く澄んだ男の声になっていた。


 「何者ですか、あなた」

 姫と呼ばれ、心を取り戻したのか落ち着いた声でわらべの姿をした者に問うた。


 「わたしは晴明はるあきら。姫の母ごに呼ばれた陰陽師です」

 「晴明はるあきらとは、安倍晴明あべのはるあきら殿ですか」


 わらべは、狐のように目を薄くするとわずかに頷いた。


 「姫の御子おこさまも、姫を探して彷徨さまよっておられるやもしれません」

 狐のように細めていた目を見開き、わらべは手を差し出した。

 「姫さま、御子おこのそばに」


 姫が身を震わせながらわらべの手を握ると、かすみのように姫の姿は消え、わらべも居なくなっていた。




 屋敷にしていた、物悲しいものがなくなり、しばらのちに門はいた。


 「ありがとうございます。これで娘も彼岸ひがんに行けましょう」

 家人かじんは喜びを言葉にした後、嘆いて見せた。

 「あの娘は子を失った悲しみのあまり、魔にあってしまった」

 「魔に、あったか」

 なにごとかを言おうとした顔を見ようとした家人かじんいぶかしむようにおもてを動かす。

 「いや、やはり」

 そこまで言うと、晴明はるあきらは天に散る、星を見上げた。

 闇に流れる光が凛と響き、落ちる。時の彼方から、初声うぶごえ木霊こだました。


 間にあった。子に会い、生まれ変わる。姫の悲願は魔に会っても叶わない。だから出番が回って来た。


 天をあやしく笑えむと、晴明はるあきら家人かじんに軽くこうべを傾かしげた。


 よこしまな心がない者が魔にあうことわりはないのに、人は哀しいかな。


 心に思うと家人かじんに背を向け、音のない闇に溶けるように、ゆらり足を踏み出した。

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