第22話 帰ってきた日常

 手を掴み、体を引き上げる。離してしまわぬように、落ちてしまわぬように力強く。

 私が掴み損ねて来たものはきっと数え切れないほどある。今回の事件を起こした子だってその中の一人だ。

 もう二度と取りこぼさないように、掴み損ねないように、誰も悲しまないように。

 もう二度とあんな思いはしたくないから。

 魔法陣からロイくんを引き上げる。疲労しているのが見て取れる。すぐにでも病院に連れていくべきだ。


「ロイくん!」


 薄らと開けた目が安心を宿し、すぐに閉じる。口元に笑顔を浮かべて。

 生きているということを確認しすぐに安堵のため息が漏れるが、安心している暇などはなかった。

 この魔法陣をどうにかしなければならない。

 生憎、私は魔法陣に関しての知識なら誰にも負けない自信がある。だからこの魔法陣をどうにかする方法は思いついてはいる。

 けれど、それを――封印をしてしまうと中にいるはどうなってしまうのだろう。

 未来永劫、魔法陣の中の世界に閉じ込められたままでいるのだろうか。それとも、封印された衝撃で死んでしまうのだろうか。

 確かにあの子は決して許されないことをしたのかもしれない。けど、あの子のやったことはあの子だけの問題じゃなかったはずだ。私たち教師にも何か出来ることがあったはずなのだ。もしかしたら今とは違った未来があったはずなのだ。

 だから、これは贖い。何もしてあげられなかった私が最後にあの子に出来ること。

 止めてあげなくちゃならない。

 今ここで止めなければあの子はきっと自分の気の済むまでたくさんの人を殺し続ける。

 そんなことはもうさせない。ここであの子を、優しかったあの子を止める。

 だから、


「許して――」


 両手で触れ、魔法陣を破壊するための魔力を流し込む。

 巨大すぎるが故にこちらから流し込む魔力は膨大だが、あの子の思いを、辛さを、痛みを思えばなんてことない。

 今、楽にしてあげるから。

 触れた魔法陣は青い光を放ち、地面が割れるような模様を作り描き、割れる。ガラスが弾けたような音とともに魔法陣の割れた青と赤の欠片が漂う。

 幻想的で神秘的なその光景は美しさの中にどこか寂しさを混ぜたような、そんな気がした。


 ※ ※ ※ ※ ※


「あーあ、壊されちゃった」


 血溜まりに浮かぶピンク色の肉片を足で弄びながら自分の世界に生じた異変に気づく。

 壁にひびが生じ、地面は割れ、隙間から闇が顔を覗かせる。

 名残惜しそうに指先で磔にされた人の胴体をなぞりながら、女は自分の悪魔が戻ってくるのを待つ。

 思っていたよりも時間が経っているが、崩壊が始まったということは失敗したのだろうと考えられる。

 女にとってそんなことはどうでもいい問題なのだが。


「アイリス先生の存在を計画に入れてなかったなぁ。次はちゃんと考えなきゃ」


 女は口元にこぼれ落ちた眼球を運び、不敵に笑う。その仕草は妙に妖艶で、大人のような色っぽさがあった。

 カツカツと響く足音に暗闇の方へ目を向ける。


「あ、ハンニ。遅かったね」


 壁に手を付き、空いている手で腹部を抑えながら悪魔ハンニは戻ってきた。

 どうやら自己回復能力で間に合わないほどのダメージを負ったらしく、ぽっかりと穴の空いた腹部からは焼けたような焦げた匂いが漂ってくる。

 ハンニは女の元まで戻ってくると壁にもたれ掛かるように座り込む。


「あの野郎……最後の最後でとんでもないものを食らわせてきやがった」


「ロイ君が?……へぇ、才能あったんだ」


 目を細めハンニの穴の空いた腹部を見つめる。その目は腹部ではなく、今はどこかにいるであろう黒髪の少年を見ているようだった。

 ハンニは自分の体を治しながらも崩壊が始まっているということに気づく。

 今までは腹部を治すことだけに集中していたために他のことに気が回らなかったのだ。


「おいさっさとでるぞ」


「うん、行こっか」


 ハンニが作り出した暗闇の中に躊躇なく足を踏み入れていく。

 崩れゆく世界を残し、かつてクラスメイトだったはずの肉塊を残して。

 これが人類存続を天秤にかけることになる魔女メグが初めて起こした事件だった。


 ※ ※ ※ ※ ※


 見慣れない白い天井。体は思うように動かない。頭が何かに殴られているように痛い。


「ロイ様……!目覚められたのですね!」


 横から勢いよく飛びつかれる。

 鼻腔をくすぐるのは嗅ぎなれたいつもの香り。

 抱きつかれた衝撃でそのまま後に倒れる。抱きしめ返したくても腕が上がらない。筋肉痛のような痛みが全身に走っている。


「ちょっと何してんのよあんた」


 扉が開く音と同時にお見舞いの品と思われる果物が入った籠を持ったエリカがやってきた。

 やれやれという面持ちだが、これ以上クロトに何かを言う素振りはなく、心做しかどこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 ベッドの側にある椅子に腰掛け、俺を助ける訳でもなく、クロトに抱きつかれたままの俺たちを見つめている。

 なんというか、戻ってきたという感じがする。あの地獄からよく日常に戻ってこれたものだ。


「なぁ、エリカ。俺ってどのくらい寝てた?」


「丸一日ね。精神的な疲労と極度の魔力欠乏症によるものよ」


 丸一日も寝ていたのか。

 確かにあの時はとりあえず必死だったから後のことなんて一切考えなかった。魔力切れなんてどうでもよかったし、足が動かなくても走っていた。ただ生きることに必死だった。


「あの後どうなったのかわかるか?」


 倒された状態のままでは格好つかないのでクロトを起こし、ベッドに座る。

 とりあえず気になるのはあの後あの女はどうなったのか、だ。


「私も伝聞でしかないのだけど、アイリス先生が魔法陣を破壊したらしいわ」


「魔法陣を破壊?ってことは中にいたあの女は……」


 俺が囚われていたあの魔法陣世界にはあの不気味な女と長髪の悪魔がいたはずだ。破壊されたということはあの女たちはどうなったんだ。破壊に巻き込まれて死んだのだろうか。


「そうね、私も死んだのだと思ったわ。でもね……」


 そう言ってエリカが差し出したのは一通の手紙だった。差出人は不明。宛先は……ロイ・バーリスになっている。

 疑問に思い渡された手紙を開く。

 そこには、


『また会いに行くね』


 とだけ書かれていた。

 そして手紙の左下に『メグ』と書いてあった。恐らくあの女の名前だ。

 また会いに行くね、ということはあの女――メグは魔法陣世界が崩壊したあとも何らかの方法で生き延びたということだ。

 あの女ともう一度会うことがあるというのは気分が落ち込む。もう二度と会いたくはなかった。けれど、また会いに来るということはもう一度あの惨状を作り出すかもしれないということでもある。

 そうなった場合の標的は誰になるのだろう。考えるのも嫌になる。


「それと、今回の事件の影響で学校がしばらくの間、閉鎖になるわ」


「そう……だよな」


 学校にあれだけの被害が出たのだ、そのまま続行するというわけにもいかないのだろう。

 被害者は何人くらいだろうか。あの魔法陣世界にあった肉片では正確な死者はわからない。

 学校側の責任は重大だろう。

 しばらくは長い長い冬休みというわけだ。


「お兄様っ……!」


 久しぶりに聞く声と共に扉が勢いよく開かれ、そこに立っていた赤髪の少女は涙ながらに俺の胸へと飛び込んできた。


「ノーラ!」


 母さんに似ている真っ赤な炎のような髪をなびかせ、大粒の涙を流しながら笑顔で顔を上げる。

 久しぶりに見る妹の顔はまたしても母に似たのかくっきりとした目に快活な印象を与える笑顔。将来はきっと色んな男に人気のある美少女になるに違いない。


「ノーラ様!そんな勢いよく飛び込んでは危険です!」


 横からクロトがノーラを注意する。

 そのセリフを数秒前のクロトに聞かせてやりたい。


「ノーラ久しぶり、元気だった?」


「お゛に゛い゛さ゛ま゛ぁぁぁ!」


 涙、鼻水、涎、と顔から出る液体全て出し切ったみたいな感じになっている。

 そんなノーラの顔を見て思わず噴き出してしまう。

 勿論、心配してくれているのはわかっている。

 それでもノーラが泣いていることが、俺の胸で泣いていることが嬉しくて楽しくて、笑ってしまうのだ。

 病室の隅でそんな兄妹の様子にエリカが柔らかい笑みを浮かべて見守っているが隣のクロトは泣き出したノーラに慌ただしくハンカチやティッシュなどで顔を拭いている。

 日常だ。

 なんだかいつも通りの日常に戻ってこれた気がした。

 いや、戻ってきたのだ。戻ってこれたのだ。

 クロトがいて、エリカがいて、そしてノーラがいる。

 そんな日常に戻ってこれたんだ。




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