第21話 脱出
さて、一度落ち着こう。
いや、落ち着くまでもないのか。頭はしっかりと冷静さを保っている。普通に考えてこんな状況下で冷静なんて無理だろうと思う。
でも、人間って案外こういう状況の方が冷静さを保てるのかもしれない。
いきなり視界が白く染まったかと思えばなにかに引っ張られてここまで連れてこられた。
赤く、粘着質な地面。鼻につく錆びたような香り。目に入るピンク色の塊。目を背けたくなるほどの惨状の中、崩れた顔面からこぼれ落ちた瞳が虚しく俺を見つめてくる。
胃の中から込み上げてくるものを抑え込み、必死に考える。
どうすれば助かるのか。どうすればこの状況を打破できるのか。
俺の数メートル先には長髪の悪魔と光のない瞳で薄く笑う女がいる。
まず勝負してどうこうできる問題ではない。
勝てるイメージが湧かない。もしかすると魔力制御に失敗した時の暴走状態の魔法なら、と思ったがそれは俺にも被害が及ぶから無理だ。
見れば見るほど気持ちが悪くなってくる景色を見渡し、出口を探す。
ここはどこだ。見覚えのない空間。広さ的には学校のスタジアムのような場所だが……。さっきまでいたあんな空間なのであれば出口の探しようがない。
クロトは?エリカは?先生は?様々な疑問が頭をよぎってくるが、自分の今置かれた状況を考えるとそんなことを思っている暇はない。
まずはどうにかしてここから逃げなければ。
「左腕の調子はどう?」
艶やかで耳障りな声が響く。女の声を聞いてようやく自分の左腕へと視線を移せた。今まで見てこないようにしてきたものを、強制的に自分の脳内へと情報を流し込む。
無いと思っていた左腕は、確かにそこにあった。千切られ、弄られた左腕は――制服こそ切れていたが――何事も無かったかのように生えていた。
痛みすら思い出せないほど完璧に。千切られたことが幻か何かだったかのように。
俺のそんな呆けた顔が面白かったのか女の方から笑い声が聞こえる。
「壊れたままじゃつまらないでしょ?」
「お前の趣味は悪魔みたいだよな」
女が言うと隣の悪魔が答える。
血の水溜りの上を何も感じていないかのように歩いて距離を詰めてくる。
自然と恐怖心から足は後ろへと下がろうとしていた。得体の知れない存在。未知の敵。叶わぬ敵。
どんなにみっともなくても今は生き延びることが最優先だ。
とにかく走る。先があるかどうかもわからない暗闇の中をひたすらに。
「逃がすかよ」
次の瞬間には体が空中に浮いていた。飛ばされた、という方が正解だ。
どこまでも飛んでいるかと思われた体は何かに当たる衝撃で止まった。堅く、冷たい、大きな壁。
先には長髪の悪魔。後ろは壁。
逃げ道など最初から無いも同然。だったら状況は最初から変わってはいないはずだ。
「めんどい」
次は地面に叩きつけられていた。理解する間を与えられることなく叩きつけられ、気づいてからやっと体に痛みが生じてくる。
なんとか足に力を入れて立ち上がる。震えが止まらない。肩で息をして視界が安定しない。
それでも逃げなければ。
「しつこい」
「がっ……」
首元を抑えられ持ち上げられる。地面に足がつかない。
「ここから逃げたいなら逃げればいい」
悪魔は言う。初めて笑いながら。
「オレから逃げられればだけどな!」
一層首元に力が加わる。酸素を取り込めない。狭まっていく視界の中で笑う悪魔の顔になんとか一矢報いてやりたくて悪魔の左腕に足を巻き付ける。
特に驚いた様子もないあたり、俺に何か出来るはずがないと思っているようだ。
巻きついたまま意識を集中する。この状況をどうにかするために賭けに出る。
イメージするのは最大級の爆発。選ぶ魔法はなんでもいい。何度もイメージを膨らませる。あの時の経験を思い出す。あの時は小規模な爆発だったが、今回狙うのはもっと大きな爆発だ。
意識を集中させ、イメージが固まる。
「今に見てろ……
瞼が開けなくなるほどの閃光。それと同時に身体中に走る痛み。身体の芯まで響く痛みに耐えきれず、巻いていた足を離してしまう。
爆風で後方へと飛ばされ、そのまま地面に何度も転がる。態勢を整えるのは困難。意識が薄れそうになる。が、ここで意識を失うわけにはいかない。
響く痛みに耐えながら、なんとか足に力を入れて立ち上がる。
立ち込める煙が消えれば悪魔の様子もわかる。殺すことはできてはいないだろうが、傷つけるくらいにはできたはずだ。
「オレは体が脆いんだよ」
そう言って煙の中から現れたのは顔半分が抉れ、左腕は無く肩まで抉り取られている悪魔の姿だった。
予想以上のダメージを与えられたことに少しだけ安心する。その安心もつかの間。抉れていた箇所から肉が爆発するように蠢き、膨れ上がる。
それは徐々に形を定め、元通りに戻っていく。全くの無傷。痛みすら感じていないようだ。
「オレ的にはお前を仲間にするのは反対なんだよな」
独り言のように悪魔は続ける。
「マスターが気に入ったなら仕方がないのだろうが、どうにもこいつは好きになれねぇ」
言葉の隙を見て逃げようにもダメージが大きすぎて咄嗟には動けない。
金縛りにあったように体が固まり、足が言うことを聞かない。折角開いた距離が少しずつ詰められていく。次に捕まればどうなるのか。
考える場合ではない。とにかく今は足を動かすのが先だ。
目くらまし目的で数発
その隙に警鐘を鳴らす足に鞭を打ち、限界を超えて走る。この先に出口があると信じて。
※ ※ ※ ※ ※
職員棟に現れた悪魔を抑え込み、外に出る。魔力残滓を探して一番濃いところへ向かう。
着いた頃にはスタジアムの中央に巨大な魔法陣が描かれていた。観客席を見渡し反対側の壁に
あれは、クロトさんとエリカさん?
あの二人がいるってことはどこかにロイくんも……いや、それを考えるのは後にしよう。今は目の前の二人を助けることが最優先。
束縛魔法で縛られた腕と足を解放し、ゆっくりと降ろす。怪我がないか一通り確認をし終え行方がわからないもう一人の生徒を探すがどこにも見当たらない。
最悪な場合はあの魔法陣の中にいる場合。助ける方法は無い訳では無い。一つは、破壊してしまえばいい。その場合は戻ってくるかどうか賭けになるけど。
二つ目は私自身が中に入ってしまう。この場合は術者本人に解除してもらうか、倒すかの二択だけれど。
三つ目は――――ダメ、これが一番危険。これは無し。
あとはロイくんが自力で脱出するしかない。
二人を魔法で運んで、安全な職員棟で保護してもらうことにして私はどうに化してこちら側からロイくんに手助けできないか試してみることにしよう。
※ ※ ※ ※ ※
暗闇をただ走る。進んでいるのかどうかすら不安になる。時折後ろを振り返り悪魔が追ってきてないか確認するがその様子はない。
休みたくなるが、いつあの悪魔が追ってくるかがわからないので下手に休むことは出来ない。が、いつまでも走っていられるほど俺の体力は化け物ではない。
自分の走る音、息しか聞こえない暗闇の中、ひとつの声を聞いた。小さく、薄い、幻聴かとも思えるほどの声。
なんとなく安心感がある声は次第にはっきりと聞こえだし、
「ロイくん!」
愛らしい、アイリス先生の声だ。声がする方へ必死に手を伸ばす。
真っ白な、細く、綺麗な手が俺の方へ伸びてくる。
掴め。掴め。掴め!
全身に言い聞かせ、最後の力を振り絞る。あと少しで手が届く――
「逃がすかよって」
すぐ後ろ、聞きたくなかった声。振り向かずともわかる。長髪の悪魔だ。
見たことのない大きな黒い翼をはためかせ、高速で迫り来る。
もうここから出られるというのに。捕まればどうなるのか考えたくもない。
死ぬくらいなら……
「
轟音――
来るはずの衝撃に備え、全身に力が入る。迫り来る悪魔が少し距離を取り、離れていく。
せめてもう一度アイツにダメージを……
「ぐっ……ぉぉおお!!!!」
なんとか爆発が正面へ届くように不安定な形を鋭く、鋭角に変えていく。
イメージは槍。どこまでも届く不滅の槍。アイツを貫き、爆散させる槍。
爆発寸前。今ある魔力全てを爆発制御に回す。試したことのない試み。一か八かの賭けだ。
白い光は形を変え、先の尖った槍のようなものに変化していく。
やがてそれは熱を帯び、白から赤へと変わっていく。
「くっ……くらいやがれ!」
渾身の一撃。
放った衝撃で自分自身も後ろへ飛ばされる。
槍は俺の予想を遥かに超えるほどの速度で悪魔を貫いた。
狙いの爆発は発動しなかったが、悪魔の腹部に大きな風穴を開けることに成功した。
一矢報いてやることが出来たのだ。
攻撃に怯みを見せた悪魔の隙を見逃さず、俺は伸ばされていた手を掴む。
手は何かを掴んだのを確認すると勢いよく引っ張りあげた。
目を開くとアイリス先生の子供のような大きな瞳が覗いていた。
「ロイくん!大丈夫ですか!?怪我は!?」
勢いよく迫ってくる先生に少しの安心を覚え、笑顔を浮かべたあと意識を失ってしまった。
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