第18話 始まりは唐突に

 寒い。寒すぎる。死ぬんじゃないか。この世界に来て初めての命の危機。こんなしょうもないことで死にたくないのだが。


 夜中2時。あまりの寒さに目が覚めた。外の天気を確認しようとカーテンを開けて窓を確認すると、寝る前まで弱々しく降っていた雪が、横殴りの激しい雪へと変わっていた。

 ガタガタと風の強さで窓が揺れ、外の天候の悪さを物語っている。

 流石にこんな寒さの中、いくら部屋の中にいると言っても毛布一枚で寝るのは無理があった。


 クロトを起こすわけにもいかず、かと言ってこのまま寝れば確実に風邪を引くだろう。

 何か体を温めてくれるものはないのか。ストーブ…………はこの世界にはない。あっても薪ストーブだ。そんなもの寮に設置できるわけがない。

 火の魔法なら、と思ったが本人が使った魔法は本人では熱を感知できない。意味が無いではないか。いや、本人も熱を感知できる魔法はあるのだろうが生憎俺はそんな魔法を使えないし、知らない。

 とりあえず毛布に潜り、体を擦りどうにか温まろうと奮闘するも、やはりそんな簡単に温まるはずもなく、諦めることになった。


「ロイ様……?どうしました?」


 部屋の中を歩き回る気配に気づいたのかクロトが目を覚ましてしまった。


「い、いや何でもないよ」


 俺が上手く取り繕い、クロトに答えるとクロトは少しの間を置いて、


「…………寒いんですね。いいですよ、一緒に寝ましょ?」


 長年の付き合いであるクロトにはお見通しだったらしい。簡単に俺が寒がっていることを見抜き、一緒に寝ることを提案してきた。

 魅力的な提案であるが、果たしてそれはいいのだろうか……まぁ、誰かが見てるわけではないのだからいいのか。

 こうして寒さにより簡単に決意を折った俺は抵抗なく、クロトの横に潜っていった。

 朝起きたら抱き枕にされていた。


「寒いですね……」


 玄関を開けてすぐにクロトが言った。

 今日は今まで晴れだったのが嘘かのような天気だ。今まで晴れだった分のツケを払わされてる、と言った方が正しいかもしれない。夜中の横殴りの吹雪よりは幾らか良くはなったが、風の強さと雪の影響で視界は良くない。

 こんな日に学校に行かなければならないのだと思うと億劫だ。


「……行こうか」


 ため息が出るのを耐えて重い足を踏み出す。

 着込んだコートの肩に雪が積もり、振り払ってもすぐに積もるので早々に放置を決め、ただ歩くことに集中する。

 雪というのは弱く降っていればロマンチックで綺麗なものなのだが、こうも強く降られると殺意しか湧いてこない。


 昨日までの快晴の影響で溶けだしていた雪の水溜りが凍っているので足元には細心の注意が払われる。こんな日に転んだら最悪だ。


 学校に着き、肩や頭、カバンなどに積もった雪を振り払い、上靴に履き替える。

 生徒の半数以上が今日の天気のことについて友人達と話し合っている。勿論、俺がその輪の中に入れてもらえる訳もなく、クロトと二人で教室まで歩く。


 一日の授業が終わり、やはり降り続いている吹雪を見てため息が出る。帰る時までには晴れることを祈って日課の特訓をするためにトレーニングルームへと向かった。


 ※ ※ ※ ※ ※


 ねぇ、ハンニ。


『なんだ、今更怖気づいたのか?』


 まさか。そんなわけない。


 私が言いたいのはね、私と同じ人がいたら食べないであげて欲しいの。


『ごちゃごちゃしてたらオレでも判別はつかねぇぞ』


 その時は仕方がない。


『そうか』


 うん。


『でもお前と同じ人間なんているのか?いたところでどうする?』


 さぁ。私と同じ『無能』がいるかどうかは賭け……願望に近いかな。


 もしいたら、一緒に世界を変えようって誘おうと思って。


『やめとけ、誘ったって乗らねぇよ。お前がレアなんだよ』


 そう。わかってる。


『で、タイミングはどうすんだよ』


 大丈夫。この天候ならみんなきっとすぐに外には出ようとは思わない。


『校内にいるのを狙うのか』


 うん。


 私は私の目的を達成出来ればとりあえずそれでいい。


 深追いはしない。


『わかってる』


 食べ尽くしてはダメ。


 いたぶってから食べるの。


『それは得意分野だ。悪魔を甘く見るな』


 わかってる。ハンニはそんな優しくないもの。


『酷いな。相棒だろ?』


 そう。相棒だから。


『よくわかんねぇな』


 いいの。私がわかってるから。


『ふーん……』


 さぁ。そろそろ時間よ。


 ハンニ。結界をお願いね。


『おう。任せておけ』


 復讐の時間よ。


 ※ ※ ※ ※ ※


 異変に気づいたのは特訓が終わって外へ出た時だ。

 まず、あれほど降り続いていた雪が綺麗に降り止んでいた。厚い鈍色の雲で覆われていた空はそれが嘘だったかのように青く澄み渡っている。

 第二に、既に学校が終わってから数時間か経っているというのに未だに生徒が多く残っている。確かに、あの吹雪の中帰るくらいなら多少止むまで待つだろうが、それにしても人が多すぎる。


 ざわざわと人の声が人の声を覆い隠し、何か異変があったようなのだが、それを正確に拾い上げることが出来ない。

 正門前まで歩くと、こんなにも人が多い理由がわかった。


 出られないのだ。


 門から出ようとすると何か見えない透明な壁に当たって外に出ることが出来ない。叩いたり、蹴ってみたり、無意味に声を出してみたりしたが、どれも効果は見られない。


「どうなってるんだ?」


「何かの余興でしょうか」


「まさか。この時期にイベントなんてなかったはずだけど」


 そういう時って大体、余興じゃないよね。こういう時は決まって何か事件が起きる予兆だ。

 一度教室まで戻る。もし、イベントなのであれば先生から何らかの説明があると思ったからだ。

 しかし、そんな期待は当然のように打ち砕かれる。


「みんなも知ってるかも知れませんが、現在校舎を中心にして何らかの魔術的関与が見られます。教師陣で調査を行っていますので皆はその場で待機していてください」


 アイリス先生は少し焦った様子で早口にそう言って出ていった。


「……大丈夫なんでしょうか」


 クロトが不安に思うのも仕方がない。クラスメイトにも不安が広がり、落ち着きなくざわめき立つ。


「ま、すぐに原因はわかるわよ。ランキング上位者もいるんでしょ?」


 エリカは少し気楽そうに答える。気にしていても自分に出来ることはない、と踏んでいるからだろう。

 俺もエリカと同じ考え方だ。何せ俺に出来ることなんて何も無いのだから。こういう事態の時は解決に動くのではなく、混乱せず冷静に状況を確認することだ。


 数十分が経過してクラスの男子が我慢出来ずに外に出ていった。それを見て数名がその男子生徒の後を追うように出ていき、クラス内には言われたことを守るタイプの人間だけになった。

 しばらくすれば戻ってくると思ったが一向に戻る気配はない。


『オマエラ、ウゴクナ』


 カタコトの聞き辛いノイズの入った声が耳に響いた。発生源はわからない。自分の脳内に直接声を送られでもしているのだろうか。


『ハンコウスルナ。ソウスレバタブンブジダ』


 声は段々と聞き取りやすくなり、徐々に発生源もわかってくる。

 教卓だ。教卓から声が聞こえてくる。

 何かがいるのかと目を凝らして見てみても何もいない。

 少し見ているとなんだか教卓が歪んでいる気がした。


『こんにちは。オレはハンニ様が率いている軍団に所属する悪魔だ。君達の監視を命じられた』


 先程とは違って流暢に話し始めたその存在は受け入れ難い程の邪悪さを身にまとっていた。禍々しいという言葉をそのまま体現したような存在だ。

 圧倒的な恐怖を前にして皆ただ固まるばかり。いつの間にか出ていったはずのクラスメイトも席に座っており、額には大きな雫が付いていた。

 そんな中、クラスの男子生徒。一番最初に教室を出ていった男子が立ち上がる。


「おい!悪魔だかなんだか知らねぇけど何様のつもりだ!」


 そう言って男子生徒は手に持った護身用の小さなナイフで目の前の歪な存在に斬りかかった。

 例え小さなナイフと言えど、魔力を纏わせればその威力は倍以上に跳ね上がる。そんなもので切りつけられればどうなるかは火を見るより明らかだ。


 ――――が、甲高い金属音を教室に響かせてナイフは根元から折れていた。折れた刃が回転し、勢いのまま壁に突き刺さる。

 自分の攻撃が通用しない未知の相手に男子生徒は恐怖したのかまるで動けなくなる。


『反抗するなと言ったはずなんだが?』


 悪魔が睨みつけると男子生徒は音もなくその場から消え去った。

 一瞬の静寂。目の前の理解不能の出来事を理解するのに必要な時間だ。きっと誰も正確に理解なんてしなかっただろう。ただ、恐怖しただけだ。


 絶叫のような叫び声を上げて一斉に教室から出ていく。

 教室に残ったのは恐怖で足が動かない者、逃げることを諦めた者、大人しく言われたことに従う者に分かれた。

 悪魔は逃げていった方を見て面倒くさそうに頭を搔く。言うことを聞いてくれないペットに向ける時のような仕草だ。


『面倒なんだよな……』


 後を追うように悪魔は扉へと向けて歩いていた。

 きっとこのままでは皆さっきのように訳も分からず消されてしまう。どんな魔法なのかは皆目見当もつかない。無事である保証もない。


「ちょっと待て」


 気づいたら口から出ていた。

 エリカの痛すぎる視線を真横から浴びたが、そんなものを気にしてはいられなかった。

 得体の知れない悪魔と目があったからだ。

 ただ、怖かった。続く言葉なんて出てこなかったし、足の震えは止まらない。それでも、それでも止めなければならなかった。

 このままでは逃げていった人達はどうなる?それを考えたらこのまま行かすなんて考えられなかった。


『お前…………』


 悪魔の表情は読めない。俺のことを確かに呼んだはずなのだが、それきり言葉を紡がない。


『…………わかりました。持っていきます』


 悪魔が一度だけ俺から視線を逸らし、何事が呟き、俺の方へ視線を向ける。

 何をされたのかもわからず俺の意識は闇の中に落ちていった。

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