マタニティ・ドール②


 小規模なパーティーでその顔合わせは済まされた。


 婚約者は背の高い、艷やかな黒髪の少女だった。聞けば私よりも二つ年下なのだという。簡単な挨拶を済ませた少女は、儲け話に大輪を咲かせる親達の横で静かに笑っていた。


 第一印象は物静かな淑女といったところか。予想以上の期待はずれ感に落胆してしまう。もちろん、張り付けたにこやかな表情は変えないけれど。


 しばらくして私は外の空気を吸いにベランダへ出た。貴族独特の支配欲と自尊心に満ちた空気は好ましいけれど、誰もが家名しか見ていない事実を考えると少し疲れてしまう。


 休憩を終え戻ってみると婚約者が消えていた。親たちは談笑に夢中で気づいていない。


 辺りを見渡したけれど会場にはいないようだ。さてこの行為は彼女のどんな意志を表すのか。興味の湧いた私は、少女を探してパーティーを抜け出した。



     ◇   ◆   ◇



 月明かりに頼って庭園を散策する。


 精巧な造りの花園だ。管理が行き届いているようだ。まめに手入れされているのが見てとれる。屋敷が経った当時から維持されてきたのだろう。


 羨ましい、と口内で呟く。


 つまりこの草木たちは、私の知らない旧い時代を見てきたということだ。


 まだ我が国にも男性が蔓延はびこっていたころ、マタニティ・ドールという考えがあったそうだ。

 貴族の女を揶揄やゆした蔑称べっしょうのようなものである。


 自身の意思を持たず、ただ家どうしの橋渡しとなり子を産む道具として消費される存在。それが貴族の女だ。


 女はいつだって追従する立場で、男はいつだって自由である。


 財産のある夫はいくらでも浮気をするし、そうやって子が増えるのはむしろ良いことだとされてきた。子を増やせば、希少な男児が産まれる確率も増えるからだ。そして例え正式な妻があっても、そばめが男児を産めば質実その女が優遇されるのは明白だ。


 女同士で子を産めるようになって、そういった風潮も薄れていった。だからマタニティ・ドールという言葉も年配の者しか使わない。知らない若者も増えている。


 けれど私はこの言葉が好きだ。


 子を産む道具。

 マタニティ・ドール。

 私の成りたい、支配される人形ドールの到達点。


 私は道具でありたい。どうやら私は被虐性癖が極まっているらしい。しかも単純な暴力に晒されることは好まない。私が欲しいのは支配だ。精神的、物理的、立場的、そういうのを包括ほうかつした、"貴族の女"というカゴの支配。


 逃れ得ない、何より強力な真綿のように息苦しい強制力。私はそれに押しつぶされて生きていたいのだ。


 その上で、妊娠という現象を身を持って体験したい。それが私の野望だ。


「ふっ、えへへっ……」


 いけない。想像しただけでたかぶってきた。


 緩んだ口元を引き締め辺りを見渡す。ベランダから見たところ、屋敷から見渡せない場所は限られている。屋敷と庭木の角度を考えれば恐らく……。


「ユスィア様、こちらにいらっしゃいましたか」


「あっ……。ニミ……様」


 木立を影に、思ったとおり彼女はいた。黒いドレスが闇に紛れて見つけづらかったのだ。何故か屈み込み身体を小さく丸めている。腹を抱え守っているように見えた。


 ……月の巡りだろうか。症状の重い人かもしれない。羨ま──おいたわしい。


 同性とはいえはっきり言葉にするのは無作法だ。私はあくまで体調を心配するふうを装った。


「どうしたのです? 夜風に当たってはお風邪を召されますよ。貴女様の身体はこれから子を孕む大事な御身なのですから」


「…………」


 手を差し出すが視線をそらされる。誰かへ微笑みかけてこういった態度をとられるのは始めてだ。


 どうやらただ体調が悪いということではなさそうだ。

 となると、考えたくはないが問題は私の側にあるのだろうか。


 ならば単刀直入に聞いてしまったほうが気が楽だ。

 私は深呼吸一つして、表情を悲壮に整える。


「……結婚がお嫌なのですか? それとも私のことがお嫌いなのでしょうか」


「ちっ、違います! ニミ様を嫌うなど、そんな。私は……。私はただ…………」


「ただ?」


「………………子を産むのが怖いのです」


 少女がやっとの思いで吐き出したのは、私には到底共感できない恐怖心だった。


「どうしてです? 子孫を残すことは私達にとって栄誉あることではありませんか」


「私達の責務は理解しています。ですが、やはり怖いのです。妊娠なんてしたら、自分が自分でなくなるようで……」


 少女の言い分に私はなるほどと頷いた。


 子をはらみ、産み育てるために、女の身体は強制的に作り変えられる。


 まず子宮が膨張し内臓が圧迫される。それだけじゃない。強烈な嘔吐感、それに伴う食欲不振、ホルモンバランスはめちゃくちゃになり精神性までもが不安定になって当人にすらコントロールできない。


 出産が母体にもたらす負荷はそれ以上だ。時には母子ともに命の危険に晒されることもある。医療技術の発展した現代でも出産時の死亡率はゼロにできていないのだから。


 こうして言葉にしてみれば、妊娠によって引き起こされる身体の変調はもはや命を左右する大病に等しい。普通に生きていればまず起こり得ない避け難い苦痛。

 もし妊娠以外でこんな変化が身体に生じることがあるとするならば、きっと悪魔の仕業とでも言われて万民に恐れられただろう。


 それが全て、子を産む女には当たり前に押し付けられる。


 生命を脅かす異常が、『子を産む』という行為の過程に組み込まれるだけで肯定されてしまうのだ。しかもそれを誰もおかしいと思わない。


 私はその異常と苦痛こそを望み願っているのだけれど、我が婚約者は違うらしい。彼女は妊娠と出産の危険性を正しく理解し、恐れている。


「自分でない存在のために己の全てを作り変えられるようで、それが心の弱い私にはどうにも耐えられそうにないのです」


 目の縁に涙を溜め、ユスィア様は憐れにも震えていた。婚約者の弱った姿に私の心も揺れる。


 彼女をなんとか安心させてあげたいという庇護欲と、こんなチャンスは二度とないぜという勇み足が私を突き動かした。


「私が産みましょう」


「えっ?」

 

 ぽかんと大きく口があく。私はこぼれそうになる狂喜を必死にこらえて演説をぶち上げた。


「貴女の恐れる苦痛は全て私が引き受けましょう。大丈夫です。私達は夫婦になるのですから。助け合いこそが家族の本義。誰が何と言おうと、貴女を苦しめることはさせません。ご安心ください、この私が貴女の代わりに、サラエヴァラ家のご子息を無事産んでみせましょう!」


 胸を張り自信満々に宣言する。若干息が乱れてしまった。いささか乱雑な主張だが、これは彼女も飛びつきたくなる提案のはずだ。


 けれど予想とは違い、ユスィア様は否定しない代わりに喜びを見せることもなかった。


「あ、ありがとうございます……」


 目尻を引つらせてどもりがちに感謝の言葉を呟かれる。ああ、早口過ぎて怯えさせてしまったのだろう。久しぶりに加減を間違えてしまったようだ。


 だがそんなことは些末なこと。こうして言質も取れたのだ。両者の合意があれば慣例もくつがえせる。私は彼女へとびきり優しい微笑みを向けた。


「共に、幸福な家庭を築きましょう」


「…………えぇ」


 気まずげに逸らされた視線の意味を、野望成就の可能性に酔いしれていたこの時の私はまだ知らなかった。


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