10-3.俺は最後にそう決めました。

「え……?」

「だから、この写真のこの子、私」


 写真の女の子と、目の前の少女を見比べる。色素が薄い以外に似た特徴などないが、なるほどたしかに、よく見れば顔に昔の名残がある。


 でもそれ以上に、髪の毛の色と性格が正反対だ。昔は黒で活発、今は白い髪でおとなしい。

 そのことについて訊くと、グレシルは自分の昔話を始めた。


「小さい頃、すごく仲のいい幼馴染がいた。家が近所で、いつも一緒だった。でも小学生のときに国に帰ることになった。私は日本生まれじゃないから」


 昨日母が言っていたことと合致する。


「向こうで私は未来予知の能力を手に入れ、それを軍隊で使うことになった。そこで数年暗殺部隊として活動するうちに、ストレスから髪の色は白くなった」


 性格も、戦闘漬けの生活ではこうなるのも頷ける。


「部隊のターゲットがユキナガに決まったときは、ルシファーの力とか関係なく、またあなたに会えると思うととても嬉しかった」


 両手を胸の前でそっと握り、微かに微笑んだ。しかしその表情には、少し寂しさも見える。


「でもあなたは、私のことを憶えていなかった。髪も性格も変わっちゃったから、仕方ないけど」

「どうして最初に言わなかったんだ? 言ってくれれば思い出せたかもしれないのに」

「あのときの私は任務に従事する一介の軍人。いきなり私情を持ち込むわけにはいかなかった」


 色々なところで話が噛み合わない。俺たちは一応、すでに付き合っている。話すタイミングならいつでもあっただろうに。


「今の私を好きになってくれたから、私はそれでも満足だった。だから今まで言わずにいた。でも作戦が終わって、ユキナガがその写真の女の子を探しているのなら、私がその女の子だってことを、言ってもいいかなって思った」


 グレシルはそんなことを考えていたのか。俺の記憶が曖昧なばっかりに、グレシルには寂しい思いをさせてしまった。

 なんだかんだ言って、実は俺よりも悩みを抱えていたのかもしれない。


「ごめんな、グレシル……」

「謝るなら、これから改めて、私と仲良くして」

「ああ、分かった」


 俺たちは手を固く握り、気持ちを確認し合った。


「俺はお邪魔ですかね」

「あ、すまん……」


 英記をまた置き去りにしてしまったのは、正直胸が痛い。でもここで寛容で気が回るのが、俺の親友の誇れるところだ。


「答え、出たんじゃねぇの。早くベルさんのとこ行って、思いの丈をぶつけてきな。あ、帰ってきたらお前の奢りな」


 ただし、細かいところで抜かりなく見返りを求めるのも、こいつの良いところだ。俺も断る理由がない。ありがたく奢らせてもらおう。


「分かった。ありがとな、ヒデ」

「おう!」


 英記を駅まで見送ったあと俺とグレシルは、UD本部に向かうことにした。




 着いて早々、状況の悪さに唖然とした。

 UDの本部は半壊し、商店街に並ぶ店はどこもシャッターを閉めきっている。

 活気づいていた地獄は、人間の常識へと逆戻りし、静かで寂しい場所になっていたのだ。


「どうして……」

「おそらく、真実を知ってUDに対する信頼をなくしてしまった。地獄の実質トップが、敵対する組織のトップと同じ目的を持っていたから」

「そう、か……」


 変わり果ててしまった地獄。それは天国も似たようなものだった。


 UD天国課の拠点は、作戦のときにミカエルの襲撃を受けて倒壊している。それを直そうとする様子もなく、外には悪魔は誰一人として出ていない。隠れて暗く沈んでいるのだろう。

 UD地獄課の臨時拠点もミカエルに焼かれて黒く焦げ、今はかろうじて建物の形を保っているだけだ。

 中に入ってみても元の状態できれいに残っているものはなく、物の見事に焼かれていた。


「天使の本部も確認してみよう。天使が残ってるかもしれない」

「ああ」


 グレシルの提案で来てみると、ウリエルが開けた壁の穴は当然そのまま残っている。


 一方で良かったと言うべきなのか、建物内に数人の天使が倒れていたのを見つけた。心臓も動いているし、呼吸もまだしている。

 リンさんと明日太はあのとき、下級天使を完全には殺していなかったのだ。


「とりあえずこいつらを部屋まで運ぶぞ。こんなところで寝てたんじゃ、かわいそうだ」

「分かった」


 いくつもある部屋には幸いにもベッドが一台ずつ置かれていて、まだ生きている天使たちをどうにか移動させる。


 途中一人が目を覚まし、話を聞くと、


「ミカエル様も、他の幹部の方たちも行方が分からなくなり、俺たちはどうしていいか分からなくなってしまった。もっとも、戦いで疲弊した今の身体じゃ動く気力もないが」


 と、自分に呆れて笑ったあと、また意識を失った。


「酷いな……」


 どこの世界も、状況は最悪だ。人間界はもちろん、自陣だった地獄と敵陣だった天国も、このまま放っておくことはできない。どうにかして、今の状況から立て直す必要がある。


「どうする、ユキナガ」

「そうだな。じゃあ……」


 グレシルの話によると、作戦のあと、あの場にいたメンバーは互いに避けるように各地に散っていき、連絡もつかなくなっているそうだ。


 今後の協力を仰ぐため、俺とグレシルはあのメンバーを招集することにした。

 携帯などの連絡手段は一切繋がらないため、廃れた天国と地獄を一ヶ月かけて巡り、直接探しに行った。


 ベルさんとミカエルは最後まで見つけることができなかった。


「リンさんはベルさんに、サンダルフォンはミカエルに連絡してください。お願いします」

「あ、ああ……」

「分かりました」


 最終手段として、それぞれリンさんとサンダルフォンに連絡をしてもらうよう説得し、何とか呼びかけることができた。

 残念ながらヴィアンとオリヴァーは、まだ幼くこれ以上は活動できなさそうだと、作戦終了直後にUD離脱を表明したそうだ。


 こうして探し当てたメンバーに、後日再び連絡をととって集合してもらった。




 UD本部の例の委員会室に、全員が集まったことを確認する。

 天国と地獄両方のトップが気力を失い、今までの部下たちもつられて気を落とす。誰も、一度も口を開くこともなく、ただ俯いていた。


 友好関係が崩れ、全員がどう接したらいいか分からずに気まずいようにも見える。

 それに加え人間界には、ミカエルが残した爪痕が、俺たちが確認した以上に多く残されていて、三界は統制の取れないものになっていた。


「みなさん……。どうしてそんなに沈んでるんですか……」

「どうしてまた、私たちを集めた」


 俺たちが来たのを横目で見たベルさんが、小さく反応する。


「はい。答えが出ました。俺がこの先どうしたいか」


 その言葉に、下を向いていた視線たちがいくつか俺の方へと向いた。

 グレシルを見て軽く頷き、彼女の細い手を握って答える。


「俺は、グレシルと一緒に生きていきたいです。でもそれと同時に、もう一つやらなきゃいけないことを見つけました」


 グレシルも他のメンバーも、「やらなくてはいけないこと」という発言は予想外だったようで、目を丸くしたり目を細めたり、先を聞きたげな顔をした。

 それなら聞かせてやろうと、静かに息を吸い込んでから少しずつ吐き出していった。


「天国と地獄は見ての通り、リーダーがほぼ戦闘不能、官僚組織も同様です。さらには人間界も多くの被害を受け、今、三界は酷く混乱状態にあります」


 そしてここからが、この話の本題だ。


「現状を打破するにはどうしたらいいのか。考えられるとすれば、それは三人が求めた、ルシファーの力です。だから俺は、今の三界を立て直す。これが俺の、やらなくちゃいけないこと、やりたいことです」


 言い終わったあと、静寂に包まれた部屋の奥からふっと笑う声が聞こえた。


「そうか。それがお前の答えか。実にお前らしい」

「ベルさん……」


 そして次々と、俺に賛同するように全員が顔を上げて微笑んだ。

 俺の最後の決断は、たぶん間違っていないんだと思う。

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