エピローグ

0.日常は憧れでした。

「放課後は私とスウが授業をする。寝るんじゃないぞ」

「は、はいっ!」


 再建するためには、三界のそれなりの知識と技術が必要だ。

 そのために、経済に関しては経済学部のベルさん、自然関連は理学部のスウがノウハウを教えてくれることになった。

 細かい制度についてはサンダルフォンとソネイロンさんが、それぞれ天国と地獄について教えてくれる。

 また、挑戦的な試みとして、UDや天使のことを人間界でも周知させることにした。

 これには森定さん、それに英記にも手伝ってもらい、半月かからずにベルさんとミカエルが国連の会合に出席することになった。

 そして三界が協力することが決まり、ここに「三界修好条約」なるものが採択された。



 そこからの勢いは止まらない。

 UD構成員の能力を最大限に使うことで各界の復旧は予想以上に早く進み、五年ほどでほぼ終わりを迎えた。

 さらには企業が集まって三界を行き来できるゲートを造り、貨幣の取引も開始。やがてどこの業界も、海外進出ならぬ外界進出が盛んに行われるようになっていった。





 そこからさらに時が過ぎること数年。目まぐるしい発展にもようやく落ち着きが出てきたころ。


「ずいぶんと変わったなぁ」

「そうだね。平和」


 大きな木の下でグレシルの膝に寝転がり、暖かいそよ風を浴びていた。横からはすうすうと可愛い寝息が聞こえる。


 俺たちはすでに結婚し、二人目がグレシルのお腹の中にいる。幼い長女のシロを連れて家族で休日を満喫していた。


「この毛は誰に似たんだか」


 幼児特有のまだ完全に伸びきっていない髪は、彼女のものに色が似ていた。このまま成長すれば、もしかしたら小さいグレシルが見れるかもしれない。

 二人目は男の子か女の子かまだ分からないが、何て言ってもグレシルの子どもだ。どっちが生まれても可愛いことは間違いない。


「ユキナガの子どもだから、二人とも優しい子に育つ」

「照れるな……」


 グレシルが顔を真っ赤にしながら反論してきた。俺の考えはどうやら口に出ていたらしい。

 二人して赤面して、思わず顔を背けた。


 その子どもたちを養うため、俺たちは地獄運営本部に流れるように就職し、三界再建の貢献もあってか俺は本部長に、グレシルはスパイを辞めて秘書として就くことができた。


 元本部長のソネイロンさんは定年を迎え、秘書だったサルバさんはめでたく寿退社、どちらもそれぞれの故郷に帰ったらしい。


 そんなことを考えてふと思う。


「そういえば、UDのみんなはどこに行ったんだろうな」

「分からない」


 俺が三界再建を打ち出してからしばらくの間、みんなには各現場をまとめてもらっていた。

 それが落ち着きを見せた途端に行方不明になり、こちらからは一切連絡を取れなくなってしまった。


 結局居場所が分かっているのはグレシルだけだ。


「たぶん他の人も、普通の生活がしたかったんだと思う。常に緊張状態じゃなくて、家族とか友だちと笑って暮らす生活が」


 そう言う彼女の目はどこか遠くを見ていた。


 他の人「も」、か。


 グレシルも一時は軍人。普通の日常に憧れるその気持ちは、痛いほどよく分かっているのだろう。あるいは、自分自身の願いだったのかもしれない。

 言い表せない悲しみが胸を締め付けるのを誤魔化すように、白く輝く彼女の頭を撫でた。




 地獄第一区に建てた新居に帰ると、家の前に英記と一人の男性が立っていた。


「ヒデ、どうした?」

「おお、ユッキー。久しぶりだな。シロちゃんも大きくなって」


 俺の背中で寝ている娘の頭を撫でる。

 英記には三界開発のときにかなり助けてもらった。

 UDじゃなかった英記は連絡が途絶えるわけでもなく、たまに出かけることがある。この前も家族ぐるみで温泉旅行に行った。


 それはそうと、隣にいる男性が気になって仕方がない。


「その人は?」

「ああ、お前に紹介したくてよ。昔近所に住んでた日向ひなた友輝ともきさん。海外に引っ越してつい最近帰ってきた、っていうことになってる」

「久しぶり、ユキナガくん、グレシルさん。また会えて嬉しいよ」


 深々と頭を下げる。しかし久しぶりと言われても、正直会った記憶がない。


「グレシル、知り合い?」


 首を横に振る彼女。

 男性は困ったように軽く笑い、


「やっぱり、分からないよね?」

 と、頭を掻くと、出ていた額を前髪で覆い隠す。


「お前……!」

「びっくりしたか?」


 英記は楽しそうに腹を抱える。


 決して記憶がないわけじゃなかった。前に会ったときは、目の前のこの人とは雰囲気が全く違っていたのだ。


 男性は前髪を戻してニコッと笑った。


「元、ウリエルです」

 



「どうして、ヒデとウリエルが一緒なんだ?」


 二人を家に上げ、事情を聴く。


「だから言ったじゃん。昔近所に住んでたって」

「いや、そういうことじゃないんだよなぁ」


 いまいち伝わってないようだ。俺が聴きたいのは、どうしてウリエルと明かしたうえで関係を続けているのか、ということだ。

 それを汲み取ってくれたのか、ウリエル、もとい日向さんが説明してくれた。


「近所に住んでいたというのは本当。でも海外に引っ越したんじゃなくて、実際は天使に誘拐されて実験台にされてた。作戦が終わって、ミカエルからもようやく解放されたってわけ」


 言われてみれば、ミカエルからの解放を望んでいたのは、作戦の終盤にはすでに明らかだった。一言も話さずにひたすらに命令に従っていたウリエルが、最後にはやつに火を放ったのだ。


 日向さんは、だからね、と目を閉じた。


「あいつから離れる前も、三界開発を手伝っていたときも、二人を見てきて思ったんだ。俺も普通の生活がしたい。実験台じゃなくて、一人の人間として日常を送りたいって」


 言い切った彼は後悔や罪悪感など微塵も見せず、とても幸せそうに笑った。



 英記と日向さんは昼寝から目を覚ましたシロと遊び、しばらくしてから用があると言って帰っていった。

 遊び疲れたシロは俺たちに挟まったまま、また夢の中だ。


「どれだけ寝るんだよ……」

「子どもって、すごい元気。私の方が疲れる」


 グレシルは少し顔をしかめ、シロの頭を撫でていた俺の手を無理やり自分の頭に持っていく。


「まったく……」


 熟睡する娘と、その娘に嫉妬する妻。


 努力なんて綺麗なものはないが、これは紛れもなく、俺が手に入れた日常だ。

 そしてUDのみんなも、天使たちも、争いのない日常に憧れた結果があの計画だったのかもしれない。




 性善説と性悪説。

 どちらが正しいかの答えは結局出てないが、どちらにせよ善と悪は表裏一体だ。人はちょっとしたことで善にも悪にもなる。

 それを決めるのは人間関係だったり生きてきた環境だったり、はたまた本人の意思だったり。


 だから俺は、俺が出会った人たちや俺が生きてきたこの三界に恩返しをするつもりで、善となり悪を断つ。そういう生き方をしていこうと思う。

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