10-2.もう一つの真実は子どもの頃でした。
聡明寮も大学も、ミカエルに焼かれてしまった。英記に連絡を取ってみるが、一向に反応は返ってこない。
行く当てがあるとすれば、実家だけだった。
今から帰ることを親に電話すると、驚きはしたものの、普通に歓迎してくれた。
打倒ミカエルの作戦が決行されたのは夜中。そこから一晩戦って、大学が爆破されたのが朝。俺がルシファーの生まれ変わりだと知らされたのが昼前。
そして家に着いたときにはもう日が沈みかけていた。
「た、ただいまー……」
恐る恐る玄関のドアを開ける。自分の家なのに緊張してしまうのは、何ともおかしな話だ。
「おかえ……どうしたのその格好!?」
傷だらけ、煤だらけ、おまけに黒いマントを羽織った俺は、不審者同然。帰るのに時間がかかったのも、この姿を見られないように路地裏を探して通ってきたからだ。
「とりあえずお風呂入ってきなさい。ご飯作って待ってるから」
「え、あ……、ありがとう」
そういえば、作戦が始まってから何も口にしていない。緊張のし過ぎか、腹が鳴っていたことにすら、母親に言われるまで気づかなかった。
温かい風呂もずいぶんと久しぶりな気がする。
傷は異常なまでにしみて激痛だったが、なんとか耐えながら汚れを落とし、しばらく考える。
「どうすればいいのかな……」
お湯を手ですくって顔にかける。気分が完全に晴れるわけではないが、多少紛らすことは出来るだろう。
目を閉じて悩み、結局、母親に呼ばれるまで湯船で眠ってしまっていた。
「母さんの料理久しぶりだ。旨そう」
「いっぱい食べなさい」
「父さんは?」
「今日は飲み会。お客さんの接待だって」
「ふーん。大変そう」
そんな何気ない、他愛ない話が、すごく嬉しく感じた。思えば大学に入ってから、俺の生活はUDがメインだった。英記とも、まだまともに出かけたことがない。
それもこれも、始まりはベルさんが俺をテロから救ったことだ。命の恩人ではあるが、同時に、俺を利用するつもりだった。
「何かあったの?」
「え……?」
「あんた、笑ってない」
思わず顔を触る。笑顔にしてたつもりだったが、親という存在に嘘の表情は通用らしい。
「いや、何でもないよ。疲れただけ」
俺が経験してきたことは、言ったところでさらに心配させてしまうだけだろう。それに一応、UDは世間には知られてはいけないことになっている。
「そう。言えないのなら別にいいけど、無理はしないようにね。本当にダメになったときに、また私たちに相談しなさい」
「ありがとう……」
親というのは偉大だ。子どもにとっては、なくてはならない存在だ。
生まれ変わりなどという曖昧な天使長なんかよりも、よっぽど価値ある存在だ。
いつか必ず恩返しをすると決めて、残りの料理を平らげた。
テレビを見ながら食後の幸せな余韻に浸っていると、母が俺の部屋から写真を持ち出してきた。
「これ、あんたが引っ越した後、部屋を掃除してたら出てきたの。この子誰だか覚えてる?」
写真を受け取って言われるまま見てみると、幼稚園の制服に包まれた不愛想な俺ともう一人、同じ制服を着て、俺の腕に無邪気にしがみつく女の子が写っていた。
「えっと……、誰だっけ……?」
色素の薄い肌に、細い手足とショートの黒髪。何となく見覚えはあるが、名前も声もまったく憶えていない。
「昔近所に住んでた外国人の子。あんたにすごい懐いちゃって、いつも一緒に遊んでたのよ。小学校も毎日一緒に登下校しててね。でもいつの間にか海外に帰ったって、小学校の先生から聞いたわよ」
「名前とか憶えてる?」
「それが私も全然。だって十年以上前の話よ?」
それもそうだ。長い間話すらしてなければ、大事な思い出とかがない限り記憶に残らない。
つまり俺とこの子の間にも、特別な思い出はなかったということだ。
「思い出せないならこの話はおしまい。今日はもう寝なさい」
時間はまだ午後九時だが、作戦の疲れは睡魔を呼び寄せ、俺を深い眠りへ誘い込んでいった。
起きたらそこは俺の部屋。時間はまだ六時で、飲み会をして帰ってきた父はもちろん、母もまだ起きていない。
壁には黒いマントが掛けられ、机には銃とナイフが置かれていた。母は何も俺に何も訊かずにいてくれたのだ。
携帯を見ると、大学から大量の休講補講メールが来ていた。キャンパスが復旧工事中の今、近くの公民館を借りて少しずつ授業をしているらしい。
ちょうど今日、俺たちが取っている授業があるそうで、英記からのLINEも来ていた。
『今日、行くよな。話聞かせてくれ』
「そうだった……。あいつ、怒ってるよな……」
大学が爆破されたとき、今回のことはあとで話すと約束したのを思い出した。
一般人には話してはいけないが、英記はすでに被害者だ。それに、何日も授業を休んで一人にしてしまっていたことに対する謝罪の意味も込めて、話さなくてはいけないと考えた。
ひとまず授業は、隣に座り気まずい空気の中で受けた。
授業後、公民館の横にある公園のベンチに座って、口外禁止を約束してから秘密を打ち明けていく。
俺が経験したこと、UDのこと、グレシルのこと、そして俺のこと。
英記は何も言い返さずに、最後まで静かに俺の話を聞いていた。
「信じられない話かもしれないが、嘘はついてない。全部事実だ」
「ああ、分かったよ。話してくれてありがとな」
英記は歯を出して微笑む。
「怒ってないのか?」
「んー……。たしかに腹立ったことはあったよ。グループワークのときにいなかったとか、毎日昼ご飯は委員会室とか。でも、そのときお前は命かけて戦ってたんだなって思うと、俺の方が申し訳なくて」
「ヒデ……。ごめん……ありがとう……」
他に友だちがいないのかなんて、この際訊くのはお門違いだ。
見るべきは、広い心で受け止めてくれる友人がいるということ。それだけで俺の胸は感謝でいっぱいになり、感情が抑えられなかった。
英記に肩を抱かれながらひとしきり涙を流したあと、あの写真の女の子が誰なのか調べるのに、
「どうせ暇だし、記者みたいだし、なんかロマンチックじゃん、そういうの」
という理由で付き合ってもらうことになった。新聞にはそういうコラムも必要だとも言っていた。あまりネタにされたくはないんだが。
「何か手掛かりとかあるのか?」
「同じ幼稚園と小学校に通ってたってことと、小学校の頃に海外に帰ったってことくらいかな」
写真を見せると綺麗な子だなと凝視していたが、さすが新聞委員というべきか、そこからの行動は速かった。
「じゃあとりあえず小学校だな。名簿とかが残ってるはずだぜ」
そう言うや否や授業中の静かな母校に向かうと、担任が教頭になって出迎えてくれた。事情を話せば快く承諾してくれ、簡単に当時の名簿を見ることができた。
「あのときの学年には外国人の生徒が二人いたよね。一人がこの子で、もう一人がこっちの子」
たしかに、同じ学年にカタカナで書かれた名前が二つあった。このどちらかが、写真に写る女の子ということか。
「先生は、どちらか憶えていませんか」
「私ももう歳だからね。天野くんとは四年間同じだったから憶えてるけど、この子たちは低学年のときに転校したよ」
二択まで絞れたものの、そこから先が分からずじまいか。
「そうですか……」
「力になれなくてすまないね。いつでもおいで。歓迎するから」
「はい。ありがとうございました」
お礼を言って学校をあとにする。
「幼稚園に行ってみるか?」
小学校より前に遡っても、かえって情報が少なくなる気もするが、行ってみて案外何か見つかるかもしれない。
「そうだな。もう少し付き合ってくれ」
「おう、望むところだ」
幼稚園は昼間のお遊戯の時間らしく、園児たち元気な声が外まで響く。
こっちは当時の園長先生が亡くなり、同じくここで先生をしていた娘が跡を引き継いだらしい。
母から伺ったことがありますと、小学校同様快く受け入れてくれた。
しかし残念ながら、その子が在籍していたことくらいしか情報は残っておらず、名前は分からなかった。
「ダメかー……」
「ごめんな」
「いいよ、楽しかったから」
どこまでも寛容な友人に感謝しながら幼稚園を出ると、そこには、色素の薄い少女——グレシルが立っていた。
「グレシル、久しぶりだな。元気か」
「そこそこ。英記は」
「俺もそこそこだ。とりあえず、話はユッキーから全部聞いたぞ」
「そう」
幼稚園の門の前で、三人が立ち尽くす。
まだどうしたらいいのか答えが出ていない俺には、グレシルに会わせる顔がない。そう思って俯いていたのに、彼女は易々と俺に近づき、手から写真をひったくった。
「あっ……! お前、それ……!」
青い目で写真をじっと見つめると、くすりと小さく笑い写真の女の子を指さして言った。
「これ、私」
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