第10章 俺は最後にそう決めました。
10-1.真実は予想もつかないものでした。
「なんてな!」
目を見開いたミカエルは、両足を上げてベルさんを挟み込む。怯んだベルさんをそのまま持ち上げ、足を戻す勢いで地面に叩きつけた。
地面でむせ返るベルさんの頭に触れると、ミカエルの姿が消える。消え方は高速移動のものではなく、あえて言うなら、ベルさんの存在抹消の同じ消え方だ。
「私の能力か……」
「その通り。私の能力は、相手の能力をコピーすること。しかもただのコピーではなく、強化して使うことができます」
姿は見えず、声だけが聞こえる。
「っ!」
明日太が肩を震わせると、ミカエルが姿を現し分身する。
「僕の能力!」
明日太の能力をコピーしたことで、単体で互角に戦っていた相手が人数を増やしていく。それにミカエル本来の素早さが加わり、グレシルでも予測しきれない手強いものになってしまった。
背中に、腹に、足に、頬に。殴られたと思えば蹴られ、また殴られる。
当たった部分が熱を帯び、次の瞬間には違う部分が熱を帯びる。今どこをやられたかの判断すらつかない。
反撃しようとしても、その手は弾かれて痛みに変わってしまう。
全員が同時に身をよじり、地面に倒れることも許されずに一方的にダメージを負っていく。
「どうした、どうした!」
共鳴するミカエルのいくつもの声と攻撃を受ける鈍い打撃音が、不快な音楽になって耳に入ってくる。
——どうすれば倒せる?
他のみんなは? まだ死んでない? 死にそう?
グレシル……? 意識を失ってる?
起きろ。死ぬな。やめろ。やめろ——。
「やめ……、ろ……」
意識を失いかけながら考え、どうにか声を絞り出す。
攻撃がぴたりと止んだ。
ミカエルの幻影が消え、本物が視界の真ん中で立ち尽くす。
UDが、蓄積されたダメージに屈するように崩れる。
「何が、起こった? なぜ身体が動かない?」
かろうじて機能する耳が捉えたのは、困惑し焦るも、すぐに喜びを露にする声だった。
「なるほど? ついにか。これでようやく準備が整ったわけか。そうか、そうか!」
視界の外で一人納得している。
準備が整った、とか言っていたが、さっき聞き逃したものと同じ話だろうか。
「やっとだ! これであの計画を始めることができる! はははははっ!」
ミカエルの足音が耳元で止まると、何となく跪いたのを感じた。
「よくお戻りになられました。再び天使の名を轟かせましょう」
ミカエルが俺に対して下手に出ている。話が全く見えてこなかった。
ミカエルに抱きかかえられ、身体は空高く舞い上がる。
「放せ……、っ!」
そう言うと、変に従順に、ミカエルの腕の力がすっと抜け俺は真下へと落下した。
受け身の取れない無防備な状態で地面に叩きつけられる。
そのはずだったが、
「ユキ、ナガ……」
「グレシル……、すまん」
意識を取り戻して何とか動けるようになったグレシルが、俺をギリギリのところで受け止めてくれていた。
俺も何とか身体を起こして周りを見れば、他のメンバーも立ち上がるくらいには回復していた。
「諦めの悪い人たちですね」
そこへミカエルが音を立てずに降りてくる。敵意は剥き出しだ。
「ミカエル、座れ」
ミカエルは一切抵抗せず、その場に座り込んだ。
俺の命令に従うのはもう分かった。使い方も何となく分かる。疑問なのは、どうしてガブリエルの言霊のようなことができるのか、だ。
それに関しては、ベルさんがそのうち代わりに問い詰めてくれるだろう。
「お前の目的は何だ」
「それはあなたが一番分かっていることでしょう? それに、白髪のあなたも」
視線の先のグレシルが目を逸らした。ベルさんはベルさんで、ミカエルを睨みつける。
「ベルさん? グレシル?」
二人は一向にその真意を話してはくれなかった。
「では、私から説明しましょう」
ミカエルの目的と俺を取り巻く真実が、一つ、また一つと明らかにされていく。
それは、予想の出来ないものだった。
「私の目的は、天国と地獄、人間界を支配する『天界化計画』です」
その名の通り、三つの世界を天使の支配下にする計画。ミカエルの政治が人間にも影響し、奴隷のように扱われるのだろう。
「準備はほぼ終了していました。一つ足りないとすれば、それはかつての天使の長ルシファーの力です」
そしてそれは、ミカエルが俺たちを狙う目的にも繋がった。
「特にユキナガ、あなたが必要だった。なぜなら、あなたがルシファーの生まれ変わりだからです」
「俺が、ルシファーの、生まれ変わり……?」
今まで耳にしてきた数々の話の中で、ルシファーの名が登場したことは多かった。それほどに、元天使の長は高位な存在だったのがよく分かった。
それが実は俺だった、という真実。
「さっき私に命令したでしょう。あれでもう、あなたが力を取り戻したということが明確になったのです」
「ルシファーの能力は
黙り込んでいたベルさんが補足する。
「それが、俺の能力……」
一般人として生きてきたつもりだし、親からもそんな話は一度も聞いていない。
戸惑いや疑問、素直に受け止められない部分はあったが、しかし話は俺を置き去りにして進んでいく。
「ルシファーを欲しがっていたのは私だけではありません。何を隠そう、UDのトップがそうなのですから」
「っ……」
ベルさんが眉をひそめ、下唇を噛んだ。そして一言、すまない、と囁く。
「私がユキナガをUDに引き入れたのも、実はルシファーの力を手に入れたかったからだ」
何の取り柄もない俺を誘ったのは、俺がルシファーの生まれ変わりだから。つまり、引き入れたのは「俺」ではなく、その中にいる「ルシファー」だ。
「おい、ちょっと待て。ベル、お前、そんなこと一度も言ったことなかっただろ……」
叫ぶリンさんの声は震えていた。仲間なのに秘密にされていたことに対して、怒りと悲しみが混ざり合う。
他のメンバーを見ても、なぜ? という顔をしている。スウに至っては、目尻に涙を浮かべていた。
ベルさんは消えかかった声で謝ることしかしない。弁解の余地もないのだろうか。
「ベルさんが俺を、いや、ルシファーをUDに引き入れた目的は、何なんですか?」
「私もミカエルと似たようなものだ。蘇ったルシファーの力で地獄と天国、さらには人間界もUDの支配下に置く。それが目的だ」
あまりに唐突で、反論さえできなかった。
スウのすすり泣きだけが、やけに大きく聞こえる。
凍ったその空気を壊したのは、ミカエルだった。
「あなたも真実を話す義務があると思いますが? グレシルさん」
「分かってる。ベルゼブブが話したのなら、私も話さなきゃいけない」
全員の視線が彼女に集中する。
透き通った声は、また予想できなかった真実を告白する。
「私はそもそもUDの構成員じゃない。昔は軍人だった、とかじゃなく、今も。私は打倒UDを掲げる組織の所属。つまりスパイ」
「なっ……!」
UDトップにとっては命にかかわる話だ。驚きのあまり、気持ちがはやる。
「それなら私を殺す機会はいくらでもあったはずだ。なぜ今まで隠していた?」
「私たちの本当の目的は世界再建。そのために、同じ目的を掲げるUDとミカエルが邪魔だった。邪魔な者同士で潰し合うなら、これ以上楽なことはない」
「私たちは利用されていたということか……」
その言葉を皮切りに、スウのすすり泣きが一段と強くなった。
「それなら、私たちだって、利用されてたってことじゃ、ないですか……! 何も、話してくれないで……! 仲間だと、家族だと、思ってたのに……!」
スウがしゃくり上げの声を漏らす。まだ幼い少女の目から大粒の涙がこぼれ、地面を濡らした。
「ベル姉さまの、バカっ……! 大っ嫌いですっ……!」
そしてあれだけベル姉さまと慕っていた彼女が、おそらく初めてだろう暴言を、少しためらいながら吐き出した。
それは、今までの信頼関係がガラガラと音が聞こえるくらいに、激しく崩れたということだ。
「スウ……、みんな……。すまない……」
そこには、UDをまとめる凛々しい姿はもうない。
ベルさん、グレシル、ミカエルが対立し、その中心に実は俺がいて他は蚊帳の外。
「ユキナガは、どうしたい?」
グレシルは俯いたまま、俺の手に触れた。
「俺は……」
何て言えばいいのか。どうすればいいのか。何が正解なのか。
そんな簡単に答えが出るはずもなく、
「考えさせてくれ……」
そう言って、この場を離れることしか出来なかった。
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