8-4.決戦のときを迎えました。

「ベルねえ……さま……」

「スウ……!」


 花園から二階の廊下へと戻ると、人間の姿になった化け猫のミィに抱えられ、顔や服を煤で黒くしたスウと合流できた。

 その姿からも、ウリエルとの戦いがいかに壮絶なものだったかが窺える。


「仕方がない。ミィ、ソネイロンに治療してもらうよう、スウを連れて本部に戻ってくれ」

「そんな、まだ戦えます。ミィ、ベル姉さまたちについて行って」


 ミィは首を横に振り、ベルさんに頭を下げると、元来た道へと引き返していった。


「スウは大丈夫なんでしょうか。少なくとも作戦が終わるまでは、復帰は難しいと思うんですけど」


 一瞬見ただけでも、相当傷を負っているようだった。

 それでも、少女とその使い魔だけであのウリエルを倒したのだから、称賛すべき成果ではある。


「安心しろ。スウはすぐに戻ってくる」

「何か根拠でも?」


 普段からベルさんとスウは仲がいい。しかし、それと実際の回復力は話が別だ。


「言ってなかったか。ソネイロンの能力は起死回生リカバリー。入試のときにお前の命を救ったのも、ソネイロンの能力だ」


 思わぬところで知ることとなった、今まで隠されてきて俺も聞くことをしなかった真実。

 記憶はなくとも、俺が体験してその力を証明している。ソネイロンさんの能力であれば、心配せずに先へと進める。スウはまたこの戦場に復帰するだろう。


「とにかく、ここで止まっててもしょうがないわ。先を急ぎましょう」

「そうだな、案内を頼む」


 後ろを振り返らず、俺たちは三階への階段を駆け上がった。




 作戦を計画しているときに何となく感じていたが、裏ルートは正規のルートよりも入り組んでいて、正直面倒くさい。


 本部室のある三階も一本道というわけにはいかず、いくつも角を曲がらなければいけなかった。

 その度に、向こう側に天使がいないかをグレシルの未来予知で調べていく。


『別動隊、大丈夫か』

『平気だ。そろそろ三階に上がるぞ』


 別動隊のリンさんと明日太と連絡を取ってみる。別動隊は見事に雑魚を引き付けたらしく、本隊の方には一切雑魚は現れなかった。

 別動隊は引き付けた雑魚を一通り片づけ、予定の合流地点に向かっていた。


「私たちも急ぐぞ」

「了解」


 本部室前の最後の直線を急いだ。




 廊下の中ほどの階段から、別動隊の三人が顔を出した。


「リン、明日太、メタトロン。無事か」

「俺は問題ない」

「僕も大丈夫です」


 三人とも目立った傷はないが、リンさん一人、何か言いたげな表情だ。


「リン、何かあったのか」


 ベルさんの心配に折れたのか、渋々口を開いた。


「どうも手応えがないんだが、スウがいないということはまさかそっちに主力がいたのか?」


 リンさんも相手側の作戦には気づいていたようだ。

 ベルさんは首を縦に振る。


「ウリエルとガブリエル、幹部の二天使と接触した。ウリエルに関してはスウが対処したが重症、今は本部でソネイロンの治療を受けている」

「そうか…。そりゃあ、相手もやられるだけじゃないよな」


 今まではっきりと言言われたことはなかったが、十歳の少女ながらもスウは、このUDにとって貴重かつ重要な戦力なのだ。

 それが戻ってくるまでの間、残ったメンバーは彼女の分まで戦わなければいけない。


「そろそろ本部室に着くぞ。あの嬢ちゃんはまだ戻ってきてないけど、どうするんだ」


 メタトロンの言葉に他の全員が前を向くと、廊下の端があと数十メートルといったところだった。


「ユキナガ、あれ?」

「たぶんあれだ」


 グレシルが、廊下の奥の違和感を指さした。


 誘拐事件のとき、俺たちは目隠しされていたせいで本部室をしっかりと見ていない。純白の板に金色のドアノブが付いた、俺の身長の五倍はある巨大な扉は、初めて見るものだ。

 それが本部室の扉だと知るはずがない。しかしそこが本部室だと分かるのは、肌にまで伝わる違和感がそうさせているのだろう。

 全面を白で塗られたこの建物の中で、同じ色でありながらその存在感を消すどころか、自らを主張しているようだった。


「その通り。ここが天使族の中枢よ」


 ラファエルが囁き、ベルさんが小声で招集する。


「これより突撃する。準備はいいか」


 静寂に包まれる白い廊下で、七人が目を合わせて頷く。

 ラファエルとメタトロンが扉に手を添え、軋んだ音を立てて本部室の中へと足を踏み入れた。




「これはこれは、ラファエルにメタトロン。ご無沙汰してます」


 そこには当然、エメラルドグリーンの髪と白く柔らかな羽をたくわえたミカエルがいて、片手を身体の前にした執事のような、腰の低いお辞儀をしていた。

 その横には、申し訳なさそうに眉をひそめるサンダルフォンの姿もある。


「サンダルフォンから聞きましたよ。あなたたちはどうやら、裏では反ミカエル派なる派閥の主導者だとか。いやはや、愚かなものですね」


 そうなのか、とサンダルフォンを見ると、すまない、と目を逸らされてしまった。

 それに怒りを露にしたのは、メタトロンだった。


「サンダルフォンがお前なんかに話すはずがねぇ! お前が何かしたんだろ!」


 不良気質なところがあるメタトロンは、感情に流されやすい。現に、自分の怒りに流されて行動を起こそうと前のめりになっている。


「やめなさい。それを聞きだしたところで、知られていることに変わりはないでしょ」


 今にもミカエルに飛び掛かりそうな身体を抑えたのは、ラファエルの手。舌打ちをしつつ、メタトロンは後ろに下がる。

 こうしてお互いに、足りない部分を補っているのだ。


「素晴らしい友情ですね。感心しますよ」


 握りこぶしで口を抑えた笑い。聞く限りでも、皮肉っているのがよく分かる。

 ラファエルはそれを無視して進める。


「サンダルフォンから聞いてるなら話が早いわ。あなたのやり方には賛同できない。今すぐにやめなさい」


 そこでわずかに癪に障ったのか、ミカエルは笑みを殺した。


「散々私に従ってきたでしょうに、何を今さら。天使の長は私です。私に従ってもらわなければ困ります」

「だが下の階級の天使たちが苦しんでるのも事実だ。お前は自分のことしか考えてない」


 反論するメタトロンと、開き直るミカエル。


「そんなことは知っています」

「なら尚更たちが悪いわね」

「ですが私に従ってきたおかげで、天使族もここまで力を取り戻した。違いますか?」

「それとこれとは話が別だろうが!」


 メタトロンが叫ぶと、ミカエルが鼻を鳴らして嘲笑う。


「別ではありませんよ。私が考えた政策は悲しいかな、天使たちを奴隷のように扱うものだった。しかしそれを続けてきた結果、今こうして準備が整った。そしてこれからは、全世界に天使の名を轟かせることになる」

「それは悪環境をさらに蔓延させるだけ。良い印象を与えることは不可能よ」


 ラファエルが言い聞かせようとするが、向こうはいかにも正論のように返してくる。


「そんなこと、やってみなくては分かりません。やる前から諦めるのは、それこそ愚かな者のすることです」


 三人の口論はとどまるところを知らず、放っておくと最終的には突然の戦闘になりかねない。


 未来予知でそれを感じ取っているだろうグレシルは、さっきからそわそわと俺の腕を掴んでいる。


 なんとかしなければ。

 そう思った矢先、


「やめろ二人ともっ!」


 普段の様子からは想像できない、サンダルフォンの悲痛な叫びが部屋を揺らした。

 ラファエルとメタトロンも聞いたことがなかったのか、ひたすらに困惑している。


「サンダルフォン、どうしたんだよ。ミカエルに何かされたのか……?」

「何もされてないよ。大丈夫だ」


 サンダルフォンが叫ぶのが分かっていたのか、ミカエルは目を閉じて微笑んでいる。

 サンダルフォンは、自分の番だと言わんばかりに言葉を続けた。


「言い合ったところで何かが変わるわけじゃない。話し合いでは解決しないから、ここまで大きな問題になっているんだ。じゃあどうしてここまで大きくなった? どうして手遅れになった? どうすればミカエルを止められる? それを考えろ、メタトロン」


 いつもの優しい顔と丁寧語はもうない。今はただ、横にいる宿敵を潰す、それだけを考えている顔だ。


 メタトロンは少しの間悩み、


「こいつを天使長の座から引きずり下ろす」


 再び原点へと戻ってきた。

 サンダルフォンはそれを聞くと身体をふわりと浮かし、ようやくこちら側へと合流した。


「お待たせしました、UDのみなさん。妹と弟が騒がしくて、申し訳ありません」


 サンダルフォンは微笑み振り返りながら、自分たちの関係を打ち明けた。


「構わない。さて、ここからどうする。一応作戦はあるが、そちらに指揮を一任してもいい」

「では、私が執らせていただきます。二人も、いいね?」

「ええ」

「ああ」


 急遽作戦の指揮がサンダルフォンに移り、下の二人の確認をすると、特に嫌がることもせず受け入れたようだ。


「さあ、ミカエルを破って優しい世界を作りますよ」

「了——」


「創始者に誓って、か?」


「——解っ……!?」


 しかし俺たちの決戦への勢いは、ミカエルのその言葉で遮られた。

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