8-3.最期は広い花畑でした。
グレシルの細い指たちは、なおも俺の首を絞めつける。
意識が遠のいていく中で、俺の耳には二つの声が聞こえてくる。一つは、ガブリエルの笑い声。この状況を楽しんでいる、狂ったガブリエルの声。
もう一つは、目の前から。困惑の色が混ざった、グレシルのか細い声だ。
「ユキナガ……? どうして首を絞めないの?」
「……?」
息が途切れそうになりながらも、目を開いてグレシルの首元を見ると、俺の手は彼女の首にあった。喉元もしっかり捉えてはいたが、しかしそこから絞めあげてはいなかった。
「……なん、で……?」
さっき、確実にガブリエルの命令を聞いてしまったはずだ。子どもに言うような口調で首を絞めるようにと、たしかにその声を聞いた。
なのに、どうして俺の手は首を絞めない?
絞めなければグレシルが死ぬことはない。しかも、命令に従わなかったということは、この絶体絶命の状況を打開するヒントになるかもしれない。
息が切れるギリギリまで、必死で考える。
薄い意識で出た答えは、俺が命令に抵抗することができるかもしれない、ということ。
その僅かな可能性にかけ、俺はグレシルの手を振り払おうとする。
結果、俺の身体は自由を取り戻していることに気付いた。考えたその僅かな可能性に、見事に的中した。
グレシルの首絞めから逃れたあと、地面に倒れて咳き込む。
「ユキナガ!」
「ゲホッ、ゲホッ……。大丈夫だ」
態勢を立て直すと、続いてベルさんとラファエルの首絞めを解きにいく。
「カハッ……ハア……。お前、どうして」
「俺にも分かりません」
俺を含めた四人は安堵と驚愕で顔を合わせるが、これに人一倍驚きを隠せずにいるのはガブリエルだ。
「ユキナガくん、何で僕の命令に抵抗できた? 何をした?」
ガブリエルは何やらブツブツと独り言を言い捨てると、俺たちと視線を合わせて口を開いた。
この挙動はもう何回も目にしている。俺以外の三人は手で耳を抑えた。
「跪け! 動くな! 止まれ! こっちに来るな! 死ね!」
天使たちの神聖な場所、天界の花園に響き渡るガブリエルの声。連呼されるその命令は、俺を止めるには至らなかった。
「どうしてだ!? なぜ僕の言霊が効かない!? お前はいったい何者だ!?」
今まで自分の能力が効かない相手がいなかったのか、やつは酷く戸惑い焦り、すでに自己を見失っていた。
「なぜだ、おかしい、そんなはずはない、僕の命令に従わない奴なんかいない、僕が絶対だ、こんなの間違ってる……」
独り言が一瞬止むと、何を血迷ったのか、ガブリエルは俺の顔面目掛けて拳を放った。
が、グレシルの特訓のおかげか、そんな生ぬるい攻撃はかすりもせずに後ろへと抜ける。そして抜けた先で、それを予知していたグレシルの重い一撃が彼の腹を突き、鈍い音を響かせた。
「がはっ……」
その衝撃を耐え、両膝に手をついてこらえる。
「ふざけるな……!」
文字通り歯を食いしばって、ガブリエルはなおも襲い掛かってきた。
さすがに最低限の格闘術は身につけているらしく、素早い連撃を次々と繰り出してくる。
しかし四対一ともなれば、勝敗はすでに決まっている。自分の能力に頼ってきたならなおさらだ。
飛んできた拳を払えば、その隙を突いてグレシルがやつの身体を殴打していき、よろめきながら逃げたところを、存在を消していたベルさんが叩く。
ラファエルに至っては何かをすることもなく、少し離れたところで三対一の近接戦を眺めている。
その近接戦もそう長くは続かず、ガブリエルは今にも力尽きそうなほどにふらついていた。
とどめを刺すかのようにベルさんの手刀がうなじを打ち、膝をガクッと震わせると、ガブリエルは意識を失い、崩れるように地面へと倒れ込んだ。
ベルさんが持っていた天使用の手錠をガブリエルの腕に付け、俺たちは花園の奥へと進んだ。
「ここが神聖な場所というのは本当なのか」
「ええ。この墓だって、実際に命を落とした天使のものだもの」
花園の奥に不規則に立ち並ぶ墓石の一つを見ながら、休憩も兼ねて少し話し始めることになった。
「ざっと見ただけでも、百はあるのだろうか」
「もっとよ。あの戦争の戦没者はもちろん、戦争が終わった後、ミカエルの政治で奴隷同然に扱われていた天使だって、ここで眠ってる」
掌を合わせて、黙祷をしながら歩を進めていく。
「ほら、見なさい」
途中、ラファエルがある墓石を指さした。
「が、ぶ、りえる……。ガブリエル」
読めば、そこに刻まれていたのは、つい先ほど戦っていたガブリエルの名前だった。
「おそらくだけど、ガブリエルは今回の作戦で自分が死ぬって分かってたんでしょうね」
ラファエルが墓石を撫でる。考えは違えど同じ天使として、多少の思い出や愛着もあったのだろう。
同調はしないが同情はする、といったところか。
「その通りだよ、ラファエルさん」
処理に困ってここまで運んできたやつが声を出した。手錠をして転がっている今は、襲い掛かってくることもない。
「さっき僕は、ここが神聖な場所で、死んだらここに埋めてもらいたい、って言った。それは本当のことだ。嘘じゃない。だからずっと前から、そうやって埋まる場所を確保しておいた」
頭を地面に落とし、薄ら笑いで続ける。
「君たち悪魔が攻めてくるって聞いたときは、ああ、やっと夢が叶うんだなって、ちょっと嬉しかった。何せ、今の悪魔は強いって、噂で聞いてたからね。ミカエル様は聞き入れなかったけど」
はは、と乾いた笑い声を漏らす。もう大声を出す気力もないようだ。
「でもいざ戦ってみたらびっくり。簡単に命令に従うもんだから、心の底から楽しいとは言えなかったよ」
ガブリエルは、俺の方を向く。
「だけど最後の最後で、抵抗してくるんだもんなあ。僕の命令に抵抗できたのは、君が初めてだよ。死んでしまうって思ったけど、正直、楽しかった。ありがとね、ユキナガくん」
思い返してみれば、近接戦のときのガブリエルの顔は、笑っているように見えなくもなかった。
しかし今の表情に、あの狂人はもういない。あるのは目尻に漏れた涙と、全てを受け入れて満足げな笑顔だ。
「最後に二つほど、お願いしてもいいかな」
ベルさんが膝をつき、ガブリエルに近づく。
「とりあえず聞こう。言ってみろ」
「ユキナガくんに、僕の最期をあげたいんだ。腰にあるその銃で、僕の頭を撃ってほしい」
「二つ目は」
「その墓の下に、僕を埋めてくれないか」
全員の視線が俺に集まった。俺の判断で、ガブリエルの処理をどうするかが決まる。
せっかくだ。最期くらい願いを叶えてやるのも悪くはないだろう。
「分かりました。やりましょう」
「ありがとう。ミカエル様によろしく伝えておいてくれ」
この言葉を最後に、ガブリエルは目を閉じる。
一瞬の静寂のあと、銃声が花園に鳴り響き、やまびこのように反響しながら消えていった。
墓石の裏に穴を掘り、そこにガブリエルの身体を入れて土を被せる。
今はこの程度の埋葬しかできないが、いずれきちんと埋め直されるだろう。
「花が、汚れてしまったな」
彼は、血で花が汚れるのは嫌だと、銃とナイフを使うのを渋っていた。しかし一番最期に、銃で撃ってほしいと願った。
おそらく、この神聖な花園の白い花を、自分の血で染めたかったのだろう。
ガブリエルなら考えそうだと、そんな想像をしながら、赤に染まった白い花を摘み取って彼の墓に供える。
幸い、花数本と周りの草だけで済み、それを全て墓石の前に置いて手を合わせた。
「さて、先へ進もう」
余韻に浸っている時間はない。
一刻も早くミカエルのもとへたどり着き、その復習計画を止めなければならない。でなければ、天国はもちろん、地獄や人間界をも支配されてしまう。
ふと、大学の入学式で出会った英記を思い出した。
あいつは今も、情報収取のためにキャンパスを走り回ってるんだろうか。一人で講義を受けて、寂しい思いはしてないだろうか。
英記や家族、他の人たちのためにも、打倒ミカエルは避けられない。
作戦を成功させ、全員生きて帰る。
それを改めて心に留め、静かになった花園をあとにした。
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