8-2.言うことを聞きませんでした。

 地下の広い部屋を抜け、地上階へと戻る。

 別動隊の方はまだ戦闘中らしく、建物全体がミシミシと音を立てている。爆発音も近づいて段々と大きくなっている。

 階段を駆け上がり二階の廊下をまっすぐ進む。このルートだと、二階を横断してからしか三階には行けないのだ。


 本部室は三階だが、裏口から入ってきた結果少し遠回りになるのは分かっていたが、接敵する可能性が高まってしまう。

 だがラファエルの考えだと、もう面倒な相手には会わないらしい。


「別動隊の方には天界序列第二位のやつが向かったはずだ。そうなると、もう幹部のやつらには会わずに本部室まで行ける」


 それに反論するのは、未来予知をしたグレシルだ。


「ダメ。また接敵。女の人? 誰?」

「男っ!?」


 ラファエルが急に足を止めた。


「どうした、ラファエル」


 しかし止まった理由を聞けずして、廊下の角から誰かが俺たちの進路を塞いだ。


「こんにちは、ラファエルさん。まさか、あなたが敵側につくなんて思わなかったよ」


 ストレートの黒髪を肩まで伸ばし、美少女と言えるほど、男としては整いすぎた顔だ。たしかにこれなら、グレシルが女と間違えてもおかしくない。


「ガブリエルか……」


 ベルさんもこの人を知っているらしく、ウリエルと遭遇したときと同じ表情だ。


「ユキナガくんとグレシルさんははじめまして、だよね? 僕はガブリエル。よろしく」


 深々とお辞儀をしたガブリエル顔は、出会ったときの優しさ溢れる表情から一変し、相手を見下すことを享楽としている、そんなドス黒い笑顔。

 何が彼を抑えているのか、何が引き金になるのかは分からないが、高らかな笑い声をあげないあたり、まだ快楽としては足りていないように見える。


「いやあ、僕に会ってしまうとは、君たち本当に残念だよね! 自分たちの運の悪さを憎んでくれ!」


 そして今度こそ、身体を仰け反らせながら二階の廊下に笑い声を響かせた。そこまで広くないため、反響して耳から入ってくる。

 ウリエルが無言の狂人なら、ガブリエルは饒舌な狂人、とでも言うべきか。

 今まで同じ天使として生きてきたラファエルも、その狂いっぷりにはさすがに後退る。


「あんたはおかしいと思ってたけど、敵に回すと余計におかしく見えるわね」


 グレシルも、赤く跡が残るほど強く俺の腕を握っていた。


 ガブリエルは黒い笑顔を崩さずに後ろを向き、背中を見せる。

 その隙をベルさんとラファエルが見逃すはずもなく、両脇からガブリエルに襲い掛かったが——。


「止まろうか」


 やつがその一言を発した途端、二人はその場でぴたりと動きを止めた。


「少し遅かったか」


 ベルさんが舌打ちをして、ガブリエルを睨みつけている。ラファエルさんは眉間にしわを寄せた。


「どうしたんですか!?」

「ガブリエルは言霊使い。命令すれば相手の行動は思いのままよ」

「だが、制御できるのは行動だけだ。今こうして話しているように、意識までは制御できない」


 二人は顔のしわをさらに深くする。


 ガブリエルはもう一度振り返ると、その表情は今までの比にならないほど楽しそうで、完全に快楽に酔っていた。


「僕の能力を知っておきながら仕掛けてくるなんて、思わなかったよ! 君たちみたいな、自分が強いと思っている人を思い通りにするのが、最高に楽しいんだよね!」


 ガブリエルは手招きをし、再び口を開く。未来予知で何か見たのか、それに反応してグレシルが叫ぶ。


「耳を塞いでっ!」

「動くな」


 だが時すでに遅し。グレシルはその命令を避けられたが、俺は手が耳までは届かずにやつの声を聞いてしまった。

 耳を塞ごうとしても、自分の手は全く言うことを聞いてくれない。手どころか、全身が自分のものではないかのような感覚。前にいる二人も、当然動けないままだ。


「ユキナガっ!」


 グレシルは耳から手を放し、俺のもとへ駆け寄ってくる。その隙を突かれ、

「そこで寝ていろ」

「っ!……」


 グレシルの身体は否応なしに床へと叩きつけられた。


「おとなしくしててくれよ」


 やつの顔から笑みがふっと消えたかと思えば、またその表情を張り付けて叫ぶ。


「さて、これから君たちの墓へと案内しよう。安心して。すごくきれいなところだから!」


 そしさっきの挙動が現れ、手招きをして口を開いた。


「おいで」


 口角を上げて歯を剥き出しにするそいつに操られ、ゾンビが生存者を追うように、俺たちの身体は廊下の奥へと進んでいった。



「ようこそ、天界の花園へ」

「この建物にこんなところがあるとはな」


 二階の一番奥の扉を開いた先には、広大な花畑が広がっていた。外の光が降り注ぎ、一面に咲く白い花を優しく包む。

 操られてたどり着いたのは、ベルさんも思わずそう言ってしまうような場所だった。


「ここは命を落とした天使たちの墓がある場所。ほら、あそこに墓石がたくさん見えるでしょ」


 目を凝らすとたしかに、花と緑の先には黒い点がいくつも見えた。

 ガブリエルの狂人ぶりは、ここに来てから鳴りを潜めている。


「だから、ここは天使にとっては神聖な場所。ラファエルさんも知っているはずだよ。死んだらここに埋めてもらいたい、ってこともね」


 口の端をぐにゃりと上へ曲げる。一度眠った狂人は、最後の言葉でその眠りから覚めた。


「君たちはここで命を落とすことになりました!」


 両手をいっぱいに広げ、高らかに笑うと、手を顎に当てて考え込んだ。それも、笑顔で楽しみながら。


「どういう風に死んでもらおうかなー。そのナイフで刺すと血が出て花が汚れるし。銃で撃っても結局血が出るし。かと言って他に道具はないし」


 ナイフと銃は、俺の腰にあるやつのことを言っているのだろう。黒いマントの下でも、持っているのがばれていたということだ。

 ガブリエルは一人悩んだ挙句、手を叩いて結論を出した。


「ちょうど四人いるし、二人ずつで首を絞めてもらおう。血も出ないから汚れなくていいね」


 やつのノリをあえて例えるなら、学校の授業で生徒を指名して、前に出て何かをさせるのと同じ感じだ。

 これから命を落としそうな俺たちにとっては、その指名は死刑執行に等しい。


 ガブリエルは、良いこと思いついた、と人差し指を立てた。


「そうだ。グレシルさんとユキナガくんはペアの方がいいよね。好きな人の最期を目の前で見れるんだから。わ、僕って優しい」

「なっ……!?」

「どこまでも卑劣な奴だな……」


 ここまでになると、いよいよ建前や化けの皮の類は一切消失していた。

 ラファエルとベルさんも、悔しさから唇を噛み続けたのか、口元から血が垂れているのが見えた。


「では、始めようか」



 ここで終わっていいわけがない。他の三人もまだ諦めていないはずだ。

 別動隊の三人と本部室にいるサンダルフォンと、合流しなければいけない。

 拠点にいる諜報部隊のメンバーとUD本部に残った人たちの元に、帰らなければいけない。

 ウリエルと戦ったスウたちを、迎えなければいけない。

 ミカエルを倒さなければいけない。

 やることがまだたくさんある俺たちは、ここで終わってしまってはいけないのだ。


 しかし漫画のように、その精神論で勝てるほど甘くはない。


 打開の策も見つからないまま、四人の耳にガブリエルの声が届いた。


「お互いに向き合ってー。両手を相手の首に当ててー」


 涙を浮かべて目を強く閉じるグレシルの、柔らかく肌触りの良い首に手を添える。

 同時にグレシルの細く白い手も、俺の首を捉えた。ごめんね、ごめんね、と何度も謝りながら。


「はい、ぎゅー」


 最後の軽い命令を聞き、成す術なく、グレシルの指が俺の喉を締め付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る