7-4.作戦は順調でした。

 目を開けると、そこは拠点の裏だった。昨日の夜、あのままここで眠ってしまったらしい。


 一度シャワーでも浴びて頭を冷やそうかと重い身体を起こし、荷物を取りに部屋のドアを開けると、そこには椅子の上で舟を漕ぐグレシルの姿があった。

 作戦会議までまだ時間はある。起こさないように足音を潜めてタオルなどの荷物をまとめる。

 しかし袋の音が大きかったのか、背中からグレシルの小さくも怒りのこもった声が降ってきた。


「ユキナガ、話がある」


 その声はかすかに震え、怒りも少し混ざったようだった。

 ベッドに二人、並んで腰を下ろす。


「あの、話って……」

「……、……悩み、相談して……」

「え……」


 十秒ほど溜めたあとに出た言葉は、どこかで聞いたことがあった。身に覚えがあったから驚いたのだ。


「何でそんな……」

「昨日の夜、ユキナガがベルゼブブと話してるのを聞いた。何か悩みがあるんじゃないかって」


 俺の質問を遮って、グレシルは徐々に声を震わせて言う。そして俺の手を握り、じっと俺の目を見る。

 その目尻には一粒の涙が浮かんでいた。


「あなたは、私のパートナー。出会ってから、いつも一緒にいた、パートナー。助けてあげたい。悩んでいたら、聞いてあげたい。だから、話してほしい……」

「グレシル……」


 言い終わるころには、目から溢れる涙が頬を伝い、声も唇も身体も震わせながら、俺の胸に顔を埋めていた。


 俺は馬鹿だ。勝手に一人の問題だと決めつけていた。塞ぎこんで悩むんじゃなく、UDの仲間に打ち明けて解決すべきだった。

 打ち明けて正解が出なくても、最善策は見つかるはずだ。


「グレシル、聞いてほしいことがあるんだ……」


 だからまずは、俺の腕の中で静かに泣いている彼女に、内に秘める感情をぶつけてみようと思う。




 数日の悩みをグレシルに打ち明けると、俺の中にあった霧が晴れたような感じがした。

 グレシルは俺の手を握り、


「それならユキナガの言う通り、目の前のことに集中するしかない。とりあえず今日は、訓練とゲートまでの迎え、あとは作戦会議」


 と、泣いていたのが嘘のように笑顔で言った。初めて会ったころの硬い表情は消え失せ、俺だけが知る柔らかい顔だ。

 俺はその手を握り返し、一緒に闘技場へと向かった。



 相変わらず容赦ない近接訓練のあと、俺とグレシルは再び街のゲートを訪れた。


「こんにちは、ユキナガさん、グレシルさん」

「こんにちは。さあ、行きましょう」


 顔を見せたのはサンダルフォンのみ。三人揃って席を外せば、天使の間でまた問題が起きてしまう。それを避けるため、今回からは三人が交代で会議に参加するらしい。

 その旨をベルさんに伝え、承諾を受けたところで作戦会議はスタートした。


「頼んだものは持ってきてくれただろうか」

「はい、ここに」


 そう言ってサンダルフォンが机に広げたのは、たくさんの線が描かれた布だ。


「これが、現在の天使族総本部の地図です」

「間違いないな、ユキナガ」


 いくつも並ぶ長方形や円と、一緒に書かれていた文字には覚えがあった。

 小さい長方形の開発室、円が連なった牢獄、ひと際大きな円形の本部。そして建物の外へと伸びる長い回廊。

 たしかに、これはあの総本部の地図だ。


 それを確認し、間違いないことをベルさんに報告する。


「はい、大丈夫です」

「よし、これを見ながら細かい作戦を立てていく」


 その後、敵陣にどういうルートで攻め込むか、どのタイミングで何をすればいいかなど、事細かに作戦を練っていく。


 地図を見たところ、出入り口は二つあった。

 一つは本部の正面で大きく口を開く正面口、「第一門」。もう一つが、俺とグレシルが脱出のときに通った裏口、「第二門」だ。


「私が前、スウを後ろにして、その間に幸長とグレシルが挟まる形を基本の陣形とし、これを本隊とする。本隊は敵本拠地の第二門から侵入する」

「了解」


 ベルさんの口から、チームごとの詳細が告げられていく。


「別動隊のリンと明日太は、第一門から侵入してくれ」

「了解」


 囮役である別動隊は、派手に侵入して相手を引き付けなければならない。堂々と攻め入った方が、囮としてはより効果がある。

 それに加えて、俺たち本隊は途中メタトロンと合流し、リンさんたち別動隊はラファエルと合流することになった。

 サンダルフォンは本部でミカエルと待機し、そのときにこちらに加わる。



「大体の侵入ルートも決まりあとは敵本拠地へと入り込むだけだが、他の天使との接触が可能であればしておきたい。よって今から、中段作戦に移行する」


 ベルさんのその宣言により、急遽敵陣侵入前の中段作戦が開始された。

 具体的には、以前ショッピングモールでの俺とグレシルの誘拐をもう一度再現することで、再び天使との接触を図る。

 もちろん俺とグレシルは囮で、周りには他の構成員を配置することで形勢逆転もしてしまう作戦だ。


「サンダルフォン。明日の昼間ショッピングモールに二人を置く。そのことを反ミカエル派の天使に伝えてほしいのだが、頼めるだろうか」


 天使をおびき寄せる必要はあるが、それはサンダルフォンに一任しても構わないだろう。


「分かりました。それも、ミカエルを欺くように、ですよね」

「分かっているではないか」


 ニヤリ、と口角をあげるサンダルフォン。どうやら彼もこの作戦を楽しんでいるようだ。



 こうして今日の作戦会議も終わり、俺とグレシルは再び闘技場へ足を運んだ。


「アスタロトをつれてきた。遠距離攻撃の練習をする」

「こんにちは、幸長さん。お話しする久しぶりですね」

「……そう、だね……」


 俺が言葉を詰まらせたのは、久しぶりという言葉が四方から重なって聞こえてくるからだ。


「ユキナガ、もう練習始まってる。攻撃を避けて本物のアスタロトに触れたらおしまい」


 明日太の能力は幻想展開。何重にも重なる声も明日太も、ほとんど全てが偽物で、本物は一体だけ。


「さあ、手加減はしませんよ、幸長さん!」


 しかもその幻影の数はさらに増えていき、広かった闘技場を埋め尽くした。

 攻撃を避けながら、この数の中から本物を見つけ出す。それはグレシルとはまた違った厳しさがあった。



 終わったころには外はもう暗くなっていた。

 床に大の字に寝転がり天井を見上げると、グレシルと明日太が手を差し伸べてくれた。

 明日太との訓練で体力を使い果たした俺は、とてもじゃないが一人では起き上がれない。


「改めて、明日太の強さが分かったよ。俺にはこれで精一杯」


 攻撃はそこまで痛くなかったが、数と速さに翻弄され続けて、本物を探す暇さえ与えられなかった。

 昨日のグレシルとの訓練で近接戦には多少強くなったものの、さすがに一対多となると身体が追い付かない。


「幸長さんもなかなかですよ。本物の僕に触ったんですから」

「いや、ただの運だよ……」

「ユキナガ、ギリギリだった」

「たしかに危なかった。心臓がもたないよ」


 グレシルから飲み物とタオルをもらい、話をしながら息を整えて闘技場をあとにする。


 その後睡魔と戦いながら夕食と風呂を済ませ、また明日の作戦に備えて早めに寝る。そうでなくても体力切れで、部屋に入った瞬間ベッドに倒れ込んだ。

 グレシルは用事があるらしく、俺だけが先に意識を失っていった。



 翌日の昼過ぎ、俺たちはショッピングモールで配置に就いていた。

 俺とグレシルは普通のショッピングを装いベンチで待機。

 近くのいくつかの店では、それぞれベルさん、リンさん、スウ、明日太の執行部隊が隠れて待機していた。


 サンダルフォンの協力によって、反ミカエル派の天使と簡単に接触できる。これはまたとないチャンスであり、こちら側の勢力を拡大するのは都合がいい。

 中段作戦のメンバーは、そのときを静かにじっと待つ。



 しかしその静寂を破ったのは目的の天使ではなく、俺の手の甲から聞こえてくるサンダルフォンの悲痛な声だった。

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