5-5.日常は再び非日常になりました。

 死んではいないが気絶したまま倒れている男を紐で縛り付けておき、警察が来た音を聞いてからこの場を去る。

 あとで分かったことだが、今日の事件は人身事故とだけ報道され、フードコートでの戦闘は一切の情報が流れていなかった。森定さんがどうにかしてくれたのだろう。


 十三時、世間は優雅に昼食を食べている時間だ。大学の方はそろそろ三限が始まる時間だが、二限はなぜか出席したことになっていた。

 ベルさんの話では、天道大学やその他系列の教育機関を運営する天道学園はUDの構成員が多く所属しており、裏ではUDや地獄とも繋がりを持っている。そのため、UD構成員の事務処理は学園側が秘密裏にやってくれる。授業中の急な任務の場合も、何事もなかったようにしてくれるそうだ。

 一年の初めからの自主休講はこの際仕方がないと諦めていたが、それはどうやら杞憂だったらしい。

 犯人を戦闘不能に追いやったお手柄武闘派少女はグレシルと名乗り、何の予定もないので大学を見学したいと言い出した。


「幸長、グレシルをお前の授業に連れて行ってやれ」

「え、あ、はい。じゃあ、行きますか」


 ベルさんの命令であれば聞くほかない。


「がんばってくださいね」


 スウは俺にしか分からないようにそっと俺の背中を叩き、皮肉っぽくそう言った。



 グレシルは普通に美少女だ。いきなりそんな人が授業に現れたら、注目の的になるのは避けられなかった。

 それはもちろん後ろに座っていた英記も例に漏れず、すぐに話しかけてきた。


「おいおいおい! 誰だ、そのお隣の美少女は!?」


 この展開は予想していたが、グレシルとの関係の設定を考えていなかった。それを感じ取ったのか、グレシルはとんでもないことを言い出した。


「ユキナガと一緒に暮らしてる」

「は?」

「え、どういう関係? そういう関係?」


 新聞委員会所属の英記にとって、それは恰好の餌えさであり美味しい話だった。すぐにメモとペンを取り出し、取材する気満々だ。


「違うから、暮らしてないから。お前突然何言い出すんだよ」


 俺の切実な否定が通じたのか、英記は舌打ちしながらもメモをかばんにしまった。


「で? このお方とはどういう関係で?」

「親戚の子なんだけど、上京してきたから面倒見てやってくれって」


 しどろもどろにそれらしい設定をでっちあげると、英記もそれで納得したのか難を逃れた。

 しかし、授業時間も半分を過ぎようとしているのに、いまだに周りからの視線が痛い。加えて前に立っている教授もちらちら俺たちの方を見ている。

 それはグレシルが美少女であることはもちろんだが、買ってきたおにぎりを堂々と頬張り、そのあとは寝息を教室に響かせていたことが原因だった。


「おい、起きろグレシル」

「ん……ふわぁー……」


 軽く身体を揺すると、目をこすって大きな欠伸を一つ。

 教授もさすがに呆れたのか、そのあとはほとんど無視して授業を進めた。


 四限になってもグレシルは同じ調子で授業を受け続け、結局帰りまで寝ているだけだった。

 いったいこいつは何がしたかったのだろうか。


 こいつの家も知らない俺はそのまま寮へと連れ帰り、夕飯のときに今日の様子をぶちまけた。


「予想通りだな。ごくろう、幸長」

「だからがんばってくださいって言ったじゃないですか」


 そういうことか。二人はグレシルの日常生活がどんな感じかを知っているから、俺に世話役をさせたということか。


「楽しかった」

「寝てただけだろ。はぁ……。ベルさん、俺はもう世話役は嫌ですよ?」


 こいつのせいで今日の授業はほとんど集中できなかった。

 そんな中、ベルさんは突然語り始めた。


「少し昔話をしよう」


 俺は箸を止め、俺以外の全員は箸を止めずにそれを静かに聞いた。


「グレシルはもともと海外の軍の暗殺部隊に所属していた。それも、分隊を率いるほどの実力者だった。戦場に赴いたUDの構成員がたまたま彼女を見つけたが、なぜあんな小さい少女が無傷で戦えるのか疑問に思い観察するうちに、未来を見通せる能力を持っていることに気づいた。UDに引き入れることに決め日本に来てもらったが、少女は勉強と呼べるものをしたことがないに等しく、もちろん中学と高校は行かずに地獄で暮らすようになった」


 目を閉じて話していたが、ベルさんは俺の方に目を向けてこう続けた。


「地獄に住んでいて日本には住む場所がない。学校には行ったことがないが、大学には興味がある。しかも歳はお前と同じ十九だ。つまりどういうことか分かるな、幸長?」


 聞いているうちに薄々気づいてはいたが、それが当たっていれば俺の世話役辞退の主張は一蹴されたということだ。


「えーっと……、このまま世話役継続、ですか……?」

「理解力があるのは良いことだ」


 周りに目配せするが、全員揃って目を逸らした。

 グレシルが寝泊まりする部屋も俺の部屋の隣の三〇二号室になり、完全に専属の世話役になってしまった。


 寝るまでは良かった。暗殺部隊だからなのかは知らないが、夜は強いらしい。一人で風呂にも入ったし、歯もしっかり磨いていた。

 問題は朝だ。

 自分で起きてこないのは予想していて、何の躊躇いもなくグレシルの部屋に入る。そして当然のように布団にくるまって爆睡していた。


「起きろ! 朝飯の時間だぞ!」

「ん……。あと五分……」


 漫画なんかに出てくるテンプレ発言をし、再び夢の中に沈んでいった。

 仕方がないので布団をはがしカーテンを開けて叩き起こす。

 洗面所に顔を洗いに行かせ、強引に訊き出しながら下着やら服やらを引っ張り出して着させる。

 この歳になって、まさかこんな形で女性の下着に触れることになるとは、昔の俺には考えられないだろう。

 その一方で朝食は幸せそうに、これでもかというくらいに頬張り続けた。

 食べ終わった後はまたやる気は消え失せた。さすがにこの状態のまま一人で大学に行かせるわけにはいかないので、手を引いて無理やり連れて行く。


「ほら、グレシル。歩け」

「眠い……」


 しかしそれは言わずもがな他の学生の視線を集め、前期の途中から転入してきた謎のお淑やか美少女として、一日経たずして学科の話題となった。

 英記や他のやつからは尋問の嵐だったが、隣の部屋に住んでいて、しかも彼女の世話役なんてことは口が裂けても言えないため、無理にでも設定を作って必死で誤魔化しておいた。


 昨日の調子のまま、寝て食べての一日を過ごすグレシルを隣で見ていて分かったことがある。

 それは、彼女は自身の欲望に素直だということ。

 その天然さに魅せられ、ベルさんやスウ同様にグレシルのファンクラブが設立された。ツイッターも始動し、これも二人同様にハッシュタグを付けられて瞬く間に広まった。


 ここ半月ほどは大きな事件も鳴りを潜め、グレシルの世話に専念できる日が続いたころ、話題は余計な尾を付けて大学中に知れ渡り、ついにはベルさんとスウのもとにも届いていた。


「ずいぶんと楽しそうだな。任務がないせいで平和ボケをしているんじゃないのか?」

「ユキナガごときが彼女なんて、良い身分ですね」

「二人とも、何かいつもに増して厳しくないですか? ていうか彼女じゃないし」


 昼休み急遽食堂へと呼ばれ、冷徹のベル、異才のスウ、沈黙のグレシルと呼ばれる三人と、その彼氏らしき男という、天道大学の時の人たちが一堂に会した。

 ツイッターではこの会食に天道集会とかいう名前を付けたらしく、ハッシュタグまで付けられ始めた。

 それを意に介すことなく話は進む。


「さて、世話役はどうだろうか」

「どう、とは?」


 どう、とはずいぶんとアバウトな質問だが、簡単に言えば契約更新の話か。

 正直、グレシルに愛着心を抱いている自分がいる。慣れてからは目立ったデメリットはないし、グレシルを更生させたいとも思い始めてきた。

 つまり辞退する強力な理由がないのだ。


「半月も経てば慣れたものだろう。それに、この前見てもらった通り彼女は十分に強い。一緒に行動していてもメリットの方が大きいだろう」


 俺は自分の能力が分からず、ベルさんでもそれが何なのかを知らない。何もできない俺にとっては心強かった。


「そこで、だ。グレシルも含めた寮のメンバーで、ペアを組んではどうかと考えている。任務のときはそのペアで行動してもらう」

「俺たちにとっては今の延長でしかないので、異論はないです」


 今からペアを組んで行動をともにしたところで、今と全く変わりはない。任務で足を引っ張ってしまうことだけが心配だが。


「他の者の承諾は得ている。ということで、今後は私とスウ、リンと森定、そして幸長とグレシルの、それぞれのペアで行動してもらう」

「分かりました」

「グレシル姉さまに変なことしないでくださいよ」

「するわけあるか」


 スウに懐疑的な目を向けられつつ、グレシルとの日常が再び始まることとなった。

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