5-4.見ていたものは氷山の一角でした。
「みんな、怪しい人がいたらよろしくね」
ひとまず、スウが魔獣たちを呼び出して駅周辺や大学周辺などの人が集まる場所へ探しに向かわせておく。これだけでも探す時間は短縮できるだろう。
「さて、そろそろあいつが帰ってくるはずなんだが」
そう言って黙り込むベルさん。おそらくその「あいつ」とテレパシーで話しているのだろう。
その横で、「あいつ」が誰か分かっているのか、スウが苦虫を噛み潰したような顔をしている。俺にはまだその意味は分からないが。
数秒して、例のその人の協力を取り付けたらしい。
「よし、帰ってきているらしい。これから直接任務としておいた」
「え……」
不快感を一層強めるスウを一瞥してから、駅の周りから捜索を開始した。
街行く人々に聞き込みをするが、これといって収穫はない。何も知らない人からすれば、その人が殺人犯だと見当がつかない。それができれば、それこそUDに加入していてもおかしくない。
あるいは、犯人がまた人を殺そうとしていれば、いつどこで起きるかが未来予知で分かるかもしれないが、そんな簡単に、というわけでもないだろう。
「場所が分かったぞ。ショッピングモールだ」
——簡単にいってしまった。だがこれは嬉しい誤算だ。
その指示通り、俺とベルさん、スウの三人は地下鉄に乗り、寮を通り越してショッピングモールへと向かった。
平日の午前中で人は多くない。この建物のどこかに殺人犯がいるはずだ。
しかしここのショッピングモール、実に大きい。全長一キロメートル、地上四階建てに大型映画館とそれはもう巨大で、この中を探すのだけでも骨が折れそうだ。
そんな面倒くささを感じていると、声が頭に響く。
『男は三階の東コート、映画館の前』
女性であることには間違いないが、初めて聞く声だ。その声は至って冷静で落ち着いている。
とにかく誰かは分からないが、しかしテレパシーが使える以上UDの構成員であり、その指示に従い足を速める。
『三階フードコートで男と接触。男はすでに戦闘態勢。どうする』
『あんまり悪目立ちはするなよ。私たちも至急そちらへ向かう』
『了解。ほどほどにしておく』
ベルさんと見ず知らずの女性との端的な通信を横で聞きながら、前を走るベルさんとスウの背中を追う。
三階に着くとすでにざわついていた。
そのざわめきはフードコートに進むにつれて強くなり、到着してみれば、芸能人でも来ているのかと間違えるほどの観衆が、携帯で写真やら動画やらを撮っていた。
その集団の視線の先、内側の開けたところで、黒いパーカーの少女とスウの魔獣たちが一人の男と睨み合っていた。
「悪目立ちするなと言ったのに……」
少女が忠告を聞かなかったのを見て、ベルさんはやれやれと首を振る。そしてタン、と一回床を踏みつけると、ふわりと宙に浮いて群衆の頭上を軽々と飛び越えて少女のもとへと向かった。
一方の俺とスウは、男性執事に姿を変えたミィに抱きかかえられ、ベルさんと同じように飛び越えていた。
ギャラリーの視線を一身に浴びて、改めて犯人と思われる男と対峙する。
「天道大学からわざわざここまで追って来たのかよ。しかも四人で。いやぁ、嬉しいねぇ!」
男は来ている白マント——昨日見たそれと完全に同じマントの下から、小型のナイフを取り出して急接近してきた。
「っ!」
その切っ先が身体をかすりそうになるも、左右に散開してそれを避ける。
男が危険な人物だと知れると、ギャラリーは悲鳴をあげて一斉に散らばっていく。幸い男の意識はベルさんに向いているらしく、一般人に被害は出ないようだ。
「昨日の計画はいまいちだったが、まぁいいか。今日こうしてお前と会えたからなぁ!」
そう言って向けたナイフは、ベルさんを指していた。
昨日の計画は例の「喫茶店同時強襲事件」で間違いないだろう。そして狙いはベルさん。
昨日の襲撃の目的もベルさんで、この男が連中と仲間だということは想像に難くない。何を企んでいるかは知らないが、やつらの仲間はまだ大勢いると考えるのが自然だ。
そんな分析をしている間にも戦闘は繰り広げられている。
男はもうベルさんしか見えていないのか、脇目を振らずに刃を振りかざし、ベルさんはそれを紙一重で避けていく。
フードコートの椅子やテーブルを後ろ向きで踏みながら、何度も身を翻して逃げる。男も真似をするように後を追い、ナイフをベルさんの胸や腕や足を目掛けて突き出す。
回避に徹していたベルさんは突然、能力で姿を消す。標的を失った男は錯乱して「出てこい!」などと叫びながらナイフを振り回す。
次の瞬間、男の身体はテーブルや椅子を吹き飛ばしながらフードコートを横断し、途中の太い柱に叩きつけられた。
「あなたの相手は私」
ひび割れて剥がれた柱とともに床に崩れ落ちる男のもとへ、くすんだ白髪の少女が近づく。
ジト目で見下されて、易々と挑発されて、ターゲットは見事に少女に移る。
「言ってくれるじゃねぇか。すぐに死ぬんじゃねぇぞ」
「それはこっちのセリフ」
ナイフをさらに一本追加し、一本を少女の胸に突き刺さんとする。少女は身体を横に逸らしこれを躱す。
躱したその先にもう一本のナイフを振るが、しかしこれも空を切った。二対を交互に振り続け、しかしその刃が傷つけることはない。
同じような攻防が数回と、時折、両方のナイフで上から切りかかったり、斜め下から切り上げたりもするが、少女は身体を少し逸らすだけで、全てを華麗に避けていく。
「相変わらずだな、あいつは」
「ですね。私たちが出る必要もなさそうです」
いつの間にか俺の横でその光景を見ていたベルさんとスウは、どこか嬉しそうだ。スウの魔獣たちも役目を終え、黒い渦となって帰っていく。
「見てみろ。さっきから一歩も引くことなく躱している。あの男もなかなかの腕だが、あいつはその比にならない」
そう、文字通り一歩も引くことなく男の攻撃を躱すのだ。それはまるで——。
「未来予知……」
「その通り、やつの能力は
森定さんは、未来予知の能力者は海外で修行中だと言っていた。ベルさんは、そろそろ帰ってくるはずだと言って協力を仰いでいた。
UDのトップ集団が身を任せる未来予知の能力者。俺よりも年下に見え、黒いパーカーとのコントラストがはっきりした白い肌の彼女は、さっきとは一転して連撃を男にぶつけていた。
一切の迷いも隙もなく、一発一発に全体重を乗せたような、そんな重い連撃。頬に、胸に、腹に、腿に、ひざに、すねに、その拳と蹴りを撃ち込んでいく。
男はすでに白目を向き、口からは血と、だらしなく涎が泡となって溢れ出していた。
一方の少女は何も考えていないような、何も現れていない表情で攻撃をぶつけていく。
その光景は、もとはどちらが善で、どちらが悪なのか、それはもはや重要ではないかのように非情だった。
『他の客の記憶の処理は終わりました。みなさん、お疲れさまです』
森定さんのその声で我に返る。
俺の視界に広がるのは、乱雑に散らかったテーブルと椅子に崩れかけた柱、床に飛散する血飛沫と、それらを片付ける三人の姿。
「大丈夫か、幸長」
「あ、いや、自分で残酷な状況に慣れていたと思い込んでたんですけど、俺の知らない深い闇がまだまだあるんだなって思って」
「安心しろ、幸長。あいつが特殊なだけだ」
またしても呆れて言い、それにスウが付け足す。
「あの人はもともと軍隊に所属していて、その軍の暗殺部隊として最前線で戦っていたそうですよ。しかも分隊長まで務めたこともある凄腕だったとか」
「スウ、私の話はやめて」
「ひっ!」
昔話を遮って登場したのは、先ほど男を気絶させたこの少女。
改めて近くで見ると、黒のパーカーとの色の差がはっきりしていて、もはや病的なまでに白く透き通った肌だ。とても戦場で腕を振るっていた戦士には見えない。
それは顔立ちも同じで、さほど覇気が感じられない碧眼ジト目である。
「スウ可愛い」
「やめてくださいって! ああ、もう!」
その弱々しい少女はスウの頭を撫で、戦闘中とは打って変わって幸せそうに顔を緩めた。スウは鬱陶しく思いながらも、どこか満更ではないような感じだった。
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