5-3.非日常は日常になりました。

 部屋の扉をひたすらに叩く音で飛び起きる。と同時に、リンさんの声も扉の向こうから聞こえてくる。


「天野ー! 朝飯だー! 起きろー!」


 あまりに大きい声だったため、反射で耳を塞ぐ。こちらも負けじと、起きていることを主張しようとする。

 しかしそれよりも先に、自分の布団の中に何かがいることに気づいた。リンさんがそれを知る由もなく、その叫びは続く。


「天野ー、起きてないのかー? 入るぞー、いいかー」

「起きてます! 大丈夫です!」


 強引な母親のように何の躊躇いもなく男子大学生の部屋に入ってこられるのは、たとえやましいことがなくても喜ばしいことではない。必死に叫んでそれを阻止。


「天野、スウもまだ起きてきていないんだが、ついでに呼んできてくれるか」


 用が済んだのか、そう言い残して下へと降りていった。

 さて、スウを起こす使命を授かったわけだが、肝心のスウはまさに今、この布団の中で寝息を立て続けていた。やっぱり、この外見だけ見ればただの女の子だ。


「おい、スウ。起きろ。朝ごはんだぞ」

「ん……。ふわぁ……」


 スウの身体を大きく揺さぶると、むくりと身体を起こし目をこする。意外にも素直に目を覚ましてくれた。


「おはよう、スウ」

「おはようございます……。……!?」


 眠気の意識のままつられて朝の挨拶をしたが、残念ながら一瞬で覚醒してしまったようだ。

 秒もかからずに部屋の反対側まで飛んで距離を取った。身体もやや低めて重心を落とし、今にも背後から魔獣たちが飛び出してきそうな感じだ。その姿は、ちょうど昨日の戦闘時のよう。


「いや、ここ俺の部屋だから。悪いのは絶対お前の方だからな」

「え、何で私、ユキナガの部屋に……っ!」


 一瞬考えこむが、その答えが出たのか真っ赤に染まる顔を手で隠す。いったい何をしたというのだろう。聞いたところで、スウは素直に答えてくれなそうだ。


「とりあえず、食堂行くぞ。俺は腹が減った」

「あ……はい……」


 だがその問題の答えは、先に食堂に来ていたベルさんの口からすぐに出てきた。


「幸長、傷はもう平気なのか」

「はい、痛みはもうないです」

「そうか。いや、スウがお前のことをとても心配していたらしくてな」

「ベル姉さま!」


 スウはさっきとはまた違った赤で顔を染め上げる。


「なるほど、だから俺の部屋にいたんですね」

「え、スウ、天野の部屋にいたのか」

「天野くんの名前を呼ぶ声が、テレパシーでも聞こえていましたよ」


 そこへ、キッチンから料理を運んでくるリンさんと森定さんも会話に加わり、朝食はその話題で持ちきりの和気あいあいとしたものになった。



 他の大学組二人は一限から、リンさんと森定さんも朝早くから出かける予定があるそうで、この聡明寮には、授業が二限からの俺一人になった。

 部屋に戻り、目的もなくテレビを眺める。画面の中では、各界の著名な人たちが招かれコメンテーターとして話をしている。

 結局、死傷者計五人を出したあの事件は「喫茶店同時強襲事件」として大々的に報道され、いくつかの新聞で一面、情報番組では熱い議論が交わされる大事件になった。

 森定さんの能力によって手柄を獲得した警察は、死傷者を出したものの犯人を捕まえたとして、国民からの信頼は少なからず増したように見える。

 しかし、コメンテーターのおじさんたちはそれを完全には認めず、未然に防ぐことは出来なかったのか、今の政治が引き起こした、などと根も葉もない主張をまくし立てている。

 未然に防ぐ、か。俺の能力が未来予知なら、UDにも十分に貢献できるが。


『森定さん、すいません。質問してもいいですか』

『おや、突然ですね。何でしょう』

『未来予知みたいな能力を持っている人っているんですか?』

『いることにはいるんですが、今は海外で修行中なんですよ。いつ戻ってくるかは分かりませんが』


 テレパシーで森定さんに訊いてみると、どうやらすでに未来予知の能力者がいるらしい。森定さんにお礼を言い、テレパシーを切る。

 俺にできることは、せいぜい身体を鍛えることくらいか。

 出かける準備を済ませ、近場のジムを探しながら大学に向かうことにした。


 昨日の事件のとき酷く混乱していた英記は、俺たちが去ったあと病院に運ばれたらしく、今も病院で検査を受けているらしい。目の前で人の身体が破片となるのを見てしまったのだ。むしろそれが普通の反応だ。

 俺の方が異常なのだ。

 UDに入ってからというもの、事件のたびに残酷な状況に心身ともに慣れてきている。その事件も、巻き込まれる頻度は高くなっている。


 実際、今乗っている地下鉄の事件に巻き込まれているのだ。


『現在安全確認を行っているため、少々停車いたします。お急ぎのお客様には……』


 アナウンスによると、ちょうど天道大学前駅で線路内に人の立ち入りがあり、運転を見合わせるらしい。ここ最近は線路内に飛び込んで命を落とす人が増えているのも、一つの社会問題だ。

 電車内は途端に騒がしくなる。自殺をほのめかす声も聞こえてくる。

 その喧騒を遮って脳内に森定さんの声が響いた。


『天野くん、聞こえますか。天道大学前駅で一人死亡、自殺ではなく殺人です』

『今そのせいで電車に閉じ込められています。ここからだと現場に向かうのは厳しいです』


 それを聞いた森定さんは諦めてくれると思いきや、予想外の行動を指示してきた。


『では、窓を壊して向かってください。授業中のベルさんとスウさんも向かってもらっています。いいですか。今一番近いのは天野くん、あなたです。一刻も早く向かっていただかないといけないんです』


 諭すように指示を出す。どうやってもあなたは逃げられない、というまるで洗脳のように。

 しょうがないとばかりに頭を掻きむしり、近場のドアの窓に向かって走る。

 周りからの忌避の視線が全身に降り注ぐが、あとで森定さんが何とかしてくれることを信じ、腕と足で頭と身体を守りながら飛び込む。

 ドアの窓はあっけなく壊れ、地下鉄の線路へと投げ出された。幸い電車の照明がついていて闇の中というわけではない。そのまま天道大学前駅まで体力の続く限り走った。


 数分走ると、天道大学前駅のホームと前を走っていた車両の明かりが見え始め、事件を目の当たりにした人で溢れかえっていた。

 また他の乗客からの視線と、今度は携帯のカメラのレンズがいくつかこちらを向くが、そんなものはもう慣れた。

 ホームによじ登り人の海に割って入り現場まで行くと、すでに二人が来て現場を一番前で見下ろしていた。

 先頭車両の下の方が赤く染まり、線路には人の手にも見える物体が落ちている。


「ベルさん、スウ」

「ユキナガか。見たところ、これのせいで遅延に巻き込まれた感じか。すまないな」

「二人とも、話している暇はなさそうですよ。警察と救急隊が来ています」


 一呼吸置くことも許されず、周囲に耳を傾けるとスウの言う通り、階段の方から「通りまーす!」という警察らしき人の声が聞こえてきた。当然、警察にも存在を知られてはいけない。


「犯人はこの騒ぎに紛れて逃走、か。よし、追うぞ」

「はい、ベル姉さま」

「追うって、どこにいるか分かるんですか?」


 怖いもの見たさの野次馬を無理やり押しのけて、警察や救急隊と距離を取りつつ出口へと向かう。


「とりあえず地上に戻る。応援を呼べるのであれば呼ぼうと思う」


 犯人に逃げられてしまった今回は、さすがにベルさんとスウだけでは解決できない案件になりそうだ。

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