3-3.日常は途端に非日常になりました。
翌日の日曜日、太陽も真上に上るころ、再び英記に呼び出された俺は渋々新聞員会の委員会室へと足を運んだ。
家の用事で帰ってしまった英記は、もちろん俺に事の顛末を訊いてきた。
「で、で、あの委員会室で何をしてたんだ、あの二人は」
俺たち二人しかいないことをいいことに、やや興奮気味に迫ってきた。森定さんに比べれば優しいものだ。
「いや、普通の委員会室だったよ。すごい真面目に仕事してた」
嘘がばれないようにひねり出して答える。
「何委員会だ? それとあの少女はいったい何者だ?」
答えるより早い質問に次ぐ質問。質問攻めにされる。
さて、どうしたものか。無理やりすぎる答えはすぐにばれるから、普通のものがいい。
誤魔化しながら必死に考えるが、なかなか良いものが浮かんでこない。
『言わなくても大丈夫ですよ。私が何とかしておきます』
そのとき耳、ではなく頭の中に聞こえてきたのは、森定さんの声だった。
昨日説明にあったテレパシーのようなものか。これは俺の方からも送れるものなんだろうか。
『しっかり聞こえてますよ』
『あ、すいません』
『いえいえ』
ぶっつけ本番でいきなり使えたテレパシー。それによれば、昨日のことを無理に答えなくても良いらしい。
英記を見ると、見事に記憶を操作されていた。
「あれ? お前と俺、何で委員会室にいるの?」
森定さんは仕事が速いが、対象が誰だろうと容赦ないことが今の一瞬で分かった。しかも昨日からここまでの記憶全てだ。
『僕たちの活動は一般の人には知られてはいけません。これも仕事の範疇として受け止めていただきたいです』
『あ、はい、分かりました。すいません』
『いえいえ、それではまた』
そう言って電話を切るようなプツンという音が、不快にならない程度に小さく聞こえた。少し乱暴な気がしなくもないが、人間界の秩序を守るためであれば普通なのだろうか。
記憶を操作された英記は、何事もなかったように昼ご飯を食べにどこか行こうかと提案してきた。ベルさんからの指示はまだないので、もちろんこの後の用事は何もない。
地下鉄に乗って聡明寮の最寄り駅を通り過ぎて向かった先は、色々な店が入った大型ショッピングモール、その三階のフードコートだ。
時間はそろそろ午後二時になる。フードコートの利用客も疎らになってくる時間帯で、席は簡単に取ることが出来た。
英記と俺が交代で注文しに行き、番号の書かれた呼び出しベルを持ってくる。
「そういえばユッキー、お前金は大丈夫なの?」
待っている間に飛んできたその質問に、ビクッと肩が跳ねた。
さっきから俺を困らせるような質問ばかりしてくる。本人は間違いなく無意識だろうが。
「アルバイト始めたんだよ」
これが答えられる精一杯の範囲。あとは森定さんに任せることにする。
『森定さん!』
『天野くん、あなた僕を使いすぎではないですか? 自分で対処する術も学んでいただかないと』
頭の中で怒られてしまった。
「そっか、アルバイトか。がんばれよ」
しかし文句を言いながらも仕事は完璧にこなしてくれたようで、英記も深くまでは追求してはこなかった。
そうこうしているうちに英記の呼び出しベルが鳴り、すぐに俺の方も鳴った。
昼食後は今流行りの映画を見て、ゲームセンターでお金を少し無駄にして、特に何もなく時間が過ぎていった。
自分が裏の組織に入ったことを疑ってしまうほどに、あっけなくその日は終わろうとしていた。
それが終わったのは、帰り際に駅までの直通バスに乗ろうとしたときだ。
「幸長くん」
どこからか名前を呼ばれ、後ろにいた英記も一緒に声の方を見る。そこにいたのは杖をつく白髪のおじいさんが一人。覚えている限りでは会ったことがない。
しかし彼の着ていた服には見覚えがあった。スウがいつも着ているような、テロの日にベルさんが纏っていたような、フードの付いた黒のマントだ。
それが何を意味するのか、俺は一瞬で悟り英記に先に帰るように促す。ばれないように演技をして。
「すまん、ヒデ。何年か会ってなかった親戚のおじさんなんだ、先帰っててくれ。今日はありがとう、明日な」
「お、おう、分かった。じゃあ、また明日な!」
他の客も乗り終わりバスが発車したのを見送ると、俺の方から話を切り出す。
「俺の名前はご存知のようなので、あなたの悪魔名と人間名をお伺いしても?」
「なかなかにグイグイ来るやつだ。まぁ、ある程度知っているならこちらも楽だな。とりあえず、どこか店に入って話そうか。ここでは人目につく」
クックックと小さく肩を上下させて笑うおじいさん。連れられるままに近くの喫茶店に入り、端の席に座る。
軽く注文を済ませると、朗らかな笑顔をそのままに他のメンバーと同様の名前を口にする。
「私の人間名は
「よろしくお願いします、渡さん」
彼のことが少し分かったところで、今の自己紹介で気になったことを訊いてみる。
「あの、序列、とは何でしょうか。ベルさんたちは言ってなかったと思うんですが」
「序列は組織が一つだったころの制度、所詮は年寄りの昔話よ。今は厳しく順位を付けることはないそうだが、名残が残ってしまうのは仕方がないんだろうな」
ベルさんからの説明でもあった、組織が一つだった時代。つまり、そのときは天使と悪魔が一緒になって活動をしていたわけで、順位を付けて上下関係をはっきりさせていたのだろう。
昨日のベルさんたちの自己紹介では、話す順番が決まっているように見えた。もう一度状況と説明を思い返してみる。
「聡明寮が本部ということは、あの寮のメンバーはおそらく組織の最上位集団。ベルさんが一番上で、次にリンさん。森定さんが自己紹介を渋っていたような素振りをしていたけど、そのときの会話からしてスウはおそらく森定さんよりも上位」
俺は手を組んで独り言のように、考えを口に出していく。渡さんは運ばれてきた紅茶を口に含みながら、静かに俺の推理を聞いていた。
「そして組織の長であるルシファーが行方不明ということは、序列第一位は現在空席……」
ここまで考えておかしな点に気づく。順番に当てはめると第六位がいない。加入していきなり俺、という自信過剰みたいなことは決してなく、ただただ疑問だ。
目の前の老人は外見こそ年相応だが、組織で第七位ということを考えると、世間一般の老人を軽く凌駕する強さのはずだ。
それをも超えて上位に食い込んでくるその人は誰なのか。
「第六位にはまだ会ってないだろうな。心配するな、焦らなくても彼女とはいずれ会える」
考えが煮詰まったのを見計らって、さて、と本題を持ち出してきた。
「幸長くんには、これから一緒に地獄に行ってもらう」
「地獄、ですか」
お互いにカップの中身を空にして、無意識に姿勢を正す。
「現状、君はまだ正式な構成員ではなく、ベルたちとの口頭での契約でしかない。だからこれから正式に契約してもらうために、一緒に地獄に行ってもらう。今なら辞退もできるが、どうする」
昨日の時点で覚悟は出来ていた。だって、もともとは非日常を望んで天道大学入学を希望したのだから。非日常の方からこちらへ来てくれるなんて、願ったり叶ったりだ。
「大丈夫です。地獄に行きます」
「了解した」
ごちそうさま、と店員に告げてから店を出て狭い路地に入る。
「私の前に立ってくれ。初めてだと少し酔うかもしれないが、慣れてくれ。では、いくぞ」
渡さんが持っていた杖をカン、と地面を突くと、足元が青白く光りだし魔法陣が現れる。ちょうど二人分の大きさまで広がると、魔法陣から真上に光が舞い上がり身体全体を包み込む。
視界は真っ白になり、地獄への転移が始まった。
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