2-4.この寮は不気味でした。
「天野くんはスウとはもう仲が良いんですね。ミィもすっかり懐いていますし」
「今日の帰り、途中から一緒だったんです。色々話をして」
「不本意ながら」
「え、嫌だったの?」
森定さんの言う通り、この寮生の中だとスウと一番仲が良いと思う。どうやら当の本人はご不満らしいが。
その後も談笑は続く。
「ところでスウは何歳なの?」
これは初めて出会ったときからの疑問だ。しかしスウは相変わらず当たりが強かった。
「女性に年齢を訊くのはタブーです。教えません」
「では私が教えよう」
「ベル姉さま!?」
俺に対して棘があるスウも、ベルさん相手だとそうもいかないらしい。声を荒げるも、反抗の色は見えない。
「スウは見た目相応、正真正銘の十歳だ。そんな少女がなぜ大学にいるのか。それは、スウが飛び級で天道大学に合格したからに他ならない」
ベルさんの表情は一切変わらなかったが、声には我が子を自慢するような感情が混じっていた気がした。
「うー……。褒められるのは慣れてないんですよぉ……」
スウはその横で、聞くに堪えないといった感じでフードを深くかぶる。
思わぬところでスウの弱点を垣間見ることが出来た。
「すごいなぁ、スウは。頭がいいんだな」
飛び級は素直にすごいと思った。便乗して俺が褒めると、フードをかぶったその状態で、
「やめてください」
声のトーンだけ下げてくる。
「俺に対してはだけは厳しいのな、お前」
食堂に笑いが溢れる。大勢での食事は、胸までいっぱいになるのだ。
そんな中、酒を飲みながら「若いっていいねぇ」などとつぶやいていたリンさんが、ふと口を開く。
「一方で天野、お前アルバイトは見つかったのか?」
あれからアルバイトを調べることすらしなくなった俺は、リンさんから昼ごはん代をもらって生活していた。
突然のリンさんの質問は、まるで心臓を貫く槍のように、俺の急所を鋭く突いてくる。
と同時に、心地よい騒がしさだった食堂も嘘みたいに凍りついていた。みんなの視線はもちろん俺の方。
「いや、まだ、です」
張り詰めた空気の中、震える唇でなんとか答える。
「そうか……。良いのが見つかるといいな」
優しくも哀れみのこもった言葉を吐いたのは、意外にもベルさんだった。
しかし、言ったあとに全員がニヤリとしていたような気がするが、気のせいか?
「おーし、それじゃあそろそろ終わりにするか」
ちょうど切りも良くなったところで、リンさんが声を張り上げる。
時計を見ると、歓迎会が始まってからすでに二時間が経過していた。久しぶりに時間を忘れて楽しんだ気がする。
両親が嫌いなんてことは全くないが、世の男たちは成長すると、基本的に親と行動を共にすることを嫌がる。この間まで、正確には聡明寮に引っ越してくる前までは、食事を楽しむなんてことは少なかった。
裏を返せばこれは、俺にとっての楽しい大学生活のスタートだ。そしてその生活をさらに楽しくするためには、お金がもちろん必要になってくる。
夕飯の後片付けはリンさんが全てやってくれるらしく、寮生の面々は満足げに腹を抑えながら、自室に帰っていった。
部屋のベッドに寝転がっておもむろに携帯を眺める。
同じ学科の人たちはどんなアルバイトをしているのだろうか。あくまで情報収集のためにTwitterのタイムラインを流していく。
見たところコンビニや居酒屋、塾講師などを匂わせるつぶやきがほとんどだ。その合間合間にときどき、アルバイトの求人広告が流れていく。
——と、突然、今まで見たことのない広告を見つけ手を止めた。「アルバイト求人」と書かれたその下に、真っ黒の画像とサイトへのリンクだけのもの。
タップし詳細を確認すると、広告主は「ユーディキウム・デイ」という組織らしく、ホームページには名前以外何も書かれていなかった。調べてみてもそれらしきものは見つからない。
怪しい、明らかに怪しい。怪しさしかない。
焦りと恐怖で震える手でそのページを閉じる。
安堵の息を漏らしタイムラインに戻るが、しかしその後流れていく広告は、全て黒くなって俺のTwitterを埋め尽くした。
ダメだ、ダメだダメだ。まずいまずい。ウイルスにやられた? あのホームページが原因?
一人きりの静かな部屋で、心臓の早まる音だけがやけにうるさくなる。全身汗でビショビショだが、暑いのか寒いのかすら分からない。
情報系の学科に進んだことで、感染するわけがないという無意識な慢心になっていたのか。
黒い広告の拡大は留まることを知らず、Twitterだけでなくついには携帯の画面全体まで染め上げた。再起動はもちろん、何をしても改善する様子がない。
為す術なく俺の携帯は死んだ。
意識を失いそうになる中浮かんだのは、あの裏のありそうな森定さんに、ダメ元で訊いてみることだった。
そう思うや否や、部屋を飛び出して彼の部屋に駆け出す。
「おや、どうしたました?」
扉を開けて返ってきたその言葉と森定さんの姿——足を組み、こちらを向いて椅子に座っている姿は、どう見ても矛盾している。まるで俺が来るのを知っていたような。
「あ、いや……」
「もしかして黒い広告ですか?」
森定さんは俺がここへ来た理由までも知っていた。恐ろしさで身体が金縛りのように固まり、一度も崩れないその微笑から目が離せなくなる。
なんだ、この男。裏の顔出しまくりじゃないか。逃げなきゃ。どこに?
俺の思考がぐちゃぐちゃになるのをよそに、目の前の美少年はゆっくり近づいてくる。
俺の足はまともに動いてくれず、片方の足をもう片方に引っかけ、床に倒れ込む。拍子に携帯が手から飛び出し、廊下の方に投げつけられる。
ついに俺と森定さんはゼロ距離になる。何をされるかなんて分かるわけないが、それでも目をつぶり、歯を食いしばって構えた。
「お借りしますね」
しかしその身構えをスルーして、森定さんは俺の携帯を拾い上げた。
何も起こらず呆気にとられる俺。部屋の奥の方に戻った森定さんは、自分のパソコンで何やらカタカタ操作し始めると、ものの数秒で再び戻ってくる。
「新しいアプリを入れておきましたので、ぜひ使ってください。というより、使わなくてはいけないんですが」
そう言う目の前の顔はいつもの微笑ではなく、目の笑っていない恐怖を含んだ笑顔だった。俺はぎこちない作り笑いでその場をやり過ごした。
背中に嫌な汗を滲み出しながら、逃げるようにして自室に戻る。
彼の話だと、この新しくインストールしたアプリを使わなくてはならないらしい。
アプリのアイコンには赤で「UD」とだけ書かれ、背景はいつぞやのホームページのように真っ黒だ。アプリの名前も同じく「UD」のみ。
だが、得体の知らないアプリを「使ってください」と言われて、「はい分かりました」などと易々使うわけがない。
これがどんなアプリなのか、少なくとも何に使うかが分かるまでは、開く気にはなれなかった。
翌朝、何事もなかったかのような微笑の森定さんを含めた、寮生全員と朝食を取っていると、ベルさんが話を切り出した。
「天野、何かあったときのために、一応ここの全員と連絡先を交換しておけ」
「あ、はい」
それを合図に、全員が自分の携帯を取り出して画面をつける。
引っ越してから一週間は経っている。むしろ今まで交換していなかったのが不思議なくらいだ。
LINEの名前は全員本名と同じようだ。じゃあ俺も幸長でいいかな。
「ではまた」
ベルさんが意味深な言葉を吐き捨て立ち上がると、他の全員も揃って席を立つ。それは不気味なほどに揃いすぎていた。
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